第131話 名馬、懐く

「よくやったルッツ。もう、宰相家に通わずともよい」


 ベアトにこう言われたのは、侯爵家で三日続けて熱い夜を過ごした後。グレーテルと一緒にランチした後、ゆっくりと王女宮に伺候した時のこと。


「え、ということは……」


「そういうことだ」


 はあ。いつものことながらベアトは身内に対して言葉が足りない。そんなことを思っていた俺は少し不満顔をしていたのだろう。ベアトがその陶器人形みたいな口許を少し緩め、右手を上げた。その視線の向かう先にある大扉がゆっくりと開き、そこには宮務官僚の制服をまとったアデルハイド嬢がいた。


「王太女殿下と侯爵閣下に、ご挨拶申し上げます」


 彼女の制服は女性用のドレスタイプではなく、男性用のジャケットパンツスタイル……やっぱ〇塚タイプには当然こっちだよな。当然カーテシーなどはしない、男性貴族のやる右手は胸に、左手は横に……ボウアンドスクレープってやつでご挨拶、これがやけに格好良くばっちりハマってるじゃないか。そしてキリっとした男姿から発せられる声質は女の子っていうのが、なにかアンバランスでそそられる。


「うん、ちょうど今、アデルの話をしていたところ」


「光栄です。私、本日よりベアトリクス殿下の秘書官補佐を拝命致しました。シュトゥットガルト侯爵閣下には、お見知りおきのほど」


「アデルはこれから、この王女宮に住んでもらうことになる。ちょうど今頃、アイゼンベルク邸に荷物を引き揚げるための馬車が着いた頃だ、きっと大騒ぎになっているだろうな。何しろこの人事は、今日の昼前に母様から宰相に通達したばかりだからな」


 うはあ。不意討ちで通達したってわけか。これでまた恨みを買わないといいけど……まあもともと宰相は反ベアトの旗色がはっきりしていた人だというし、恨まれても今更か。


 そんなことより、まずはベアトが熱望していたという人材がようやく来てくれたんだ、お礼を言わねば。


「そうか……アデルハイド嬢、ベアトの傍に仕えて助けてくれる気になってくれたんだね、ありがとう。だけどこれからしょっちゅう一緒にいる間柄なら、俺のことももう少し気楽に呼んでくれないかな、ルッツでいいよ」


「はっ、それでは他の者がいない席では、ルッツ様と。小職のことはぜひ、アデルとお呼び捨て下さい」


 そうか、アデル、かあ……響きがとっても素敵だな。


「普通は、アデルハイドの愛称はハイジになるのだがな……」


「それは、家族が私を呼ぶときの名前でした。ですがもう、彼らと違う道を歩くと決めたのです。ベアト様とルッツ様には、違う名前でお呼びいただきたいのです」


 ベアトの突っ込みに、アデルハイド……アデルが真面目に応じる。そうか、彼女は家族を捨てる決心をして、対立するベアト陣営に身を投じてくれるのだ。


「じゃあ、アデル。嬉しいよ、君がここに来てくれたということは……」


「ええ、男性とつがうことは素敵なことだと、ルッツ様にわからされてしまいました。賭けは私の、負けということですね」


 少し頬を桜色にしつつ、口許を緩めるアデルに、胸が大きく鼓動する。そしてじわじわと、達成感のような征服感のようなものが、心を満たしていく。俺はベアトとアデルの期待に、応えられたんだなと。


「まあ、仕官に当たっては幾つか難しい条件を出されたが……それさえかなえれば今日から来てくれるというので、思わず丸呑みしてしまった」


「難しい条件って?」


「一つは、ルッツも予想できるだろう。ルッツの非公式愛人として認め、たまさかの逢瀬を認めることだ」


 ああ、そこに行っちゃうのか。まあ「男の良さがわかれば」仕えるっていう条件だったし、それなら忠義の報酬にその「良い男」をあてがうってのは、わからなくもない。「良い男」が、俺じゃなかったらだけど。


 まあ、種付けはベアトの専権事項だ、俺の意志など関係なく、せよと言われたらするしかないよな……いや正直に言おう、彼女とのそれは、適度な倒錯感も絶妙なスパイスになって、かなりいい。リクエストがあったならば、喜んで猿になれる自信がある。


 そうなると、ハイジって呼ばずに済むのは助かった。その名前はどうしても、大昔のアニメで出てきた、ほっぺたに赤丸つけた騒々しいガキを想像してしまうからなあ。第一王女に仕えたら「クララが立った!」とかやっちゃいそうだな。名前を呼ぶたびにあの顔を思い出したら萎えちゃって、愛人の目的が果たせなくなっちゃいそうだ。俺はペーターくんじゃないし。


「うん、わかった……で、二つ目もあるんだろ?」


 俺が何気なく二つ目の条件に話を振った瞬間、白皙の頬が一気に真紅に染まる。なんだ、この激烈な反応は?


「いや、あの……それはだな……」


 言葉は足りないがいつも歯切れのよいベアトが、珍しく言葉を濁している。明らかにこれはアデルの待遇なんかの話じゃなく、ベアト自身に対する何らかの条件を出されていて……彼女はそれを思い切って飲んだんだ。だけど、いつもは冷静なベアトがこんなに恥ずかしがるなんて、一体何を約束したんだ?


「ごめん、恥ずかしすぎて言えない。結婚式の後まで待って……」


 結局ベアトからは、真相が聞き出せなかった。なんだかモヤモヤするんだけどなあ。


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