第127話 ターゲット令嬢
「さっきから、こちらをじっと見ている方がいらっしゃいます」
気配を読むことに関しては抜群のアヤカさんが、幕間にそっと俺の耳にささやく。当然のことながら俺は、全く気付いていなかったけどな。彼女がひそやかに示す方向を注意深く見れば、反対側のボックス席からこっちをじっと見ている、キリッとした雰囲気を持った妙齢の令嬢がいる。
「ホントだ、誰だろう?」
「アイゼンベルク侯爵家アデルハイド嬢よ。お歳は十七歳……ベアトお姉様と同級ね」
グレーテルが即座に答える。こう見えて意外に彼女は交友が広い。「英雄の再来」として学友たちの間で人気が高く、俺以外に対しては殴る蹴るなんて真似はもちろんしないし、英雄っぽく外面を作っているからな。まあ、そういや最近は俺も痛い目にあわされていないから……彼女も少しずつ大人になってきてるのかも知れない。
だが俺は、令嬢の名前を聞いてひきつってしまっていた。だってその令嬢は、昼間ベアトが「種付けしろ」って命じた、まさにそのお相手なんだから。
「どうしたのルッツ?」「どうされましたの?」
「うん、実は……」
隠しておくとまたグレーテルにキレられ、アヤカさんに悲しそうな顔で圧を掛けられそうだから、ここは正直にぶっちゃける。
「なぜベアトお姉様は、宰相家のご令嬢に種付けを命じられたのか……」
「宰相家って、確かクラーラ殿下支持派だよね?」
「そうね、ベアトお姉様の王太女に表立っては反対していないけど、実際にはクラーラ様推しの貴族たちのトップと言っていい方よ」
まあ、そうなるだろうな。何を考えてるのかその表情からまったく読み取れないベアトは、宰相からしたら操りにくくて仕方がない。あの純朴で押しに弱いクラーラが女王になってくれれば、国政は宰相の思うがままだろうし……その地位も安泰ってわけだ。
だけど、そんならなおさら、潜在的な敵である宰相家の娘に「神の種」を与える理由がない。ベアトはなんで、わざわざ敵に塩を送るような真似をするんだろうな?
「ベアトお姉様は完璧王女だけど、王立学校では次席なのよね」
首を傾げる俺に解説してくれるつもりらしいグレーテルだが、言葉が足りなすぎて何のことだかよくわからないぞ。俺のきょとんとした表情を見て、彼女はドヤ顔で続ける。
「政治科の次席がお姉様で、首席はダントツであのアデルハイド様ってわけよ。とにかく何に対しても優秀で、それでいて努力も怠らなくて……開校以来の才女と言われているわ。だけど彼女は次女、宰相閣下の跡継ぎじゃないのよね。それが悔しいのか、やたらとベアトお姉様に対抗心を燃やしているってわけよ」
なるほどなあ。この世界は長子相続が決まりというわけではないが、年長の子が後を継ぐほうが一般的に良いとされている。宰相家は素直にその古き良き伝統に従っているのだろうが……次女であるがゆえに家督を継げず、いくら頑張っても将来顕職に就けないというのは悔しいだろうな。ましてや自身が稀代の俊英だと言われるほど才能豊かなのであれば、なおのことだ。
そんな鬱憤を抱いているところに、すぐ目の前にいるベアトが長女を飛び越えて次期女王に指名されている。自分よりも学業においては劣る、ベアトが。そう考えたらアデルハイド嬢がことあるごとにベアトと張り合いたくなるのは、なんとなく理解できる。
「なら、余計彼女に俺の種をくれてやる理由がないじゃないか」
「ルッツはわかってないわね。ベアトお姉様はあれで結構、アデルハイド嬢を気に入っているのよ。その優秀さも、権力に媚びず自分に対してもずけずけ物を言う姿勢も、あの凛々しい容姿もね」
「それじゃあ、ベアトは……」
「もちろん、彼女を手懐けたいのでしょ? なかなか懐かない名馬を手に入れるには、最高に美味しいニンジンが必要だもの」
いやはや、俺はニンジン扱いなのか。まあこれで話は見えてきた、ベアトがあのキリッと系令嬢をリクルートするお手伝いをしなさい、ってことなんだな。
ベアトは王室の特殊スキル「精霊の目」を持っている。アデルハイド嬢がベアトに対し悪意や敵意を持っていれば、すぐに察することができる。そのベアトが「気に入って」「手懐けたい」んだとすると、きっと裏表のない率直な女の子だってことなんだろう。
だけど彼女がクラーラを支持する宰相アイゼンベルク侯の娘であることは、厳然たる事実なのだ。俺に与えられたミッションは、肉親とたもとを分かってでもベアトに仕えたいと言わせるくらい、彼女の歓心を買ってこいってことか。これってむちゃくちゃ、高難度クエストじゃね?
そんなことを考えている間も、向こうのボックスから鋭い視線が突き刺さってくるのを感じる。きっと彼女も、ベアトから俺のことを聞いて、もちろん種付けも勧められているのだろう。品定めをされていると思うとそっちばかりが気になって、それ以降の演劇についちゃあ、恥ずかしながらほとんど内容を覚えていない。
ああ、ベアトの配偶者って、こんなに難儀な役目だったのか……
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