第五部 正室の子、側室の子

第195話 王都への旅立ち

「じゃ、行ってくるよ、グレーテル」


「うん。ベアトお姉様によろしくね」


 王都貴族どもを大掃除してから、もう二ケ月が経とうとしている。いやむしろ、まだ二ケ月しか経っていないというのに、俺はまた王都へ向かう旅に出ようとしているのだ。


 それはもちろん……大切なベアトが、まもなく出産の時期を迎えるからだ。愛人クラーラの出産にはしっかり立ち会っておいて、正妻のそれはよろしくやっといてくれでは、男として信義が問われるというものだろうからなあ。


「留守にしてばっかで悪いけど、よろしくねマックス」


「まあ、そのへんはもう、諦めたさ。新王女様の洗礼くらいまで、ゆっくりしてきてくれ。領のほうは当面、任せてもらって大丈夫だ」


 最初の頃は「早く帰ってきてくれ」とうるさかったマックスも、もはや悟りを開いたのか、ずいぶん寛大になったものだ。まあ、これだけ何度も領地を空けてたら、そりゃあ慣れちゃうか。


「うん、任せたよ、男爵閣下!」


「おい、それはよせと何度言ったら……」


 そう、マックスの身分はこの間から、男爵様になっているのだ。


 王都にいるベアトやクラーラに会うために、バーデンを堂々と留守にしたい俺だけど、それなりの身分を持つ者を代官にしておかないと、まわりがうるさくて仕方ない。そういう自己中心的な事情で、女王陛下から爵位をねだり取って来たってわけさ。


 この世界で男が騎士爵以外の爵位を授かることなど、普通なら筆頭種馬にでもならないとあり得ない。陛下は多少酸っぱい表情をしていたけれど、うるさく反対するだろう高位貴族たちが軒並み失脚していなくなっていて、おまけにそいつらから取り上げた爵位がたっぷり余っている。そういう事情も幸いしたのだろう、陛下も「全く、しようもない種馬だ」とか何とかぶつぶつ言いつつ、バーデン領代官マクシミリアンに男爵位を授ける旨の勅令を、渋々下ろしてくれたんだ。


「まあ、感謝している。男の……しかも捕虜の身に余る厚遇だとは、理解しているのだ。お陰で領政が益々やりやすくなったからな……だが、領民がまるで俺が領主であるかのような扱いをするのが居心地悪くてな……」


 うん。不在が多く、たまに居ても若い女性の脚を鼻の下を伸ばして鑑賞しているだけの名ばかり領主を、シュトゥットガルト市民も戦争捕虜たちも、全く当てにしていないのだ。彼らは安全に関わることなら「奥様」グレーテルのところへ報告に行き、土地やカネに関することなら「代官様」マックスに注進して……それで済んでしまうのだからなあ。


 俺のところに報告に来てくれるのはミカエラと、鑑定お姉さんのニコルさんくらいだ。


 そうそう、ニコルさんからは先日、アニメ声の懐妊報告をもらっている。母親似で甘え上手な子ができそうで、愛でるのが今から楽しみだ。それに……俺の子を宿してくれたってことは、帝国人である彼女が、この国に根を下ろしてくれるってことなんだよな、なんか嬉しい。


 そのニコルさんは、旅立つ俺に近づくでもなく、見送り連中の端っこで、小さく手を振っている。うん、気持ちはわかるよ、「奥様」が怖いんだよね……グレーテルがヤキモチを焼くと、雷撃が飛んでくるっていう過去の悪行が、バーデンではすでに常識として知れ渡っているのだ。もともと雷撃の餌食になっていたのは俺だけだったし、その俺にも最近は撃ってこなくなった。俺が他の女とすることにもずいぶん寛大になっているのだから、気にしなくていいと思うのだけど……人間というのは悪い噂ほど耳に残る生き物であるらしい。


 仕方ない、ニコルさんの方に向かって、せめて大きく手を振って応えてあげよう。


「ご挨拶はお済みでしょうか、それでは出発いたします!」


 いかにも軍人らしくビシッとかかとを揃えて出発を促すのは、もはや毎度おなじみになった帝国風魔法護衛隊のまとめ役、コルネリアさん……その胸には誇らしげに黄金製のライラックがピン留めされている。


 彼女たちの中でダントツの戦闘能力を持つのはミカエラだけれど、やはり年若い少女をリーダーにおくと、どうしてもとっちらかってしまう。なので最年長で、メンバーひとりひとりのことをよく把握していて、多少のことでは動じないコルネリアさんを隊長に据え……その役割に対する報酬として、念願だったという金のブローチを、我らの「奥様」が恩着せがましく授けたというわけだ。


 まだ、彼女とは「して」ないけど……これで愛人枠の女性が、もう一人増えたってことなんだよなあ、俺の意志とは関係なく、グレーテルの意向で。


「彼女はもう、三十歳過ぎているんだから、『ご褒美』あげるのは早めにね。彼女に優れた子が授かって幸せになるのを見せつけることが、『リラの会』メンバーの励みになるんだから、わかる?」


 耳元で、我が「奥様」がダメ押しを入れてくる。俺は思わず、深いため息をついた。

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