第185話 クラーラの出産
「ルートヴィヒ卿……いや、ルッツ」
「はい、陛下」
「今回の事件で、バーデンにいる奴隷たちの様子はどうなっていますか?」
「当初は帝国人と公国人の間に緊張が見られましたが、現在は落ち着いています。両者間の交流行事なども、代官マクシミリアン殿下の尽力あり、復活しました」
わざとマックスに「殿下」を付けて報告する俺。まあこれは陛下に聞かせるためじゃない、この後で高位貴族たちが、余計な突っ込みをしにくくするためにだ。
「ふむ、であればバーデンの開発は……」
「滞っていません。初夏に収穫した麦だけでは奴隷三万人の生活は賄いきれませんが、魔銀鉱山も夏には立ち上がる予定、国からの援助は九月までですが、それまでに自立できます。三年後の納税開始予定に変更はありません」
「なるほど、ならばいいでしょう。励んで下さい」
そこで陛下が言葉を切ると、貴族たちが大きくざわつく。母さんはスルーでも、領主の俺に対しては、それなりの処罰が下されると期待されていたからだろう。
「恐れながら陛下。内乱になりかねぬこの事態を起こしたバーデンの領主責任を問わぬというのは……」
法務大臣だというオバちゃん貴族が口を挟む。本来一番の敵であるはずの宰相はこういう時には無言で、子分に代弁させるのだ。
「だが、内乱になってはいません。あの事件で帝国捕虜と公国捕虜の反目が発生しましたが、それを企んだのは愚かなあの兄弟です。バーデン領主はたくらみに何ら関与せず、騒乱に至らぬよう動揺を鎮めました……むしろ功績を賞さねばならぬのではありませんか?」
「ぐっ……」
そうさ、内乱が起こってしまえば領主の責任が問えるだろうが、そこまでいかない段階なら、領主側はむしろ被害者だろ。
「ご苦労でした。しばらくはそなたの妻、ベアトリクスの宮に逗留するのが良いでしょう」
貴族たちの悔しそうな視線が背中に突き刺さるのを感じながら、俺は謁見の間から退出した。
◇◇◇◇◇◇◇◇
目の前には、栗色の髪と茶色の瞳を持ち、地味だけどしっとりとした美しさを具えた、俺にとって生命の恩人がベッドに横たわっている。そのお腹はすでに大きく膨らんで……もちろんそれは、俺の子だ。
そう、グレーテルに指摘されていた通り、陛下がこんなタイミングで俺を呼び出したのは、いまにも産まれるクラーラの子を俺に見せたい、できるなら出産に立ち会わせたい、という狙いだったのだ。
ベアトの宮にしばらく滞在するというのも隠れ蓑みたいなもので、ベアトとクラーラが密かに会うときに使うという通路を使って、クラーラの宮に訪れているのだ。ああ、もちろんベアトを抱きしめ唇を重ねて、魔力を補給してくるのも忘れてはいないぞ、俺はまじめな夫だからな。
「さすがは『神の種』を持つ強運のお方。もう陣痛が始まっておられますが、ギリギリ間に合われました」
助産師を兼ねるらしい治癒魔法使いの聖職者おばちゃんが、よくわからない誉め言葉をくれる。ようは間もなくお産が始まるから、ずっと見守っていろということらしい。
「クラーラ、もうすぐですね、頑張りましょう」
「ええ……大事なルッツ様の分身、立派に産んでご覧に入れますわ」
額に少し汗をにじませながら、健気なことを口にするクラーラが愛しい。だけど初めての出産なんだ、きっと大変なんだろうな。元世界の長男誕生のときには、長期出張から帰ったらもう産まれちゃっていて、苦しさを理解することも、励ましてあげることもできなかったけど……。
「見守っていてくれると、嬉しいです」
どこまでも控えめなその要望に、応えないわけにはいくまい。
だかしかし、本格的な陣痛が来ると、クラーラの息は乱れ、苦痛の声が漏れる。助産師の聖職者さん、そしてバーデンに聖職者コスプレで来てくれた侍女のお姉さんが、二人掛かりで光の治癒魔法を駆使しているけど、その苦しみは除けていないようだ。
「思ったよりも、難産になりそうです……応援の聖職者を呼びなさい!」
護衛騎士が慌てた風情で駆けてゆく。おい、治癒魔法使いに囲まれて楽勝って聞いてたのに、これって大変なことになりかけてるんじゃないか?
「クラーラ……」
「だ、大丈夫、です……頑張ります、うっ……」
すでに彼女は汗びっしょり。眉間には深いしわが寄り、呼吸は苦し気になってゆく。
「う、あ、はぁっ!」
「クラーラっ!」
助産師さんたちの邪魔をしてはいけないと、一歩引いた位置にいた俺だけど、もう我慢できない。思わず駆け寄って、クラーラの右手をとる。その手も冷たい汗に濡れているが……俺はその手をぐっと両手で挟みこみ、想いをこめる。
「あっ、姫様のお腹が!」
侍女さんの声ではっとなって顔を上げれば、そこにはいつか見た不思議な光景が再現していた。クラーラの下腹からプラチナ色の光が放射されて……あれ、これって身代わり人形のせいで彼女が死にかけた時、グレーテルの光魔法にお腹の子が応えて……あの時と同じだ。
だけど光属性の治癒魔法は、すでにツープラトン攻撃で……もとい二人掛かりでさんざん施していたはずだ。突然お腹の子が反応したのは……。
ああ、わかってしまった。こないだの時もグレーテルの治癒魔法だけでは反応せず、俺がくっついて魔力を供給したとたんに光りだした。そして今日も……この子は、俺の魔力だけに反応して、お腹の中から魔法を使っているんだ。
「ああ、とっても楽になってきました……」
「……よくわかりませんが、ルッツ殿下、続けてください!」
聖職者さんも何となく真相に気づいているけど、大人の判断で見て見ぬふりをしてくれることにしたようだ。俺が「特別な魔力」を供給できるなんてことがわかれば、また大変なことになるからな。ちなみに、俺の呼称が「殿下」なのは、ベアトと結婚して王族の身分を得たからだ、どうでもいいことだけど。
「はい、いい感じですよクラーラ殿下、もう少し頑張って……」
そして三十分後、俺の娘が、この世に生を受けた。
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