第208話 アヤカさんの三女
「御屋形様、お早くお願いしますぞ!」
「うん、だけどちょっと待って!」
寝ぼけ眼をこすりながら、俺はシュトゥットガルトの街を駆けさせられている。何でかって? それはアヤカさんが、三人目の子を産み落とそうとしているからだ。
闇一族の出産は、普通ならごく少数の女しかいない産室か、悪けりゃ物置みたいなところで行われるのだという。ずっと昔に時代劇で見たような、天井からぶらさがった荒縄みたいなやつにしがみついて、ひたすら陣痛に耐えるのだとか。なかなか厳しいよなあ。
だけど、クラーラやベアトの出産に立ち会った時には、多少なりとも俺の魔力が彼女たちを楽にしてあげられたみたいだし……アヤカさんのそれに対しても、何か助けになれないかって考えたんだ。
そんな思いつきを口にしたら、意外にも闇一族の食いつきがすごかった。
「おおっ、さすがは御屋形様! 産所で妻を見守るなどという発想は、それがしどもにはありませなんだ!」
「きっとお方様もお喜びになられますわ!」
男衆も女衆も、平成日本ではごく当たり前であった「出産立ち合い」というイベントにいたく感心し、いそいそと準備を整えてくれたんだ。ちなみにヒノカグツチ様を祀る神社で祝言を挙げて以来、アヤカさんの呼称は闇一族の中でも「お嬢様」から「お方様」に変化している。俺に対する「御屋形様」呼びは……もう修正することをあきらめた。
息を切らせつつ着いた当主館の奥で、アヤカさんは綱につかまって額に汗を浮かべ、静かに痛みに耐えていた。そういや、江戸時代くらいまでは、お産の時に妊婦さんは寝転がっちゃいけないとか声を出しちゃいけないとか言われていたって、何かの本で読んだ記憶があるけど……アキツシマの文化って、こんなところまで中世日本なんだなあ。いや、感心している場合じゃない。こんなハードコアモードを、この世界を支える女性に強いてはいけないわな。
「誰か、横になれる布団持ってきてくれる?」
「ですが、しきたりによりますと……」
「うん、しきたりも大事だけど、俺はアヤカさんを少しでも、楽にしてあげたいんだ」
一族の女たちは、「御屋形様」の言葉に視線を左右させつつ、なかなか逡巡して動けない。そんな中、俺と同じくらいの年頃かと思われる健康的に日焼けした少女がぱっと立ち上がり、長座布団みたいなのと、下半身を覆うためであろう薄掛けを素早く持ってきてくれた。色白で物静か系が多い闇一族では珍しい、元気そうな娘だな……とか考えちゃったのは一瞬のこと。今日の俺はアヤカさんを少しでも助けるために来たんだ。ほかの女に興味を散らしている余裕はないぞ、集中せねば。
少しだけ上体を起こして仰向けになっているアヤカさんは、まだ額に汗を浮かべている。三回目とはいえ、やっぱり女性にとっては大仕事なんだよなあ。
彼女の白く細い手をぐっと握って、魔力を染み込ませていく……相変わらずその流れが、俺には感じ取れないのだけど。
「あっ……ルッツ様の力が、流れ込んでまいります。身体が……ぐっと楽になりました」
「よかった……」
「お腹の子も、忙しく動きはじめて……ルッツ様の魔力を、喜んでいるのだと思います。あっ、また!」
アヤカさんの辛さが少しはましになったみたいで嬉しいけど、なんだか俺の魔力って、陣痛誘発剤みたいになってないか? だってアデルやベアトの時だって、俺がお腹に触って魔力を流したとたんに陣痛が来て、すぐお産になっちゃったからなあ。
「お方様、もう少しですっ!」「頭が出てまいりました!」
あれ? 無茶苦茶早くない?
◇◇◇◇◇◇◇◇
結局、俺が触れてから三十分もしないうちに、アヤカさんと俺の三女が産まれたんだ。長女のカオリは超難産で、次女のホノカもかなり大変だったと聞いていたからものすごく心配していたけど、安産だったアデルより短いお産に、ちょっと拍子抜けだ。
「ありがとうございます、ルッツ様。こんなに楽に産めるとは」
「え……やっぱりこれって、俺の魔力が……」
う~ん、またおかしな方向にチートが働いてしまった気がする。なんか納得いかないけどさ。
「もちろんです。さすがは闇一族が崇め奉る、旦那様でございますね」
「だけどさ。ベアトが出産するときだって、手をずっと握っていたはずだけど、結局一晩かかったんだ。安産は、俺の力じゃないと思うんだけどな」
「いえ、体感した私にはわかります。ルッツ様に触れていただく前と後では、我が身体と、この子の動きが、がらりと変わりましたから……間違いなくこれは、旦那様の力。ベアトリクス殿下の際より効き目が大きかったのは、恐らくルッツ様の魔力が、闇属性に近いものなのだからではないでしょうか」
ああ、前にもそんなこと言ってたなあ。俺が持つ謎のレジスト能力が、光属性には弱く、闇属性にはめっぽう強いって……まあ、アヤカさんのためになってるなら、どうでもいいけどさ。
「思いますに、ルッツ様が立ち会ってもベアトリクス殿下の出産がそれほど長引いたということは……ルッツ様の力がなければ、かなり危険だったということではありませんか」
うっ、確かに。フランツィスカはかなり大柄な赤ちゃんだった。この時代の女性としてもひときわ小柄なベアトの出産は、実のところものすごく負担が高いものだったのだろう。
「次のご出産も、必ずご一緒せねばなりませんね」
自ら大仕事を終えたばかりなのに、早くも王室の安全に心を砕く、真面目なアヤカさんなのだった。
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