第143話 幸せなはずだけれど

「幾久しく、よろしくお願いいたします」


 族長館の寝所で、しとやかに三つ指をつくアヤカさん。グレーテルにこれやられたときには凄い違和感があったけど、アヤカさんがやると俺の感性にしっくりはまる。まあ、寝所も洋間のベッドじゃなく、昭和日本人にはなじみ深い、畳間だしな。


 そのグレーテルとは最近毎夜運動会を開催していたけれど、今夜は「もちろん、アヤカの日よ!」と宣言して、さっさとログハウスに帰ってしまっている。いつもより酔っ払っているように見えたけど、大丈夫だろうか。


「ですが……マルグレーテ様には、誠に申し訳なき仕儀にて……」


 俺の想いを共有したのか、アヤカが気づかわしそうな表情をする。


「うん、グレーテルはいろいろ複雑だろうけど、彼女は思いやりのある子なんだ。アヤカさんのことも尊重してる……彼女がせっかく作ってくれた機会なんだ。一生の思い出を作ろう」


「は、はい……」


 そして、俺はゆっくりと、洗礼の日にそうしたように、できるだけ優しく、コトを終えた。静かに寄り添って、眠ろうとした直前のこと。


「今日は、魔法を解いておりますので……できたかもしれません」


 彼女の言う「魔法」は、まあいわゆるアレだ。ポコポコ無計画に子供を作っていたら、女性魔法使いが動かしているこの社会は、まったく回らなくなる。なので火と金以外の属性を持つ魔法使いは、まず基本の魔法として望まぬ子供ができないようにする術を教えられるのだ。


 え? 火属性と金属性の女性はどうするのかって? それは我慢するしかないのだよ。


 おっと、思考がそれた。ホノカが生まれた後もアヤカさんとする機会は何回かあったけど、彼女は魔法で妊娠を防いでいたんだ。今日はそれを黙って解いたということは……


「私も、ルッツ様に愛しんで頂いた証を、欲しくなりました。もう二人も珠のような子を授けて頂いているというのに……私は欲深い女ですね」


「そんなことないよ。俺だって、アヤカさんの子なら、何人でも欲しい」


「ありがとうございます。ですが、マルグレーテ様の心情を思いますと……」


 そう。もう今月は、グレーテルとの間に子がデキていないことがわかってしまっている。ここでアヤカさんとの間にさらに一人……ってわかったら、彼女はモヤモヤするだろう。だけど、彼女を思って作ることを控えていれば、配慮されたことを感じとって悩む、めんどくさい子なんだ。


「大丈夫、グレーテルだって、アヤカさんが彼女を尊重してくれてることに感謝しているはずさ。だから今日の結婚式を、準備してくれたんだから」


「本当に、情の深いお方。私のような者に対しても、思いやりを向けてくださいます。それだけに、申し訳ない思いで……」


 長いまつげが伏せられ、行燈の明かりが作る影が揺れる。俺は黒髪のボブを、思わず胸に引き寄せていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 翌日家に帰ると、ベアトから手紙が届いていた。


 いつもは味気ない業務連絡から始まる彼女の手紙なのだが、今回ばかりはプライベートの話題から始まっている。


「ルッツ。私にとって人生で一番嬉しいことがあった。子供ができたらしい」


 便箋に記された文字は、流麗だが事務的ないつものそれと違って、少女らしく弾んでいる。書き手の高揚が、そのままペンに伝わっているようだ。「当分会えないから王都にいる間に……」ってさんざん訴えられていたけど、それが叶ったみたいだ。産まれるまでにはまだいろいろ大変なことがあるだろうけど、ベルゼンブリュックの光属性治癒魔法使いは大陸最強だ、まあ安心だろう。


 女王陛下の喜びも格別のようで、すでに専属治癒魔法使いを付け、公務もデスクワークだけに絞って、もういつでも「こんにちは赤ちゃん」状態らしい。少し先んじて母になるであろうクラーラからも、つわり防止をはじめとした妊婦に役立ついろんなポーションが届いているのだとか。


 そして明らかに彼女の魔力は、受胎を自覚したとたんに上がったのだという。


「今なら王都周辺の麦を大豊作にできるような気がする。だがやたらと張り切っている母様に、外回りの公務を禁止されてしまったのが残念」


 ということは、子供の魔力はSクラスのベアトを上回る……SSクラスは確実ってことか。母さん一人だったSSクラスが、ついに王室にも誕生するのだ。陛下が盛り上がるのも無理ないことだな。もっとももう一人、隠れSSがバーデンの忍者屋敷にいるわけだが。


「こんな宝を私に授けてくれたルッツには、感謝の言葉も見つからない。必ず丈夫な子を産んで、国を背負って立つ娘に育てて見せる」


 そうだ、ベアトの娘は、俺と彼女にとっての宝物という意味合いより、王統を継ぐべき正しき血統の者としての意味合いが強いよな。まだ産まれてもいない子にそんな責務を負わせることはどうなのかって思わないでもないが……この世界は、そういう世界なんだ。


 自分の感情をいつもの数十倍くらい、さんざん書き連ねた後に、一行だけこんな文章が足してあった。


「アデルも妊娠した。恐らくほとんど同じ時期の出産になるだろう、楽しみだ」


 もちろん、疑いなく俺の種だ。あのアデルと、不本意ながら美少年である俺の子だ、きっと〇塚スター一直線の凛々しい子になるだろう。GL趣味だけは、似て欲しくないが。


 じわじわと喜びをかみしめる俺の背後からしなやかな手がすっと伸び、自然に手紙を奪っていった。手の主は表情を変えることなく手紙を読み終え、一言だけ発した。


「そっか。ベアトお姉様が……良かったね、ルッツの功績がまた認められるわ」


 口角を上げて笑みを浮かべるグレーテルが、何か無理をしているように見えたのは、気のせいだっただろうか。

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