第139話 幼馴染と……


「ルッツ、大丈夫? ぼうっとしてると危ないよ?」


 隣を行くグレーテルの声に、ふと我に返る。いかんいかん、馬の背に揺られながらも、ついベアトの面影をまぶたに浮かべてしまっていたようだ。すっかり俺の妻らしくなったベアトとの別離に、つい感傷に浸ってしまっていたらしい。


 そういや、同じく俺の妻になったグレーテルなのに、結婚式以来この一週間というもの、放って置きっぱなしだった。それは、王太女の立場ゆえ王都にとどまらればならないベアトに、俺との時間を最大限プレゼントするという彼女の配慮であったそうなのだが……ちょっと前までの嫉妬深い姿を見ている俺には、なかなかその行動は意外だった。


 夜をベアトが独占する代わりに、昼は私が……とか言い出すんじゃないかと予想していたのだが、グレーテルには何か俺に内緒でやりたいことがあるらしかった。忙しそうに街で動き回っていて、俺のことなんか相手にしてくれなかったんだよね。いつもならうざいくらい構ってくる彼女のそっけない態度に、少し寂しさを感じるのは、男の身勝手さというものなのだろう。


「うん、つい考え事をね。注意してくれて、ありがとう」


「来年の夏には、また王都へ帰ろうね。その時にはまた会えるから」


 彼女の返事は、俺の頭をベアトが占領していたことを承知しているかのようだ。これはいかん、これからグレーテルと初めての夜を迎えるというのに、このままでは失礼っていうもんだよな。


「ごめん、今日はグレーテルのことだけ考える」


「ふふっ、そんな顔しなくていいよ。ベアトお姉様はこれから半年以上、ルッツと会えないんだもん、一週間くらい独り占めさせて差し上げなきゃ、可哀そうでしょ! でも……」


「でも?」


「これから先は、私を思い切り可愛がってね。もちろんアヤカもだけど……」


 なんか急にグレーテルが、健気で素直な娘になってしまったことに、戸惑う俺だ。それに、側室としては格下になるアヤカさんにまで気を遣うとこなんか、ずいぶん大人びてきた。まあ最近は嫉妬しても俺に殴る蹴るしなくなった彼女だが……結婚式のあたりから、やけに可愛くなった気がするんだよなあ。


 そんなグレーテルが、今夜俺の……実質的な妻になる。それを想像すると……胸がどきどきと沸き立つような気分だ。ヤバい、行軍中だというのに、元気になってしまう。


 今夜を過ごす街は、もうすぐそこだ。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 ようやく着いた一日目の宿。


 町一番の宿屋だと言うが何しろ小さな町のこと、建物は格調高いデザインだけど何しろ古く、扉を開ける時はギシギシ言うし、廊下を歩けばまるで二条城の鳴き廊下みたいにキュッキュキュッキュと音がする。掃除が行き届いていることだけが救いだが……いずれにしろ、このうらぶれた旅館が、俺とグレーテルがハネムーン初日を過ごす場所なのだ。


「ルッツ様。不束者でございますが、末永くよろしくお願いします」


 うん? 目の前で三つ指などついてかしこまるこの女の子は、一体何なんだ?


 もちろん、解いて自然に流したストロベリーブロンドと、強い光をたたえるグレーの瞳は、見間違えるはずなどない俺の愛する幼馴染、グレーテルのものだ。だけど彼女は、男に向かってこんなへりくだって殊勝な言葉を吐くようなタマではなかったはず。一体彼女に、何が起こったのだろう?


「あれ、気に入らなかった?」


 不意に口調を戻して、意外そうな顔をするグレーテル。


「いや、とても新鮮だったけど、驚いて言葉が出なかったと言うか……あのさ、そんなマナーどこで覚えてきたの?」


「うん、ルッツがいた世界は闇一族の社会にそっくりな文化だって聞いたじゃない? だから下町まで行って闇族長にあれこれ聞いたのよ、初めての夜にどう振る舞ったら、男性は喜ぶのかって」


 うはあ。その結果が三つ指ついての「不束者で……」なのか。なんか若干斜め上な気もするけど、彼女なりにこの夜を盛り上げようと努力したことは実によく理解したぞ。だけど、目鼻立ちのはっきりした、もろ西洋系美少女のグレーテルに正座されて三つ指突かれても、何だか前世のテレビで見た、斜陽の温泉旅館に嫁いできた外国人若女将みたいな絵面で……可愛いけどめちゃくちゃ違和感がある。


「なによぅ……」


 思わずぷっと吹き出した俺に、不満そうに口をとがらせる彼女。やっぱりこっちのほうが、グレーテルらしくて、俺は好きだな。


「ごめん、俺のために頑張ってくれて、ありがとう。だけど俺は、いつもの強くて元気で、ちょっとわがままなグレーテルの姿が大好きなんだ。アヤカさんにはアヤカさんの、君には君の魅力があるんだから、普通に振る舞って……そして、愛し合おう」


「あっ……うん、はいっ……」


 俺の言葉に頬を染め、うつむくグレーテルは、めちゃくちゃ初心っぽくて可愛い。そうだよな、あっちこっちに節操無く種付けをしまくっている俺と違って……彼女にとって今夜は、一生の記念日なんだから。


「できるだけ、優しくする」


「……」


 言葉は返ってこないけど、上げられたグレーの瞳が、真っ直ぐに俺に向けられる。ゆっくりと唇を重ね……少し震える背中に掌をおいて、静かに彼女をシーツの海に沈めた。

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