第202話 そろそろ帰る日だけど

 あまりに非情な仕打ちに、俺は言葉を飲み込むしかなかった。


「姉は、あの事件を『なかったこと』にしたかったのでしょうね」


 そう語る彼女の表情に、怒りの成分は感じられない。そこにあるのは深い諦念というべきものなのだろうか。


 そんなわけで、すっぱり故郷と縁を切って帝国の国軍に身を投じたコルネリアさんは、豊富な実戦経験が評価されて短時日で下級将校に登用され……あの戦の最前線にいたというわけなのだ。


「ああ、ルッツ様。そのようなお顔をされなくても良いのですよ。姉のしたことは道義的に間違っていますが……その行動の根底にあるのは、己の子を守りたいという、母としての本能的な想いです。そしてその想いを、ベアトリクス殿下も強くお持ちのはずです」


「えっ、ベアトも……」


「殿下は『陶器人形』などと呼ばれておられるようですが……私にはわかります。あのように心情を隠されるお方の心は、人一倍熱い。それゆえ表情から感情を消すのです」


「そうかも……」


 確かにそうだ。俺と一緒にいて、人形の仮面を外した時のベアトは、普段の姿から想像つかないほど、一途でピュアな女の子だよな。


「そんな殿下が『魔力がなくても宝物』と仰っているのです。殿下は全力で、娘フランツィスカ様の幸せを守らんとするでしょう。王位継承とは関係なくても、姫様が生きる喜びを感じられるであろう道を、懸命に拓かれるはず。ベアトリクス殿下は大陸魔法使いたちの最上位におられる、一握りの選ばれたお方……必ず良き結果がもたらされましょう」


「うん」


「ですから、ルッツ様がお気に病むことはありません。愛する女にすべて任せておけば何とかなる、そう大きく構えていて下さればいいのです」


 う~ん、そんなんでいいのかなあ。この世界の力関係はそういうもんだと、ここ二年ほど思い知らされてはいるけど……元世界の六十年で染み付いた感性が、そんな考え方を申し訳なく思わせてしまうんだ。


「ルッツ様は、素晴らしいお方です。すでにあまたの女性に、かけがえのない幸せを与え……この私にも、こうして新たな人生への希望を下さいました。これからも、もっともっとたくさんの女性を……」


 いやいや、愛人大量生産路線は、勘弁してほしい。だけど……気持ちはすうっと、楽になったような気がする。コルネリアさんの身の上話を聞くつもりだったのに、いつしか励まされている俺……やっぱりこの世界の女性は、強くて頼れるなあ。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「いよいよ明日は、バーデンに帰る日だな」


「うん、ずっと一緒にいられなくてごめん。フランツィスカのことがあったのに……」


「ん? ああ、魔力のことか。大丈夫だ、なんとかする」


 ベアトの自信に満ちた態度が、頼もしいけど意味がわからん。


 三日後、俺はバーデンに戻る支度を整え、王宮に出立の挨拶をするために来ていた。お供にミカエラを連れて……そう、単なる解放奴隷つまり平民であるコルネリアさんたちは王宮になど入ることができないが、グレーテルの計らいでリューネブルク男爵家の養女に入ったミカエラはいまや立派な貴族令嬢、こんなところまで連れて来ても大丈夫ってわけだ。


 彼女を愛人に激推ししてくるグレーテルはいかがなものかと思うが、護衛メンバー内に貴族身分を持つ者を作ってくれたのはグッジョブだった……おかげで味方の少ない王宮でも、心細さを感じずに済むからなあ。


「まあ、ルッツは種付けに励んでおれ……うむ、ミカエラも元気なようだな」


「はい、おかげをもちまして」


 ミカエラも、暇さえあればグレーテルに貴族の作法を叩き込まれて、なんとか形になってきている。ほんの数か月前まで文字すら書けなかった冒険者崩れ娘を、よくここまで仕込んでくれたよな。グレーテルには頭が上がらない……あ、それはもともとか。


「ルッツの身を、日々労を厭わず守ってくれているようだな、よろしく頼む。ところで……ルッツの種は、もう受けたのか」


 何気ない口調で発せられたベアトの一撃で、ミカエラがその健康的な頬に、一気に血色を昇らせる。


「い、いえ、私は、そのようなことはまだ……」


「ふむ、『まだ』か。すると『いずれは』ということだな」


「ひゃあ……」


 追い込むベアトに、もはや固まるしかないミカエラ。どうせ「精霊の目」で、まだしてないってわかっただろうし、そんなにいじめなくてもいいと思うんだがなあ。だが助け舟は、意外な方向から現れた。


「ベアト様、そのくらいにして差し上げませんと」


 そこには、旅姿を整えた男装の麗人がいた。濃い紫のショートヘアの上にちょいとビーバーハットなんかかぶったその姿は、いつもの貴族青年っぽい美麗な装いと味わいが違って、またカッコいい。産後間もないとは思えないほど身体も引き締まって、これなら旅もなんとかこなせるだろうけど……。


「ねえアデル、君はいったい、どこに出かけるんだい?」


「ルッツ様。私の向かう先は、バーデンしかないじゃありませんか」


「はあっ?」

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