第156話 祝祭
ベアト考案のグレーテル妊活作戦、早く試してみたいな。
だけどキーマンのアヤカさんはただいまバーデンでお留守番中、しばらくは無理だよな。仕方ない、まずは王都で建国祭を楽しむとしよう。
数日後の本祭には不本意ながら王族の一人として参列しなければならない俺だけど、それまではこれと言った公務はない。街ではすでに祝祭が始まって、王都の目抜き通りはすでにさまざまの露店で埋まり、広場では明るい弦楽器のリズムに乗って、思い思いに装った市民たちが陽気にフォークダンスみたいなのを踊っている。元世界でもこんなに盛り上がるイベントは珍しかったし……見物しない手はないよな。
バーデンから連れてきた帝国魔法使いの女性たちは、浮かれさざめく街に目を奪われているようだ。帝国の祝祭は地味なものばかりで、全国から人が集まって賑わいが十日間も続くという、これほど大規模な祭りはないらしいからなあ。まあ彼女たちにはこれからもいろいろ働いてもらわないといけないし、少しくらいは楽しませてあげたいよな。姿を見せていない闇一族の護衛には面倒かけちゃってるけど、そのへんは後日埋め合わせさせてもらおう。また名前を掛け軸にでも書いてあげようか、それともやっぱり……種付けか。
「うわあ、すごいです、こんなに賑やかなお祭りなんて初めて! これが何日も続くなんて、信じられないですっ!」
弾むアニメ声が耳に心地よく響く。その紫色の瞳がくるくると動いて、そのたびに驚きや感動の声が上がる。
ベルゼンブリュックの建国祭は確かに大陸有数の祝祭ではあるけれど、ミカエラのはしゃぎようはずいぶん大げさだ。ここまで喜んでくれるってことは……帝国にいた頃には祭りなんかに参加したことがなかったのだろうな。ようは連れて行ってくれるような優しい家族が、彼女には存在しなかったってことらしく……実家で彼女がどう扱われていたのか、想像に難くない。
獣脂が炭火の上に落ちて焦げる、香ばしい匂いが漂ってくる。彼女は何も言わないけれど、その視線が屋台の焼き台に並んだ豚肉の串焼きに釘付けになっているのを見れば、買ってやらないわけにもいかないだろう。なんだか、仔犬に餌やりをしているような気分になるなあ。
「はむっ、ほふっ……これは、最高ですっ」
その仔犬は、焼きたての熱さに手こずりつつも、満面の笑みで肉を頬張っている。こんなものでこれほど幸せな顔してくれるなんて、ずいぶん安上がりでありがたいな。まあグレーテルやベアトは王侯貴族のお上品な振る舞いが身に染み付いているから、そもそも歩き食いなんかやらないだろう。だからこういう子といっしょにいると、とっても新鮮なんだよなあ。
そのグレーテルは今、少し後方で帝国お姉さんたちに囲まれている。バーデン領でいつも最前線に立って、力仕事も戦闘も率先してこなす彼女は、戦争奴隷の男どもにとっては畏怖と崇拝の対象だが、女性たちにとっては憧れの的になっているようなのだ。
女性たちは露店で髪飾りなんかを買って、グレーテルのストロベリーブロンドに飾っては、わいわいと喜んでいるみたいだ。もちろん戦争奴隷たちのお小遣い程度で買えるものだから、超がつくほど安物の、子供くらいしか喜ばない代物だけれど、グレーテルにとってはお姉さんたちが自分を愛しんでくれることが嬉しいらしく、その頬は緩み口角が上がっている。
グレーテルは、お姉さんたちを引率する役目を自分が引き受けることで、俺とミカエラが自然に隣り合って歩けるようにしてくれているらしい。彼女の生い立ちを知って以降なんだか保護欲が目覚めたらしく、妹みたいに可愛がっているけれど……どうも本気でこの子を気に入ったみたいだ。ひょっとして俺とくっつけようとか考えているのかな……焼き餅体質のくせに、妹分なら許せるってことなのだろうか。
まあ実際のところ、ミカエラと一緒に過ごす祭りは、文句なしに楽しいんだ。
こっちの世界に来てからは、回りの女の子がみんな、俺を一人の男の子というより「伯爵家の子息様」として、良く言えば礼節を守って、悪くいえば見えない壁を隔てて接してくる。だけど彼女はまるで本当の妹みたいな無邪気さで、隔意なく話しかけ、笑顔を向けてくれるんだ。こういう気を張らなくていい異性の友達って、結構貴重なんだよなあ。
気のおもむくままふらりと大通りから路地に入ると、並ぶ露店も貴石や占い、骨董みたいな落ち着いたものに変わる。人通りも少なくなったところで、ふと俺の耳に、声にならないささやきが忍び込んでくる。風属性の魔法使いが特定の相手にメッセージを届けるという、アデルも得意としている、例の技で。
『前後から怪しい気配あり、おそらくルッツ様を狙っています』
そうか、いよいよ来たか……予想通りだ。隣を歩くミカエラも、眉をきゅっと上げて身を固くした。
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