第135話 ベアトと……

「はぁ……やっぱりルッツは、いい匂いがする」


 すっかり犬系彼女に戻ったベアトが、また俺の胸に顔を埋めて、なにやらくんかくんかと鼻をうごめかしている。披露宴の夜会で見せていた、高貴で上品で清冽な雰囲気はどこかにおいてきて、ただ無邪気に甘える小動物のようだ。


 ようやくめんどくさいセレモニーも終わって、湯浴みを終えた俺とベアトは、寝室のソファに二人並んで座って、まったりいちゃいちゃしている。


 そうなんだ、ようやくだけど、いよいよ俺たちの初夜なんだ。


「じゃ、私は侯爵家に帰ってるからね、また明日!」


 同じく今日、俺の妻になったはずのグレーテルは、そんな明るい声を発して、実家であるハノーファー邸に戻っていった。どうもベアトと何か協定を結んでいるらしく、驚くくらいあっさりと。


「グレーテルが、蜜月を譲ってくれたのだ。『自分はバーデンに戻れば毎晩でも愛してもらえる、王都にいる短い間はすべて、ベアトお姉様の時間に』だそうだ……あの子は優しいな」


 ヤキモチ焼きのグレーテルが……でも、何か納得する俺だ。直情的で時々いろいろ間違えるけど、彼女の内面は、とっても暖かいんだ。ああ、今頃実家でひとり、枕を濡らして泣いているのではないだろうか。


「多分、泣いてる。だから王都を離れたら、グレーテルを思い切り可愛がってやれ。あの子は私と違って丈夫だから、ルッツが本気で何回しても、びくともしないだろう」


「いやいや、俺はそんなに無茶は……」


 またナチュラルに俺の思考を読むベアトに、ちょっと反論してみる。俺だってそれなりに経験値を積んだんだ。思春期とはいえ、それほど猿じゃないぞ。


「聞いているぞ。クラーラ姉の時は腰が立たなくなるまで容赦なく、したというではないか」


 うぐっ。この姉妹はそんな話まで、隠さずするんだ。ひそかに仲良しってのは本当だったんだなあ。だがベアトは俺の猿っぷりをディスりたいわけではないようだ。真顔に戻って、翡翠色の瞳を、真っ直ぐ俺に向けてくる。


「ありがとうルッツ。私の無茶な注文に応えてくれて。バーデンから戻った後のクラーラ姉は、まるで出かける前とは別人のように生き生きしている。ルッツが、あの頼りなかった姉さんに、自信を与えてくれた」


「あれは……クラーラ殿下が魔力の少なさに腐ったりせずに鍛錬を続けて、抜群の魔法制御力を身に付けていたからだよ。俺はただ、彼女に魔力を補給しただけさ」


「違う。クラーラ姉はしみじみ言ってた。闇の中でもルッツが道を指し示してくれるから、自分は前に進めるのだと。そして、優しく背中を押すルッツの言葉で、全身に力が溢れてくるのだと」


 うっ、クラーラの過剰評価がやたらと重い。彼女に自信を与えろってベアトに命じられていろいろ頑張ったけど、ちょっとやりすぎたかも知れない。クラーラが俺を見る目は、バーデン滞在最後の頃になると、まるでリーゼ姉さんみたいに新興宗教モードに入ってたような気がするしなあ。俺は教祖様になる気は無いのだが。


 そんなことを思いながら、俺は何気なく部屋着の上を脱いで、肌着だけになる。季節は冬だがさすがは王族の寝室、火と風の魔道具が程よく効いて、かなり暖かい……むしろこの暖房、効きすぎだ。


「ルッツ、それは……」


 珍しく動揺したようなベアトの声に驚いて視線を向ければ、彼女はただでさえ大きなその目を三割増し大きく見開いて、俺の胸辺りを指差している。


 その先には、クラーラが別れ際にくれた小さな小さな神像が。女性の小指くらいのごくちっちゃなやつだが、金属性の達人らしい精密な細工が見事な一品だ。なぜかグレーテルから「肌身離さず持っていろ」と命じられて……紐が通せるデザインだったから、素直にペンダントとして首から下げている。


「ああ、クラーラ殿下が別れ際に贈ってくれたんだ。可愛いよねこの人形……」


「いや、だがしかし、それは……」


「どうしたの? この人形、何かおかしいのかな?」


 それとも自分の男が、姉とはいえ他の女から貰ったものを嬉々として持っていることに、妻として怒っているのかな。ベアトはそんな嫉妬をするタイプじゃないと思うけど……グレーテルじゃあるまいし。いやこの人形に関しては、ヤキモチ焼きのグレーテルも「持っていろ」って言ってたんだよなあ。


 俺の問いに答えようとしたベアトが、はっと言葉を飲み込んだ。


「いや……別に、何でもない。それは……とても、いいものだ。肌身離さず着けておくべき」


 うん? なんか反応が、グレーテルの時と同じだぞ。一体この人形に、何かおかしいところがあるのだろうか。まさか呪いとか掛かってたりして……まあそれはないか、グレーテルもベアトも「持っていろ」って言ってるんだし、何よりあの純真な箱入り王女クラーラが、俺に害をもたらすわけがないからな。


 結局俺は、疑問の声をそれ以上上げることはなかった。だってこれからは、ベアトと二人きりの、待ちに待った時間だもんな。


 だけどここで流してしまったことを、後々後悔することになるのだが。


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