第206話 秘書官にもご褒美を

 この日も王都でデスクワークが山盛りで待ち受けるベアトは、名残惜しそうにしながらもアデルの転移魔法で帰っていった。バーデン住民の賞賛を浴びた彼女の照れたような微笑みが、また可愛いかったなあ。


「いい領地だ……どうせ当面はデスクワークばかりなのだから、執務室をこっちに移してしまおうか」


 帰り際にそんな怖いことまで口にしていたっけ。さすがにそれは、王都の役人たちが困るだろうから、やめて欲しい。


「あら、それもいいかもね。万一戦に敗れて、王都を放棄しなければならなくなったときに、首都機能を移す場所を一ケ所くらい、作っておいたほうが安心よ」


 そんなことをささやくのは、グレーテルだ。こないだの戦で帝国を完膚なきまでに叩きのめしたのだから、そんな未来図はないんじゃないかと思うんだがなあ。


「確かに近隣諸国の中では、いまやベルゼンブリュックが最強ね。だけど歴史書を読んでみなさい。数百年単位で、異教徒や異民族が何度もこの大陸を蹂躙してきたのよ」


 ふうん、そうなんだ……俺もルッツくんの身体に乗り移ってから、いろんな書物でこの世界のことを学んだけれど、実務的な勉強が中心で、歴史なんかは後回しにしていたからなあ。しかしそう言われれば、グレーテルの指摘はもっともだ。いざという時、陛下とベアト、そしてクラーラ、ルイーゼにファニー……そのくらいなら受け入れられるような準備は、しておいたほうがいいかもなあ。あくまで、最悪の最悪に備えてだけど。


 ま、そんなことより、目の前の収穫だ。大幅な予定変更で現場は混乱しているかと思ったのだが、バーデンの民は魔法王国ベルゼンブリュックの王女が現出した奇蹟の証拠をまさに目の前に見て、興奮しまくっているらしい。


「このままだと三日もあれば収穫が終わってしまいそうだ。食料に余裕もできそうだし、収穫祭を企画しよう、さらに士気が上がるはずだ」


「うん、そのへんは、マックスに任せるよ。資金は大丈夫なの?」


「問題ない。最近は木材も売れるようになってきたし、酒くらいは仕入れられるさ」


 さすがはマックス、なかなかの領主ぶりじゃないか。いよいよ俺、いらない子になってきたよなあ。


 そんなやり取りをしつつ、俺も一日麦刈りの監督を……というのは名目で実質はただの見物……して、適度に疲れて我が家のログハウスへ帰る、そんな二日目のこと。


「あれ? アデル、なんでここにいるの?」


「ベアト様より、いろいろとお届け物を預かってまいりましたので」


 一体なんだろうと、ベアトと一緒に転移してきた荷物を改めれば、それは急ぎ購ったのであろう、身に着けるものがいっぱい。小洒落てはいるが機能性に優れた衣類や、魔物の革でこしらえた靴、そして手袋や革帽子……領地での俺があまりに貴族らしくないラフですり切れたような格好をしているのを見て、あきれたのかな。


「ベアト様は随分張り切っておられました。『こういうものをルッツのために調えていると、妻になったんだなあと感じて、なんか嬉しい』だそうですよ。あんな可愛い面を、ルッツ様にだけお見せになるのには……妬けてしまいますね」


 そんなことをニヤニヤ笑みを浮かべながら言われると、オレも気恥ずかしい。まあ、俺もそんな雰囲気は感じているんだ。普段外向きに一生懸命気を張っている分、俺の前では甘えん坊の仔犬みたいに緩んだ姿を見せるベアト……なんか信じられてる感っていうか、そういうとこにグッとくるものがあるのだよなあ。


「うん、まあ……嬉しい。ところで……アデルは今晩どうするの? 王都に帰る? それとも泊まってく?」


「ぜひ、滞在させてください。『奥様』のお許しも、すでに頂いております。『ご褒美』をルッツ様から頂くことも、含めて」


 うん? まあ、我がシュトゥットガルト家のあれこれをすべからく「奥様」グレーテルが支配しているのは、不本意ながらもう既成事実になっているしなあ。手回しの良さは超一級品のアデルが、到着早々俺より先にグレーテルに挨拶を入れるのも、当然のことか。


「アデルも疲れているのだろうから、泊まってもらうのは歓迎だけど……その『ご褒美のお許し』って、何なんだ?」


「そのようなこと、わざわざ私の口から言わせるのですか。ルッツ様もなかなかのご趣味ですね」


 アデルがきょとんとした顔をする。あれ、俺何か、変なこと聞いたか?


「もう、仕方ありませんね。大陸で私くらいしかできない長距離転移でお役に立ったのですから、ご褒美に『して』下さいとお願いしているのですよ?」


 うはっ、そう来たか。ま、確かにベアトに仕える際の契約で、アデルを俺の愛人として認め、時に逢瀬を設けるということにはしていたが……


「だけどアデル。君は産後間もないし、すぐにはできないんじゃないの?」


「申し上げたではありませんか。王宮付きの優秀な治癒魔法師の術をじゃぶじゃぶ浴びた私は、もはやどこにもダメージなどなく、至って健康なのですよ」


 あ、そうか。ついつい元世界の常識で考えてしまうけど、この世界には治癒魔法なんて言う便利極まりないものがあるのだった。あんなに難産だったベアトでさえも、翌日にはぴんぴんして立ち歩いていたしなあ。


「もしかして、もう一人すぐ欲しいの?」


「いいえ。期待以上に優秀で愛らしい子を授かったのです。しばらくは、ベアト様の御用を務めるのに、集中したいと思っていますよ」


「じゃ、何で……」


 だって、アデルはGLの人じゃないか。男とするのは「悪くない」程度で、目的は子供を授かるためだけだろ。


「鈍感な方ですね。ルッツ様と『する』のが、私にとっても楽しく心地よいことなのですよ。それをわからせたのは、貴方ではありませんか」


 タ◯ラジェンヌみたいなキリッとした美形から濡れた視線を向けられたら、もうたまらんわ。俺はもう言葉を放棄して、ひたすらアデルの唇をむさぼった。


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