第145話 死の谷って何?

 鉱山への道も開通し、男たちがせっせと石畳舗装に勤しんでいる。技術者たちは岩山に入って、どこから坑道を掘り始めるか喧々諤々議論している。


 そんな中、鉱山技術者から妙な報告が上がってきた。


「岩山に『死の谷』があるって?」


「そうなのです。いつも霧のようなものが立ち込め異様な匂いも漂っており、迷い込んだらしい鹿や猪の死骸が転々としておりまして。流れ出てくる川には魚も住まず……あれは死の谷としか表現しようがございません」


 浅黒い顔色をした技術者の男は恐ろしげに話すが、俺には彼の言う「死の谷」がなんだか、わかるような気がする。


「もしかしてそれは、いいものかも知れないよ」


「いいものですと?」


「うん、疲れた身体を癒やす、いいものさ」


 俺は早速マックスから高位の土魔法使いと、そこそこの風魔法使いを大勢借りて、男が死の谷と表現した現場に向かった。三万弱の奴隷たちの管理はマックスにお任せしちゃっているから、俺は暇人なんだ。グレーテルは今日も木こりの女王を務めるのに忙しく、一緒に来てはくれなかった。


「ここです、ひどいもんでしょう……」


 技術者が指差す先にはもやがかかり、動物の骸骨が転がっている。強い匂いが漂ってくるけど……俺にはこの匂い、覚えがある。


「ルッツ様、これはもしや……」


 護衛に帯同してくれたアヤカさんにも、思い当たるところがあるようだ。さすがは日本っぽい文化を持つ闇一族……よし、早速試そう。


「風魔法使いは、風を谷に送り続けて!」


「はいっ!」


 三十人ほどの魔法使いが一斉に詠唱すると、谷の入口から上流に向け、かなりの風速で風が流れ始め、モヤが晴れ始める。これでしばらくは安全だな。俺たちは土魔法部隊といっしょに谷へ踏み込む。


「よしっ、ここだ。みんな、片側の崖に、穴を開けて!」


 俺の命令一下、土属性魔法使いたちが一斉に、岩壁を削り始める。高位貴族ではないから一人ひとりはCクラス程度だけど、なにしろ数十人がまとまって掛かるのだ。車一台くらい通れるような穴が徐々に伸びて……やがて向こう側に貫通する。通り道ができたことで、それまで淀みまくっていた谷の空気が、風魔法の力を借りずとも自然に動き出す。


「思ったとおり。これでしばらく安心」


「領主様、何をされたので?」


「この谷は両側を崖に挟まれて、毒の空気がたまっていたんだ。風が流れるようにしたことで、毒がたまらないようにしただけさ」


「そんな毒が、どこから……」


「ほら、そこ」


 俺が指差す先には、白色に濁った湯がこんこんと湧き出し、盛んに湯気を上げていた。硫黄系の温泉には、硫化水素をばんばん出すタイプがあって……アレは空気より重いからこういう閉じた地形だと溜まっちゃうんだよね。


「まあっ! やっぱりこれは、温泉というものですわね!」


 アヤカさんが、いつもに似合わず弾んだ声を上げる。


「そう。闇一族も温泉、好きかな?」


「アキツシマにいた頃は、盛んに温泉を楽しんだと伝えられております。ですが流浪の時代にそんなことができるわけもなく……ベルゼンブリュックにはいで湯を愛でる習慣はなし。私も温泉というものを、初めて見ました!」


 やっぱり彼女たちの故地アキツシマは、日本文化っぽい。いつも落ち着いた風情を漂わせているアヤカさんが、伝え聞き憧れていた温泉に目をキラキラ輝かせているのを見ると、俺まで気分が弾んでくる。


「よしっ、温泉リゾート作ろう!」


◇◇◇◇◇◇◇◇


 開拓の合間だから温泉造りなんて暇なことはゆっくりやろう、そう考えていたのだけど、実際には帝国人たちがはっちゃけて、突貫工事みたいな勢いで工事が進んだ。とりあえず空気抜きの穴を開けただけの崖は土属性総動員で完全に崩され、均された土地には大小さまざまのログハウスが組み上げられ、その中には石造りの、あるいは白木造りの浴槽がしつらえられ、それぞれに湯が引き入れられている。


 そして俺がちょっと草津あたりの大露天風呂を思い出して「うんと広い野天風呂ほしいな」とか口を滑らせたら、帝国の連中が「領主様の許可が出たわ!」とかなんとか騒いで、まじで千人くらい浸かれるんじやないかという大露天岩風呂をこさえてしまったのだ。いや、嬉しいんだけど……


「ねえマックス、みんな他の仕事は大丈夫なんだよね?」


「いやまあ……帝国人は温泉と聞いたら他のことは耳に入らなくなるからなあ。むしろちょっとくらい開拓を遅らせても温泉施設を早く造ったほうが、結局その後の能率が上がるというか……」


 よく聞いてみると、寒冷で火山の多い帝国では、冷えた身体を癒やしてくれる温泉は、欠くべからざる生活必需品なのだとか。ところがベルゼンブリュックにはそんなものはなく、うっぷんを溜めていたところに今回の発見……一気に盛り上がってしまったというわけらしい。


 帝国人が温泉好きとは、意外だった。こないだまで敵だった相手だし、なかなか隔意が取れなかったけど、なんか急に距離が縮まった気がするなあ。


 ま、ここまで来たら、当然……我が妻たちと混浴キメないとな!



◆◆◆ 書籍化、ゆっくりですが進行しております。イラストレータ様が決まりました、詳細は近況ノートをご覧いただけると。 ◆◆◆

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