定年後は異世界で種馬生活

第199話 精霊憑き？

「あれは、どういうことだったのだろうな？」

　洗礼式の後、俺たちは教会の奥に集まって、頭を突き合わせていた。あの不思議な現象が何を意味しているのか、思考放棄するわけにはいかなかったからだ。

　もっとも、孫フィーバーから一気に転落した陛下は、ショックが大きすぎたらしい。ばち当たりにもワインの瓶を抱えこんで、荒い息を吐いている。これは、触らないほうがいいパターンだ。

「確かに最初は、明るい緑に光った。聖なる水盆は、魔力がなければ光らぬはず……魔力なしではないことは、確実だと思う。どう思う、エリーゼ婆？」

「ベアトの言う通りじゃ。身体があれだけ明るく光った以上、ＳＳクラスの魔力はあるのだ。おそらく何かが、それを外に向けて発現するのを妨げているのであろうな」

　ベアトから「婆」と呼ばれた枢機卿猊下が、考え深げに応じる。

「別にファニーに魔力がなくても、私は構わぬ。私とルッツの血を受け継いだ、宝物なのだからな。魔法に縁のない、平凡で穏やかな一生を送るのも、またよかろう。だが……クラーラ姉に迷惑をかけてしまうな」

　そうだ。ベアトは、ファニーと愛称で呼んだフランツィスカが王位に就くことに全くこだわっていない。だが彼女は、姉たるクラーラが自分の娘を権力から遠ざけたいと思っていることも、また知っているのだ。そのクラーラが、ゆっくりと口を開く。

「もしそうなってしまうなら、仕方ないわ。ルイーゼにはモノづくりにその才能を活かしてほしかったけれど、民たちの不安を抑えるのも、王族の大事な責任だから……」

　あっさりと、娘が女王候補になることを認めるクラーラ。地味人生大好きの彼女にしては意外なレスポンスだが、彼女の中にも最上級に澄んだ青い血が流れているのだと実感させられる。

「だけど、ファニーの魔力を外に出すようにできる方法が、なにかあるのではないでしょうか。そうですわよね、ルッツ様？」

　おいクラーラ、なんでそんな期待に溢れた目を、こっちに向けるんだよ。元世界の常識に縛られまくっている俺が、こんなファンタジー設定についていけるわけ、ないじゃないか。どうも彼女は俺を、全能の神扱いしているフシがあるのだが……勘弁して欲しい。

「クラーラよ、そなたの男はそこまで何でも知っているわけではないぞよ」

　オタオタする俺を見兼ねたのか、視線を上げたエリーゼ枢機卿が、助け船を出してくれた。実は俺、何度も会ってるこの枢機卿お婆ちゃんがエリーゼなんてお嬢様っぽい名前だとか、さっき知ったばかりだ……つくづく社交に向かない王配になりそうな自分に、ため息が出る。

「ファニー……フランツィスカの魔力を抑えている原因に、わしはひとつ心当たりがある」

「何だとっ！！」

　酩酊の国に旅立ったと思っていた女王陛下が、枢機卿お婆ちゃんの言葉にがぶりと食いつく。噛みつかれそうな勢いに苦笑いしながら、お婆ちゃんは続ける。

「精霊じゃ」

「精霊だと？」

「そうじゃ、エリザも知っているであろう。この国に精霊を操る者は居らぬが、遥か南の暗黒大陸には、精霊使いがあまた存在するという。この大陸にも、森人や山人と呼ばれる亜人の中には、そのような者たちがおるな」

「べアトの『精霊の目』も、精霊使い能力なの？」

「良いところに気付いたのう、種馬よ。だがベアトの力は、単なる『異能』よ。説明しにくい力に、精霊や神の名を冠することは、いにしえよりよくあること。ここで言う『精霊』は、それほど便利なものではない」

　枢機卿お婆ちゃんの話によれば、この世界の万物には、精霊が宿っているのだという。草木にも、土にも、空気にも、水にも。そして人間や亜人の中には、精霊たちと意思を通じ、その力を借りてあたかも魔法のような奇蹟を起こせる者がいて「精霊使い」と呼ばれている。このくらいは俺も学んでいるのだが……その話のどこが、我が娘ファニーに関わってくるというのだろう。

「優れた精霊使いには、産まれ落ちた時より守護精霊が憑いているものだという。わしにはその存在が見えぬが……この子には精霊使いの才があるのではなかろうかの」

　へえ。俺の娘が貴重な精霊使いだなんて、なかなか凄いじゃないか。久し振りに厨二マインドがくすぐられるぞ。

「何か勘違いしている種馬がいるようじゃな。この国で精霊憑きというのは、決して幸せなことではないぞ」

　む、その勘違い男は、俺のことか？　何か不思議な力が使えるなら、それはいいことのように思えるんだがな。納得いかない顔をしている俺に、表情を消したベアトが告げる。

「精霊は、人間の魔力を嫌うと言われてる。弱い精霊なら良いが、強い精霊が憑いた者は、その魔力を封じられて……つまり魔法が使えなくなるのだ。エリーゼ婆の推測が正しければ、ファニーは一生、魔法が使えない」

「そ、そんな……」

　この世界の女性、ことに身分の高い女性にとって、魔法が使えないということは社会的に無価値の烙印を捺されるということだ。産まれてまだ一週間かそこらのファニーが、そんな重たい運命を背負っているなんて、考えたくないけど……ベアトが俺に偽りを伝えるわけもない。

「その精霊って、お祓いしたりできないのかな？」

「守護精霊を祓わんとすれば、精霊はその宿主を取り殺すであろうな」

「じゃ、どうすれば……」

「暗黒大陸の者たちのように、精霊と意思を通じ、その力を借りて己の生きる道を広げるのが上策であろうが……わしの知る限りこの国に精霊使いは居らぬ。精霊を使うには高いスキルが必要だというのだが……その術をお嬢に教えられる者がいないのではな」

　枢機卿お婆ちゃんが穏やかな声で、とても残酷な運命を告げる。俺たちはみんな無言で、ファニーの行く先に想いを致していた。