第210話 三の姫のお名前
「三の姫、万歳!」
「洗礼で見た魔力の光は、すごかったわ……」
「姉姫様たちも皆魔力に優れていて、賢く育たれているし……これで闇一族も安泰ね!」
闇一族の者たちが、次々と将来への希望を口にして、普段は節制して嗜まない酒を、遠慮なく楽しんでいる。予想通り素晴らしすぎる洗礼結果を受けた一族郎党は、待ちに待った無礼講の祝賀会に、盛り上がりまくっているのだ。ちなみにこの子にはまだ名付けを行っていないから、皆からは「三の姫」と呼ばれている。なんか平安貴族みたいで、カッコいいよな。
「さんのひめは、わたしたちより、つよいちからをもっているのですね」
「じゃあホノカは、かわいがってもらえなくなるの?」
姉のカオリは落ち着いて、ホノカは泣きそうな顔でアヤカさんに問いかける。
「そうですね。三の姫は強い魔力を持って生まれてきました。ですがお父様にとってもこの母にとっても、あなたたちはみな同じく愛しい子ですよ」
「かーさま、ほんとに?」
ホノカがうるうるした目でアヤカさんにすがる。この子も生まれてたった一年ちょっとだというのに、本当に賢くなった……もう「魅了」の魔法を見境なく撒き散らすこともなく、代わりにこうやって可愛らしく甘えることで、人心を得るすべを覚えたのだ。こんなにいい子に育ててくれたアヤカさんと、乳母を務めてくれたホタルさんやサヤさんたちには、感謝しかないわ。
「ええ、ほんとうですよ。ね、ルッツ様?」
「もちろんだ。カオリの名前も、ホノカの名前も、父さんがつけたんだ……可愛くて仕方ない、自慢の娘だよ」
「ホノカのなまえは、とーさまがくれたのね。かわいいからもらえたのね」
「そうさ、だから三人仲良くして、いい子になるんだぞ」
「あい、とーさま!」
いきなりアヤカさんから無茶振りされてとっさに答えた俺だけど、どうやら言葉選びは間違えなかったようだ。ホノカは満面の笑みを浮かべて、俺の腕に抱かれている三の姫の、真っ黒でやわらかそうな髪を、その小さな手で撫でた。その横でちょっとしゅんとしているのが、長女のカオリだ。
「カオリはホノカたちのように、つよいちからをもっていません。かあさまやとうさまのおやくにたてないです」
凄いなこの子は。まだ二歳になったばかりだというのに、その口から溢れてくる悩みはまるで七、八歳の子供みたいだ。ホノカも一歳とは思えないほど自在に言葉を操るし……少なくとも俺の種には、早熟特性があるらしい。
「貴女はまだ子供なのです、父や母を助けようなどと思わなくてもいいのですよ。カオリはカオリにしかできないことがあるはずです。それを見つけるのです」
二歳児に向かって、ずいぶん哲学的な難しいことを語りかけるアヤカさん。相手が子供であろうと大人に対するように接するのが闇一族の教育法であるらしいのだが、こんなこと言われても子供は困るだけじゃないかなあ……そう思った俺は、カオリの賢さを見損なっていたようだ。
「はい、かあさまのいうとおり、カオリのできることをみつけます。そしていつかとうさまの、おやくにたちます」
え、こんなんで納得しちゃうんだ。大人みたいに聞き分けがいいじゃないか。だけどなんで目標が「俺の役に立つ」なんだよ。アヤカさんでいいじゃないか。
「だって、すてきななまえをくださった、とうさまですもの」
ああ、そうか。闇一族での名付けは、特別な意味があるのだった。他家に名付けを依頼すればそれは服属の証だし、名付け親は実親よりも尊ばれるのだという。この世界では子供の名前を決めるのはほとんど女親だというのに……闇一族はその栄誉を、俺に与えてくれてるんだよなあ。まあ、おかげでこんなに懐いてもらえるんだから、ありがたいと思うとしよう。
「さんのひめのなづけも、とうさまがなさるのですよね」
「もちろん、そうなるわね。貴女たちだけがお父様からお名前を授かるのでは、三の姫がかわいそうですからね」
え~っ。アヤカさん、三人目くらいは君が名前を考えても、いいんじゃないの?
そんな反論をする暇もなかった。カオリの言葉を耳ざとく聞きつけたサヤさんが、どこから取り出したのか、素早く俺の前に奉書紙と硯セットをささっと置く。あたかもあらかじめ準備していたかのように……いや間違いなく、最初からこの機会を待ち構えていたのだろう。
そして、どんちゃん騒ぎをしていたはずの一族が、なぜか箸も杯も止めて、俺の一挙手一投足に目を注いでいる。ヤバいじゃないか……これでいい名前が考え付かなかったら、俺の「御屋形様」株が、ストップ安に暴落だ。
イヤな汗が首筋に流れるのを感じつつ、落ち着くために墨をすって時間を稼ぐ。やはりカオリとホノカに使った「香」の字は外せないな。そしてできれば、闇一族にも親しみやすく、このドイツ語っぽい世界にも通用する名前がいいけど……う~ん、思いつかん。
深呼吸をしながら元世界の記憶をたどっていた時、会社の近くにあった横丁の風景が頭に浮かんだ。そこには小さなスナックがあって、優しいおばちゃんが一人で切りまわしていたっけ。くたびれた建物に掛けられた紫色の看板には……俺は思わず筆をとり、その二文字を奉書に書きつけた。
「香琳」と。
「ルッツ様……これは『カリン』でよろしいのでしょうか?」
「うん。ベルゼンブリュックでも通用する名前がいいなと思って……」
「素敵だと思います」
いや、実のところ、通っていた飲み屋の名前なのだが……それは言わぬが花だ。アヤカさんは優しく微笑み、俺のテキトーな名付けを認めてくれた。
「カリン、かわいい!」「きれいななまえだとおもいます」
ホノカとカオリにも、好評のようで良かった。闇一族も、口々に三の姫に与えたこの名前を、美しいとか嫋やかだとか詩的だとか、べた褒めしてくれている。
だが、大事なことなのでもう一度言うぞ……飲み屋の屋号だけどな!
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