第134話 披露宴

 いやはや、今日は実に忙しかった。大聖堂での結婚式の後は、教会の前へ集まった民衆にお披露目。そして八頭立ての王室専用馬車で市中引き回しされ、やっと落ち着いたかと思えば次は王宮で披露宴、それも二部制のダブルヘッダーだったんだぜ。


 前世の結婚披露宴ではひたすら注がれるビールを腹に流し込むことだけが仕事だった俺だけど、ここではあちこちの要人と、気の利いた会話などしないといけないらしい。ベアトは普段の鉄面皮を緩めて微笑んでやるだけで相手は満足するのだが、婿の俺はそうもいかない。相手の家族構成を把握し、領地の特産なども知った上で、ツボを抑えた話題を振るのが義務なのだという。日本では俺も営業を経験したが、それに近い感覚だな……それにしたって相手の数が多すぎて何がなんだかわからん。


『この方は、ヴェッター子爵家のお婿様、バルナバス様。ヴェッター領はよき葡萄の産地で、本日の宴に供される甘口の赤ワインは、彼の地で醸されたものです』


 耳の奥に、ひそやかにそんなささやきが忍び込んでくる。その声は俺の十メートルほど後ろに男姿で控える、アデルのものだ。俺の前に立つ招待客が入れ替わる絶妙のタイミングで、客の素性と会話の糸口になるであろう重要事項を、こっそり教えてくれてるってわけなのさ。


 離れたところにいる狙った人間の耳にだけささやきを届けるこの技は、彼女の風属性魔法によるものだそうで、こんな便利な技があったかと感心しきりだ。そしてその情報は簡潔だが的を射たもので……アデルの指示通りに赤ワインのコクを褒めれば、婿殿はぐっと身を乗り出し、自慢のあれこれを語り始める。凄いな、注文通りだ……さすがは開校以来の才女と讃えられるだけある。


「さすがは王室の知恵袋とささやかれるルートヴィヒ侯ですな。我が子爵家のような零細貴族が唯一誇りとする産物までご存じとは。これからもそのお知恵を、ベアトリクス殿下のために献じられんことを」


 アデルのおかげでこの婿殿はすっかり上機嫌になって、当主たる妻のほうに戻っていった。彼はきっと俺たちに好意的な印象を、当主様にも伝えてくれるだろう……まずは良かったよなあ。こうやってじわじわ味方を増やしていくのが、社交ってものなのだろう。


 そしてやっぱりこの世界でも、新郎というものはひたすら飲まされるものらしい。


 ベアトはさっきから同じグラスをただ持っているだけで済んでいるのに、俺の方にはどんどん知らないおじちゃんおばちゃんが訪れては、次々とワインの乾杯をやたらと強引に迫ってくる。前世で中国のお客さんを接待した時を思い出すなあ……毎度飲み干すのが礼儀だったんだよな。だけどそれは、中世ヨーロッパ的なこの国の流儀ではないはずだけど。


 いかん、さすがに酔いが回ってきた。これはこのままいくと、醜態をさらすことになってしまうな。


 ふと気づいてみれば、俺に乾杯突撃を仕掛けてくる連中は、決まってある一団から集中して出撃してくる。その集団に囲まれて、少し困った顔をしている栗色の髪と茶色い瞳の、控えめな女性は……間違いない、クラーラだ。


 俺が視線を向ければ、スミレの花みたいに控えめだけど嬉しそうな笑顔になってこっちに近づいてこようとするけど、取り巻きががっちりとそれをブロックして、まったく距離が縮まらない。バーデン領ではあんなに近くで愛し合ったのに、やっぱり王都へ帰れば対立陣営だ、こういう関係になっちゃうよな。


 だけどようやく、不自然なくらいやたら飲まされる理由がわかった。奴らは俺が酔っ払ってみっともない真似をするのを指さして「やっぱりあの婿は成り上がり者。そんな男を配偶者に選ぶベアトリクスは女王にふさわしくない」って声高に騒ぐつもりなのだろう。


 なんだかガキみたいないじめだが、表向きは友好的だから断りづらい、ずるい戦術だ。実はそろそろ、足元の地面がぐらぐら揺れるようになってきているんだ、こうなったら前世の経験上、沈没は近い……ごめんベアト、だらしない婿の俺を許して欲しい。


 だけどその時、足のふらつきと頭痛がすうっと嘘のように消えた。思いっきり傾いているように感じていた絨毯床も、今は平らかだ。驚いて横を見ると、そこには瞳を輝かせている、頼れる幼馴染の姿が。


「ふふっ、社交は代わってあげられないけど、酔いならいくらでも醒ましてあげるからね」


 そんなことを言って口角をきゅっと上げるグレーテルは、また一段と可愛いかった。彼女の光属性治癒魔法は失った手足すら復活させるというお宝魔法で……これを酔い覚ましに使うとは贅沢極まりないが、掛けてくれなかったら俺は高位貴族たちの前で大醜態をさらすことになりかねなかった。感謝感謝だな。


「あの連中の狙いなどわかっている。ルッツを酔い潰し、間接的に私を非難するつもりなのだ。だが、奴らは考えが足りない……光属性随一の治癒魔法使いが、ルッツの傍に控えているというのにな」


 信頼にあふれたベアトの褒め言葉に、グレーテルが誇らしげにきゅっと背筋を伸ばす。相変わらず単純で、わかりやすい幼馴染だなあ。


「お任せください! ルッツとベアトお姉様をお守りするのが、私の使命ですから!」


 結局俺は、ものすごく優秀な女性たちに守られ、面目を失わずに済んだようだ。

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