第218話 陛下への報告
「なるほどな。魔の森がそこまで危険な状況になっていたとは」
「魔物があふれる事態に備えることは必須と思慮します」
リーゼ姉さんのバーデン巡察報告に、思慮深い表情をみせる女王陛下。ことがことだけに、陛下の私室で、俺とベアトを含めた四人だけの密談だ。
「襲撃は、どのような規模になると思うか、リーゼ?」
「私はこのような事態の経験がなく、判断しかねます。但し副官アントニア卿の意見では、今までにない……万単位の魔物襲来があってもおかしくないと」
「ふむ……あの慎重な女がそう言うなら、大規模なものになることは間違いないか」
どうやら女王陛下も、アントニア卿の正確さや着実さには信頼をおいているらしい。しばらく沈思した後、姉さんと並んで座っている俺に、その碧色の目を向けた。
「ルッツよ。領地を与えたばかりなのに、面倒事ばかり押し付けているようだが……」
あ、女王陛下、俺が迷惑している自覚はあったのか。次々ナチュラルに面倒なことを振ってくるから、もしかしてこの人天然で、俺の苦労なんてわかってないのではとか、考え始めていたところだった。
「とはいえ、それを防ぐ能力のある貴族も、そなたくらいしかおらぬ」
ソウデスヨネ。結局のところ、やるしかないんだよね。
「幸いなことにバーデンには『光の勇者』グレーテルがいる。そして数千の、帝国公国の魔法使いが常駐している。そして闇一族がその本拠をおいているのだから、統率の取れていない魔物たちなら数倍を片付けられよう。作戦次第だが……」
陛下の視線が、リーゼ姉さんに向く。姉さんは気負うことなくごく自然に、見解を述べた。
「とにかく数の暴力にやられないことが肝要です。シュトゥットガルトの街には防壁もなく、魔物の大群が押し寄せたら、あっという間に四方八方からの攻撃に陥落するでしょう。たとえそこに『光の勇者』がいようとも」
こればかりは、うなずかざるを得ない。グレーテルはタイマン張れば無敵に近いけれど、取り囲まれてあっちこっちから襲いかかられれば、傷つかざるを得ないだろう。帝国女性の魔法使い軍団に至っては完全に紙防御だしなあ。まずはわんさか湧いて出てくるであろう魔物を足止めする手段が必要だな。
「第四魔法部隊には土属性が多く所属していますから、しばらくバーデン領に派遣しましょう。帝国の魔法使いたちと協力すれば、三ケ月くらいでかなりの防衛線が築けるかと」
工兵部隊で数ケ月を過ごしたリーゼ姉さんは、拠点づくりについてもなかなかの専門家だ。その献策は的確だし、何より土属性魔法使いの支援はめちゃくちゃ助かる。ありとあらゆる土木工事の速度をヒトケタ上げてくれるのが、彼女たちなのだ。
「うむ、そう指示しなさい。そして、いざ戦闘が始まったら、リーゼが陣頭指揮を執るのだろう?」
「ええ。至高神から驚くべき恩寵を頂きまして……民のためにこれを役立てない選択肢はありませんから」
「む? 神とは……ああそうか、ついに念願かなって、厄介な種馬の子を授かったか」
陛下が茶化すと、姉さんがその白い頬をぽっと桜色に染める。
「はい、陛下にとって厄介な種馬でも、私にとってはかけがえのないつがい。その大切な種をこの身に迎えて……驚くほど魔力が上がったのです」
「確かに、あれはすごかった。雪の女神が現れたかと思ったくらいさ、綺麗だった」
これは、正直な気持ちだ。その魔法の強烈なことはもちろん、それを操る姉さんの清冽な美貌の印象は……まさに冬女神の降臨を見るようだったのだから。そのシーンを思い浮かべて、俺がにやけかかったその時……。
「むう。正室の前で愛人の容貌を褒めちぎるとは、やはりルッツは猿」
しまった、陛下の隣でずっと俺たちの話を黙って聞いていた陶器人形が、静かに闘志を燃やしている。だけど、少しおどけた調子に聞こえるのは気のせいじゃないだろう、ベアトは俺が向けている気持ちを、ちゃんと理解してくれているんだよな。
「ご、ごめん。もちろんベアトは大切だし……」
「わかってる。わかってるけど……少しは構ってほしい」
うっ、可愛い。もう子持ちになっていながら、ちっちゃい身体と人形のような美しさも相まって、ベアトは本当に父親に甘える無垢な少女のようだ。陛下がここにいなかったら、その肉付きの薄い上半身をぐっと抱きしめてしまっていただろう。
「仲良きことはすばらしきかな。ところでリーゼよ、第四魔法部隊の遠征準備はどのくらいでできそうか?」
「およそ十日というところかと」
リーゼ姉さんが、口元に微笑みを浮かべながら答える。元世界なら血の雨が降りそうなほど豪華なハーレムを作ってしまった俺だけど、なぜか妻たちと愛人たちの間には、なんの争いも起こらないのが不思議だ。
「ちょうどいい。たまには我が子の顔をゆっくりと堪能できるだろう。ベアトの宮に泊って行け。もちろん、わかっているだろうが……」
ようやく陛下が、この日初めての笑顔を浮かべた。はいはい陛下、わかってますよ……もう一人、必ず訪ねるべき女性が、王宮にいることをね。
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