第200話 護衛隊長と……

 そう言えば、今日は実家に帰る日だった。


 王宮を出て、フロイデンシュタット家のタウンハウスに……いや、俺の足は勝手に、ダウンタウンの酒場に向かっていた。つまみのヴルストも出されぬうちに、一杯目のぬるいエールを一気に飲み干し、大きく一つ息をつく。


 俺の頭はまだ、ファニーが魔法を使えないという残酷な事実を前に、混乱している。この世界で生きていくにはあまりに重量級のハンデを背負った我が子に、俺がしてあげられることが思いつかないのだ。


 そんな中でもベアトが落ち着き払っていたのが、救いだったなあ。俺よりはるかに娘の将来を案じているであろうに……子供の頃から「精霊の目」のせいでむき出しの他人の感情にさらされてきた彼女は、精神の揺らぎを抑える術を身に付けている。そして、ファニーを無条件に愛していて……「魔力があろうがなかろうが宝物」という言葉に、嘘はないはずだ。


 ふとテーブルの向かいに視線をやれば、ミカエラともう一人の風魔法護衛女性が、落ち込む俺の方をチラチラ気にしつつ、ようやく届いたヴルストにかぶりついているところだ。ま、こいつらは若いから、腹が減るんだろうな。


 今日の護衛は、彼女たちに加えてもう一人。俺の隣に座っている、隊長のコルネリアさんだ。酒に手を出さないのは仕事だから仕方ないとして、生真面目に料理にも手を付けず、水を満たした銅のカップを時折その少し厚みがある唇に時々運んでいるだけのストイックぶりだ。


「侯爵閣下がそんなに荒っぽい飲み方をされるなんて、珍しゅうございますね」


「あっ……うん。ちょっと、ファニーのことでね」


「そうですか、お子様のことが何より気になるのは、仕方ありませんね」


 コルネリアさんは、何があったのかとは聞かず、少しだけその優しげな目を細めた。すっと立ち上がって隣に立ち、俺の頭をその筋肉質の胸に抱え込んで、そのままぎゅうっと抱きしめてくれる。不意に涙が湧き上がってきて、俺は五十年ぶりくらいに、声を上げて泣いた。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 目覚めると、隣に柔らかい感触があった。寝返りを打てば、短い髪と少し日焼けした肌、そして引き締まった肩のあたりの筋肉が、目に入る。


 あれ、俺は……どうなったんだっけ?


 昨日の晩、なんとなく実家に帰りたくなくなって、酒場でしこたまエールを食らったところまでは、記憶にある。護衛の女性たちも付き合ってくれて……なんかみっともなく甘えたような記憶も、かすかながら残っていたりする。


 うん、そうすると、俺の手に触れる、このやわらかいものは……。


 その瞬間、俺は自分のやらかしたことを悟った。俺の掌に納まりきらないそれは、まぎれもなく、女性の胸なのだ。思わず身をこわばらせた俺の動きに、女性も目覚めて、その茶色の瞳を、まっすぐ向けてくる。


「ルッツ様、お目覚めでございますか?」


「うん、あの……俺、やっぱり……しちゃったかな?」


 うわっ、やっちまった。女性に向かってこの直球ストレートな言い方はマズいだろ。わたわたと慌てる俺に、大人な彼女はくすっと笑った。


「はい。『しちゃいました』ね……素敵でしたよ。したたかに酔っぱらっていらっしゃるのに、女性を喜ばせようっていう努力は一生懸命なさっていましたから……」


「そ、そうなの……」


 いやはや、これは恥ずかしい。言われてみれば、あんなことやこんなことをした記憶が、ぼんやりと思い出されてくる。


「私にとっても、これは念願でしたから、嬉しかったですよ。ごちそうさまでした」


 うわ「ごちそうさま」かよ。まあそれは、泥酔したまま「して」しまった俺に罪悪感を抱かせないようにという、彼女の配慮なのだろう。そう、俺の隣でしどけない姿をさらしているひとは、ダークシルバーの髪をショートに切りそろえた……護衛隊長のコルネリアさんだった。


 まあ「念願でした」ってのは、本当なんだろうな。彼女はグレーテルに「ルッツ様の種を頂いたら、帝国に帰らずバーデンのために尽くす」っていう誓紙を提出しているし、三十一か二という年齢は、早婚が習いであるこの世界において子供を作るにはかなり遅めだろうからなあ。


「だけど、ごめん。ろくに意識がない状態でしてしまうなんて……女性に対して失礼だよね」


「そうですね。まあ私も齢がいっているとは言え女ですから、初めて情を交わすお相手には、嘘でも愛の言葉をささやいて欲しいところではありますが……」


 やっぱり、そうだよな。しょげ返る俺を見て、彼女はもう一度、くくっと笑う。


「本当に、ルッツ様はまじめなお方ですね。最高の種馬とされているのですから『抱いてやった』みたいな態度が、普通だと思うのですけど」


「いや……やっぱり、ああいうことをするんだったら、お互いを愛しみながらしたいっていうか……記憶があいまいなのが納得いかないんだ」


 俺がそう口にしたとたんに、これまでしとやかだったコルネリアさんの目が、急に肉食動物っぽくギラリと光った。


「では、酔いもさめられて意識がはっきりしたところで、もう一度お願いしてよろしいでしょうか……『裏』スタッドブックで讃えられるルッツ様の技術を、味わってみたいです」


 そんな嬉しい要望に俺が応えたのは、言うまでもない。

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