第205話 地母神再降臨
「ふむ、これでルッツの愛人は、何人になったかな?」
「リーゼお姉様とクラーラ殿下は別格として……アデル、コルネリア、そして鑑定師のニコルというところですね。まだミカエラとツェリには手を出していないようだし」
「なんだ、まだなのか。ミカエラは色気より食い気かも知れぬが、ツェリはもはやルッツの虜。吹けばなびくであろうに」
「ええ、アヤカが是非にと勧めているのに、なぜだかルッツの腰が引けているのですわ。我らが夫ながら、ヘタレなことですわね」
なんだか俺をネタに、ベアトとグレーテルの間でガールズトークが繰り広げられているのだが……そういう話は、俺のいないところでやって欲しい。背中がむずむずしてしまう。アヤカさんは大きくなったお腹をさすりながら、二人の会話に目を細めている。
「私としては、帝国の魔法使いにもう少し気前よく種を与えることで、彼女らをベルゼンブリュックに取り込みたいのだが……」
「そうですわよね。ですからしっかりお膳立てを整えてあげているというのに、誰かさんは一向に召し上がらないのですわ」
その誰かさんは、もちろん俺だ。いや俺とて、グレーテルがヤキモチをこらえてベアトや俺のために「リラの会」なんてのを作ってくれたのは、理解しているんだ。そしてこの若い身体は、毎日でもしたいと訴えている……いるのだが、遺伝子をバラまくだけのために、ろくに知らないお相手と組んずほぐれつ夜のバトルをするのには、やっぱり抵抗があるんだよなあ。
「諦めの悪い種馬だ。まあそういうところも、好ましく思うが」
ベアトがその人形顔を崩して、口角を上げた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「なんだこれは? 昨日はまだ青い穂がちょっと出ていただけだったのに!」
「すごいわ! すっかり実も熟して、収穫するばかりになってるじゃないの!」
戦争奴隷……いや、あえてもうバーデンの住民と呼ぼう。彼ら彼女らが、口々に驚きの言葉を発している。それはそうだ、青々としていた麦畑が、たった一日で収穫時期を迎えてしまったのだから。
三万を数える捕虜たちを食わせるには、まずは主食を確保しなければならない。だから昨秋はギリギリまでグレーテルが全力で森を切り開き、蒔いた「冬小麦」は、めでたく初夏に実りを迎えている。
だけど三万人ぶんの食い扶持って、なかなかの量なんだよね。思ったよりも収穫が多かったとはいえ、彼らの一年を賄うには、かなり足りない感じだったんだ。魔銀鉱山の上がりもあるとはいえ、食費以外にも出費が多いし……もうちょっと頑張りたいところだったんだ。
幸いにも、働き者のグレーテルが、冬の間にもひたすら木こりの女王として活躍して、結構な面積の畑ができていたんだ。まあそうなると、新たに開いた耕地でも、麦を作りたくなるわけだよね。
この地域はかなり南にあるから、冬前に種まいて夏前に収穫する「冬小麦」が普通だ。でも、より寒い帝国では、春に蒔いて秋に収穫する「春小麦」になる。せっかく畑があるんだから、帝国人たちに馴染み深い春蒔きもやってみようと俺が言い出した結果が、この麦畑なんだよね。
そんなことを昨晩話したら、ベアトがぼそっとつぶやいたんだ。
「それは、ちょうどよかった。せっかく増えた魔力を、試してみたい」
そして、今朝は日が昇るとともに畑に出て、いつぞや北部領で「地母神」と讃えられたあの魔法を、もう一度見せてくれたんだ。あの時は途中で魔力切れになって倒れかけたベアトだけど、今回は堂々としたもので……俺が触れて魔力を渡さずとも、見渡す限りの春小麦を、見事に実らせてみせた。
「それだけではないぞ、麦穂をよく見てみよ」
珍しくドヤ顔をしたベアトに従って穂を手に取ってみれば、夏前に収穫したそれより、明らかに重い。多分一本についている実が、五割増しくらいになってるんじゃなかろうか。いやはやこれって、完璧内政チートだろ。
「すごいな、ベアトは。民を豊かにする魔法は、本当に素敵だ」
「むふ。もっと褒めてもいいのだぞ」
「うん、ベアトはまるで豊穣の女神だ。俺は、君の隣に立てることが、誇らしいよ」
俺の言葉に、白皙の頰が桜色に染まり、少女らしい笑顔がぱあっと咲く。そしてそのちっちゃな頭を俺の胸に近づけて……いつの間にやらまた、何やらくんくんと匂いを確かめている。
「ああ、ルッツの匂い……」
ちっちゃいけどツンと可愛らしく上を向いた鼻を、ぐりぐり押し付けてくる犬系彼女のベアトは、マジぱね可愛い。思わずその豪奢で色濃い金髪に手を突っ込んで、ワシワシと地肌をなでてしまう。せっかくきれいに整えてくれた侍女には後で叱られそうだけど……当のベアトは気持ちよさそうにとろんと目を細めているのだから……許してもらおう。
「ようし! 作業予定は変更、早速収穫だ!! 終わったら、収穫祭をやるぞ!」
「おうっ!」「それは楽しみね!」「酒をたっぷり用意してくれよ!」
いち早く驚愕から立ち直ったマックスが指示を出せば、帝国人も公国人も揃って歓呼の声を上げる。ベアトを胸に抱きながら、俺はワインを何樽取り寄せねばならないかと、思いを致していた。
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