第197話 ベアトの出産

 ベアトの出産は、楽勝モードだったアデルのそれとは違って、丸々一晩かかった。やっぱり小柄なベアトの身体には、負担が大きかったのだろう。


 俺にできることと言ったら隣にいて、ときどき手を握ってあげることくらいしかない。この世界の出産現場に男がべったり居座ることは普通じゃないのだけど……クラーラの時には明らかに、俺が触れることで彼女の苦痛が和らいでいた。多分俺のおかしな魔力が何か仕事をしてくれていたんだと思うわけで……少しでもベアトが楽になるならと、ずっと寄り添っていたんだ。


 まあ、クラーラの時みたいに、俺が触れたからってお腹がびかびか光ったりすることはなかった。けれど手を握った瞬間、寄せた眉がふっと緩むのを見れば、何らか彼女の役に立ったのだと信じたい。


「ふう……痛くて死ぬかと思った」


「うん、お疲れ様。そしてありがとう、ベアト」


「むふ……まあいい、私は幸せだ」


 そう言いながらベアトが手を伸ばした先には、いかにもファンタジー世界っぽい碧色の髪と空色の瞳を持った赤ちゃんが、なにかを求めるようにその小さな手をパタパタと動かしている。


「実に可愛い生き物だが……私にもルッツにも似ていないのが、不思議だな」


 実は俺も、同じことを考えていた。今までの実績から言うと、俺の子はほとんどお母さんの容貌を引き継いで生まれてきている。だから当然ベアトの子は、色濃い金髪と翡翠の瞳を持って生まれてくるものと思い込んでいたんだよね。


 これまで唯一母親の姿に似てなかったのはクラーラの子、ルイーゼだけ。それでもルイーゼはその代わりに、父親たる俺の銀髪と碧眼を受け継いでいた。こんなに何の脈絡もない容姿で生まれてくる子は、ちょっと想像つかなかったんだよね。


 ここまで俺たちどっちにも似てないと「父親は誰だっ!」てな風に揉めるのが、元世界のテレビドラマなんかじゃあ、お約束かもしれない。だけど、ベアトが俺以外の男と、するわけはない、そこは信じられるぞ。鉄面皮なようでも、その中身は純情で一途な子だからな。


 そんな俺の思考をまたナチュラルに読んだのだろう、ベアトがその陶器人形の例えられる冷たい美貌を、ふっと緩める。


「うん。ルッツが私を信じてくれているのは、嬉しいぞ」


 ヤバいヤバい、俺がベアトの貞淑さに疑心を抱いていたりしたら、陶器人形が蝋人形に変わるところだった。まったく、ベアトの「精霊の目」はつくづく厄介なスキルだよなあ。ま、とりあえず正室殿に満足していただけたようだし、ラッキーだった、うん。


「だけどたしかに不思議なんだよね。大好きなベアトに似た娘が生まれてくるといいなって、期待しちゃってたからなあ」


「……無自覚にそういう台詞を吐くルッツは危険」


 俺の何気ないフォローに、ベアトがぽっと頬を染める。あれ? 俺何か、変なこと言ったかな?


「ルッツのそう言うところは、今更どうしようもないが……子の容姿が母親に似ないのはクラーラ姉の時だけだった。姉様の時みたいに、何か特別な力を持って生まれてきたのかも知れぬな」


 おいベアト、そこで変なフラグを立てるのをやめて欲しい。俺は自分の子に、変な力が目覚めたりして欲しくはない。ごく普通の人間として、平凡な幸せを味わってほしいと思ってるんだぞ。


 まあ、この子は俺の魔力を注いでもびかびか光ったりしなかったしなあ。だからおかしな二属性持ちとかには、ならないはずだ……ならないよな?


 少し慌てる俺の姿がおかしかったのか、ベアトの口角がきゅっと上がる。


「大丈夫だ。特別な力があろうとなかろうと、私に似ていようがいなかろうが、この子が大好きなルッツと私の……愛の結晶であることには変わりない。もう一度お礼を言わせて欲しい……こんな大事な宝物を授けてくれて、ありがとう」


 疲れが隠せない表情ではあるけど、それでも本人としては精一杯喜びを表現したつもりなのだろう。なんだかへにゃりとゆるく微笑むベアトが可愛くて、その手をとって両手で握り込む。


「うん、気持ちいい……ルッツの力が、流れ、込んで、きて……」


 消え入りそうな声でつぶやいたかと思うと、そのまぶたが落ち、規則正しい寝息が唇から漏れてくる。そうだ、こんな小さな身体で、この子を産んでくれたんだ、そりゃあ疲れ切っちゃうよなあ。まさに全身全霊を振り絞ってくれたんだろうと思うと、とても愛しくなって……俺はベアトの唇に、軽く口づけた。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「姫の無事ご誕生、まさに祝着至極。お祝い申し上げます」


 ベアトが完全に眠りの国に旅立ったのを確認して、俺はアデルの寝室を訪れた。こっちにも、俺の子を産んでくれた女性がいるわけだからな。


 さすがにまだベッドの上ではあるけど、アデルがびしっと背筋を伸ばし、凛々しく言葉を発する。この調子だとなんだか明日から働くとか言いそうで怖い。冗談めかしてそう言ったら、驚いたような反応が返ってきた。


「え? それって、当たり前ですよ?」


 この世界を動かしているのは、魔法だ。だからその社会の頂点に立つ高位魔法使いは、子供を産んだとて休んでもいられないのだと、アデルは言う。だから妊娠中からしっかり手配しておき、三日も休んだら乳母に子供を預けて、自分には治癒魔法を一発かけて早速仕事に戻る、というのが高位貴族の当たり前なのだという。なかなかハードだが……国民の上に立つって、そういうことなのかもなあ。


「ベアト様のお計らいで、この子と姫様を一緒に育てて頂けることになりました。望外の喜び、ますます忠誠を尽くさねばなりませんね」


 なるほど。合理的なベアトらしい発想だ。ほとんど同日に産まれた二人をまとめて育てれば、乳母の負担が軽減できる。そして……乳姉妹として育ったアデルの子は、忠誠の疑いようもない側近となって、未来の女王を支えてくれるだろう。


 アデルの隣では、はるか未来の宰相候補が、俺に向けて無心に小さな手を伸ばしてきていた。

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