第190話 強くなったクラーラ

「私には、王位につく意志はありません」


 いつもに似合わぬ素晴らしい声量で、きっぱりと拒絶の意志を示すクラーラに、貴族たちの反応は二つに分かれた。


 一つのグループは、ベアトを支持していた者たち。彼らは何をするにも自信なげで有力貴族の言いなりで腰の据わらない長女の資質を諦め、仏頂面であっても安定している次女を選んだのだ。いきなり自分を推す高位貴族に真っ向から反抗したクラーラに、驚きのざわめきを漏らしている。


 いま一つのグループはもちろん、ベアトを引きずり下ろしてクラーラを傀儡王位につけ、実質権力をほしいままにして美味い汁を吸おうとしていた連中だ。奴らはクラーラの宣言に、飼い犬に手を噛まれたかのような、驚きとも怒りともつかない表情で、言葉を失っている。


「ふむ。これだけ多くの者が貴女を推しているというのに、なにゆえ拒むのですか、クラーラ?」


「私を推す者は、国の将来を憂えているわけではございません。押せば必ずなびく弱い心の私を裏から操り、自分に都合の良い政をさせんがためです。私は傀儡になるのはごめんですし、そのような企みを持つ者たちに、私の大切な宝、ルイーゼを委ねるつもりもありません!」


 クラーラ派貴族たちの頬が強張るが、とっさに反論をする者はいない。図星を指された怒りもあろうが、従順そのものであった彼女が、いきなり自分たちに牙を剥くとは、想像していなかったのだろう。


 そんな沈黙がしばらく続き……それを破ったのは、おそらくすべての陰謀の元締であろう、宰相アイゼンベルク侯。そう、ようやくラスボスを引っ張り出せたのだ。


「クラーラ殿下、ずいぶんな仰りよう、臣らは傷付いております。殿下を支持する者たちは、いずれ劣らぬ愛国の志を抱いておりますよ。この胸をかっさばいて、熱き心をお見せいたしたいが……盟主たる殿下にも疑られてしまうとは、臣の不徳というものですな」


 口調は穏やかだが、発する圧がすごい。さすがはこの十数年国政のトップを譲らず、反対派を硬軟取り混ぜた策謀でことごとく潰してきた宰相だ。


「いや、わ、私は……」


 もちろん、こんなラスボスの威嚇を受けたら、クラーラがキョドってしまうのも無理はない。さすがにここは、助けてあげないといけないよな。視線を回せば、俺の可愛い姉さんが、小さく目配せをしている。俺がうなずくと、リーゼ姉さんは軍靴の音高く前列に進み出て、クラーラと宰相の間に立った。


「何だ、フロイデンシュタットの小娘か。ここは国の指導者同士が国体のあるべき姿につき意見を交わす席、軍人風情の出番では無いわ!」


 ラスボスが、クラーラに掛けたそれより、はるかに露骨な圧力を発する。だけどリーゼ姉さんは、ほんのちょっと眉を上げただけで、あとは微動だにしない。そして、その魅力的なピンク色した唇が、ゆっくりと開く。


「王国宰相、アイゼンベルク侯。卿を騒乱罪、および王女ベアトリクス殿下の殺害を企図した大逆罪の容疑で、拘束します」


「な、何だとっ!」


「バーデン領の統治を失敗させんと、フロイデンシュタット家の不良息子たちをそそのかし、薬物で操った帝国捕虜に、公国捕虜を襲わせ動乱の発生を企図したこと明白、騒乱罪に該当します」


「世迷い言を。あれは卿の愚かな兄どもが勝手に引き起こしたこと。おそらく成功した弟を妬んでのことであろう、兄弟喧嘩で国を揺るがすとは、フロイデンシュタット家の方こそ国を害っているではないか!」


「ええ、直接の犯人はわが兄たち。当家のものが犯した罪の重さは承知しますが……」


 姉さんが、この場の緊張など知らぬげに、少し口角を上げる。


「調査を進めると、あの愚か者たちに薬物を与え、犯罪を教唆した者がいるようです」


「それは、誰だというのだ!」


 心なしか、宰相の声が上ずってきているように感じる。少し、焦ってきたのかもな。


「兄たちの館に出入りする怪しい者がいました。後をつけさせると、王都のとある子爵家に入ってゆくことを突き止めたのです」


「だから何だというのだ!」


「その子爵家にちょっと手の者を潜り込ませたら、面白いものを拾ってきました、これです」


 リーゼ姉さんが目配せすると、闇一族の若者が音もなく広間に進み出て、一通の書状を恭しく差し出す。姉さんからそれを渡された陛下は、ゆっくりとそれをひらき、ゆっくりと目を通し始める。


「うむ、これは間違いなく宰相のサインですが……なになに、薬物を帝国の女に与え、それなしではいられなくなったところで、公国の男を殺せと命じよ、と……」


 その内容は、ちょっと拾ってきたなんていう、気楽なレベルのものじゃない。こんな重要証拠を手に入れるために、闇一族は何度も生命をかけて貴族の屋敷に忍び込んだのだろう。そしてその手紙の内容は、ずいぶん具体的で、悪質なものだった。それを読み上げる陛下のメゾソプラノを聞きながら、宰相はぴりぴりと頬を痙攣させている。

 

「これは驚きです。宰相よ、何か言いたいことはありますか?」


「くっ……」


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