第146話 温泉大好き!

「ふうぅ……っ、何だか、生き返るようです」


 漆黒の長めボブを組紐でくくったアヤカさんが幸せそうなため息をついて、俺にとろける笑顔を向けてくれる。少しぬるめの湯につかってくつろぐ俺たちは、当然何も身に着けていない。


 あの温泉大好き帝国人たちは余程嬉しかったのか、残業して俺たち専用の露天風呂を造ってくれたんだ。十人くらいは入れようかといういい感じに広い石造りの浴槽に、おしゃれな屋根を付けて……もちろん、壁なんかないぞ。


 源泉から長い距離、樋を使って引き込んだことで適度に冷めた乳白色の湯は、アヤカさんの偉大な胸部装甲を絶妙に隠してくれる。まあ、少し身じろぎしたときにチラッと覗く何かが、男としてはまた趣深いのだが。


 温泉好きだったというアキツシマ民の末裔とはいえアヤカさん自身は温泉など未経験だったはず、きっと戸惑うだろうなと思っていたのだけど……初めて浸かった日からデロデロにとろけまくっている。よっぽど気に入ったらしい……やっぱり、温泉大好きの血が彼女の中に脈々と流れているのだろう。


「いつまでも浸かっていたいくらいです……マルグレーテ様も、早くおいでになられては」


「うん、だけど……ちょっと待って!」


 一方、まったく慣れないのが、グレーテルだった。そもそもベルゼンブリュックでは、明るい屋外で素の身体をさらすということ自体が「ありえない」文化なのだという。俺とアヤカさんがいちゃついているのを見て勢いで服を脱いだものの、あとはタオルをぎりぎりと身体に巻いて固まっている。


「こういうものは、やってしまえば何てことはないものですよ」


 見かねたアヤカさんが湯から上がって、ほとんど石像のようになっているグレーテルに近づく。彼女の言葉が微妙にえっちに聞こえる俺は、心が汚れているのだろうか。


「そんなこと言われたって……」


「このままでは、らちがあきませんね。では失礼して……えいっ!」


「ひゃあぁっ!」


 アヤカさんがグレーテルの身体を守っていたでっかいタオルの端っこをすっとつまんで引っ張ると、なぜだかするっとそれが抜けて、宙に舞った。怪力のグレーテルが全力で押さえていたはずなのに、どういう秘技なのだろうか?


 必死で露出面積を小さくしようと身体を丸めるグレーテルの背中に、アヤカさんがゆっくり掌で触れて、語り掛ける。


「大丈夫です、マルグレーテ様の鍛え上げられた身体は、まるで神像のごとく美しいですよ。きっとルッツ様も魅了されること間違いありません。さあ、ご一緒に……」


 アヤカさんに優しく手を引かれ、あんなところやこんなところを隠しながらおずおずと浴槽に近づくグレーテルを見ていると、これまで平静だった俺も、あらぬところを元気にしてしまう。そうなんだよな、元世界でも経験ある。混浴って相手が普通にしていればどうってことないんだけど、恥ずかしがられると不思議にえっちに見えちゃって、興奮するんだよ。


 やっとのことで岩風呂に身を沈めたグレーテルは、少し落ち着いたみたいだ。何しろ硫黄分のたっぷり入ったこの温泉は乳白色に濁っていて……水面下の身体をいい感じに隠してくれるのだから。


「うん……あったかいわね。だけど冬の外気が頭を冷やしてくれるって言うのがすごく心地いい……帝国人が温泉をこよなく愛するというのが、わかった気がするわ」


 うん、ようやく彼女にも、温泉の良さが少しだけ伝わったかな。文化の違いはなかなか埋められないけど、できれば俺やアヤカさんの愛する日本っぽい文化を、グレーテルにも理解して……好きになって欲しいんだ。


 少しずつ、少しずつだけど彼女の硬さが取れて、頬が緩んでいく。


「ルッツのいた世界には、こんな湯浴み習慣があったの?」


「うん。日本という国にはこんな風に湯が湧く場所があちこちあってね。人々が、疲れたり傷付いたりした身体や心を、癒しに来るんだ。俺も、風に吹かれながら湯に浸かるのが、大好きだったなあ」


 そう、何を隠そう俺も大の温泉好き。子供ができるまではよく嫁と一緒に山奥の秘湯に出かけたもんさ。そして会社をリタイヤしたらまた一緒に全国を……って話していたのに、嫁が先に旅立ってしまって……その機会は失われてしまったんだけどな。


「そっか……うん、ルッツが気に入ってたものなら、私も好きになれそう」


 意外に健気なことを言って頬を染めるグレーテルが、やたら可愛く見える。思わず彼女の手を取れば、グレーの瞳が一瞬だけ強い光を放って……だけどすぐに照れ隠しなのか、横を向いてしまう。


「ベアトお姉様も、来てくれるといいね」


「そうだな」


 グレーテルの言葉にうなずく俺だけど、実際のところ公務に忙しいベアトが、ここまで来てくれることはないだろう。何しろここは王都から見ればはるか彼方の辺境なのだ、王族の豪華馬車では何日かかるか分かったものではない。


 さまざまの思いを抱きつつ、俺たちはしばらく無言で、西の山に沈もうとする夕陽を眺めていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 バーデン領はその後、温泉ブームに沸いた。


 もともと帝国人は温泉好きの混浴文化だったけど、彼らにとって温泉とはユカタの親分みたいな湯浴み着をまとって楽しむもので、素肌をさらすものではなかったそうだ。


 そこに俺や闇一族が、何も身にまとわず湯につかる楽しみを持ち込んだのだ。濡れた衣服が肌に張り付く不快感から解放された気分を一度味わったら、戻れるはずもない。あれよあれよという間に「千人風呂」は裸の男女であふれた。心地よさもあろうが、もちろん異性の身体を間近に観察できることも、楽しみの一つだ。女性は無遠慮な視線を男どもの全身にじろじろ向け、男はやや遠慮がちながら、明らかに特定の場所を凝視している。


 これ以降、マックスの元に提出される奴隷同士の結婚届がぐぐっと増えたのは、嬉しい誤算だったけどなあ。



◆◆◆ 6/3近況ノート更新しました イラストレーター様決定 ◆◆◆

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