第204話 誕生日だったか
その晩の宿からも、翌日の昼食場所からも、さらに二日目の宿からも、アデルは俺からの魔力補給なしで王都を往復できた。この機動力すげえ……ひょっとして風魔法のSクラスって、最強なんじゃないか。
「私もいささか驚いています。ルッツ様に頂いたクラスアップで、こんなに力が増すなんて」
まあ、AクラスとSクラスの間には深い深い河があるっていうからなあ。そもそも俺が種付け稼業を始める前には、生涯のうちに魔力クラスが上がったなんて奴は、いなかったわけだし……クラスアップの恩恵を体感した魔法使いがそもそも、存在しなかったのだろうな。
三日目の夜はさすがのアデルも、王宮で荒い息を吐いていた。
「六割以上持っていかれましたね……ルッツ様、お願いします」
うん、やっと俺の出番だね。彼女に触れて、俺の魔力を補充してあげないと……とは思うのだが、ここはベアトの執務室。正妻の見ている前で堂々と愛人を抱きしめるのは、どうも居心地が悪いというか……ついつい腰が引けてしまう俺の頭蓋を、長い腕がからめとる。
「おい、アデル何を、むぐむぐっ……」
そう、アデルはものすごい力で俺の頭を拘束し、あっという間に唇を俺のそれに重ねてきて……抵抗する間もなく舌で蹂躙された。これはなかなか甘美なシチュエーションではあるのだが、背後から正妻の視線がぐさぐさ突き刺さるのは、ちょっとした火曜〇スペンス劇場だ。そんなシーンを二分ほど演じた後……背後から、冷気を含んだアルトが響く。
「アデル。魔力補充なら、もう十分ではないか?」
「あら、ついついルッツ様の魔力が美味しすぎて、じっくり味わってしまいました。ごちそうさまでした」
ニヤリと肉食獣系の笑みを浮かべてベアトを煽るアデル。愛人にし損ねたこの主君をこうやって時々いじるのが、彼女の趣味であるらしい。まあベアトもそれを、コミュニケーションのひとつとして許している面もあるのだが。
「むう……しょうもない秘書め。それで……バーデンまでは翔べそうか?」
「おそらく。明日の午後にはバーデンに着くでしょうから……ギリギリ一回の魔力で、王都に転移できそうです」
「うん、期待してる。私も、ルッツの造る国が見たいからな」
そう口にした瞬間、陶器人形のような頬にわずか紅が差す。うん……感情表現が下手な娘だけど、やっぱり俺、ベアトが好きだな。
「もう、もげちゃえって感じですね」
アデルが、お手上げポーズで大きなため息をついた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
結果から言えば、バーデンから王都への転移魔法は、無事成功した。
馬車でほぼ四日ほどかかるこの距離を一瞬で移動するこの術は、アデルがその気になったら、いろんな恐ろしい使い道がありそうだ。だがベアトの「精霊の目」はまったく反応していないらしく……アデルを信じていいってことだよな。
そして翌日の夜、ついにベアトが、俺のバーデンに訪れてくれた。
「ようこそ、ベアト。どうせなら、昼に来てくれれば領地が案内できたのに……」
「クラーラ姉が外向きの公務を代わってくれているとはいえ、デスクワークからは離れられなくてな。まあ見物は、後日でよかろう。今宵は、どうしてもルッツのもとに来たかったのだ」
「どうしても今夜って、どうして?」
「忘れているのか、鈍感な種馬だ。我が夫は、今日十六歳の誕生日を迎えるというのにな」
ああ、そうだったっけ。本当に、素で忘れていた。まあ、ルッツくんの身体を乗っとってしまった俺には「誕生日」がそれほど意味のあるものではないし……そもそも元世界でも、嫁に言われないと自分の誕生日など意識していなかったからなあ。
だが、多忙を極めるベアトが俺の誕生日を祝いにわざわざこんな辺境に来てくれたと思うと、嬉しさがこみ上げる。
「あ、ありがとう」
「うん、喜んでくれて、私も嬉しい。これ……プレゼント」
そう言って贈られたのは、大ぶりの翡翠をあしらった、金のカフス。もちろんそれは、ベアトの瞳と、髪の色をイメージしているのだろう。つがう相手に自分の色をまとわせる行為は、この世界においては、どでかい所有印を捺したようなものだ。
「うっ、ベアトお姉様が、あんなに露骨に攻めてくるなんて」
「おしとやかな殿下にしては、珍しいですね」
グレーテルとアヤカさんが、若干引いている。まあ、ベアトはもともと、こういう子だぞ? 普段は分厚い猫の皮をかぶっているだけさ。マウントでも取ったつもりなのか、少しベアトの鼻息がフンスと荒い。
「まあたまには、正室らしきことをせねばな。ルッツはまた性懲りもなく、愛人を増やしたようであるしな」
「ああ。ルッツ、ついにコルネリアと『した』のね、良かったわ」
「あの方がお側にいてくれると、実に心強いですね」
ベアトの暴露を、二人の側室が平然と受け止めるのが、実に居心地悪い。もちろんグレーテルの制裁を喰らいたいわけじゃないんだけど……妻公認ハーレムってのも、なんだかなあ。
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