第123話 いざ王都へ
「行ってしまわれたわね」
「うん」
クラーラたちが旅立った後、しばらく俺は彼らが消えた方向をぼんやりと眺めていた。いつまでも動かない俺を気遣ってか、一仕事終えたグレーテルが声をかけてくれる。
「やっぱり……好きになっちゃった?」
彼女の指摘に、心臓がドクンと脈打つ。
「いや、あの……」
「隠さなくていいわ、ルッツはああいう、ひたむきな女性に惹かれるわよね」
「……ごめん、ちょっとだけ」
うん、正直言って、今の彼女は好きだ。
出会ったときの、何にでも自信が持てなくておどおど消極的だった姿には、思わずため息が出たものだ。けれど、ここで一緒に過ごした短い間に、彼女は芯の強い前向きな女性に変わっていったんだ。それは、幼い頃からたゆまず努力を積み重ね伸ばしてきた、魔法制御力への自信に立つもの……昭和の感性で生きてきた俺には、そんな彼女の心がとても美しく見えてしまうんだ。
まあもちろん、吸い付くようなもちもち肌の感触も、俺としては忘れられないのだが……それを口にするとグレーテルがキレかねない。うん、沈黙は金だな。
「あの、その神像は……」
クラーラの残した石彫像に気付いたグレーテル。なにか驚いたような調子だけど、普通の人形じゃないか。
「うん、去り際にクラーラがくれたんだ。お礼なんだって……可愛い像だよね」
「でも、これって……」
「うん? 何か、おかしいの?」
「……なんでもないわ。ねえルッツ、その神像、肌身離さず持ち歩くのよ」
「え? なんで?」
グレーテルの言ってること、なんだか意味がわからない。婚約者の立場からすれば、他の女が去り際に残した「想い出の品」なんて、捨てろとは言わないまでも自分の目に触れないところにしまっておいてくれ、ってのが普通の反応じゃないかなあ。
「いいから! とにかく、身につけておくの。必ずよ!」
聞き返せない雰囲気に、俺は口をつぐむ。まあ、グレーテルは気まぐれだからな、あの保護欲をそそられるお姉さんに、ちょっとほだされたのか……そんなことを思って、俺はその場を流して……いつしかこのやりとりを忘れてしまった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
冬小麦の種まきができるギリギリまで突貫工事で続けてきた開拓も、ようやく一区切りがついた。グレーテルが四百ヘクタールと言っていた目標を超え、五百ヘクタール近くが耕地となり、森との間に仮設だけど土壁も築いて、一応の安全も確保できた。
あとは、木属性の魔法使いたちがどれだけ頑張って、麦を育ててくれるかだけど……見通しは明るくなってきたな。今後は冬の間に、例の魔銀鉱山への道を切り拓かないといけないだろうな。うじゃうじゃいる男どもに仕事を与えてあげないといけないなあと悩んでいたけど、鉱山の発見で一気に解決した。クラーラさまさま、だよなあ。
「さあ、あとは結婚式よね!」
グレーテルの鼻息が荒い。まあ、ここんとこ二ケ月ほど「やることやって早く結婚式をする!」ためだけに、ひたすら斧を振るい続けてきたのだ。入れ込んでしまうのも、無理のないことだ。
俺自身は、まったくそういうセレモニーに興味がない。元世界でもほとんど手配は嫁任せ、本番ではただ座って、次々に注がれるビールをひたすら飲み干すだけしかしないっていう、模範的とはとても言えない花婿さんだったからなあ。
だけど、儀式さえ終われば堂々とベアトと、そしてグレーテルと、子作りができるんだと思うと、わくわく心が浮き立つのを感じる。まあグレーテルも自分のウェディングドレス姿が見たいわけじゃなくて、そっちの目的だよな。子供欲しい欲しいってさんざん訴えられてたけど、ようやく望みを叶えてあげられるか。
そんなわけで陛下宛にお伺いを送ったら「華美なものではないが、ようやく準備ができた」という返事が来て、俺たちはバタバタと王都に向かう準備中だ。
「採寸したのは数ケ月前だから……衣装が入るかな?」
お腹回りとか、お胸のあたりを気にしているグレーテルだけど、心配ないと俺が保証してやりたい。毎日のように魔力モバイルバッテリー目的で抱きついているのだ、無駄なお肉が増えていないことは確実だ……残念ながら増えて欲しい部分も含めて、増えていないのだが。まあそんなことを口にしたらキレられるのは確実だから、黙っていることとしよう、うん。
俺はといえば、まさに身ひとつで向かうだけだ。マックスが心配して風属性の魔法使いを数人付けてくれたけれど、最強護衛のグレーテルと一緒に行くんだから、なんの懸念もないよなあ。
そして、アヤカさんと闇一族のお姉さんたちが三人、侍女に扮してついてきてくれる。心強いけど、俺たちの目的が結婚式であるだけに……アヤカさんの内心は複雑なんじゃないか。
正室のベアトはもちろん、今回は側室のグレーテルも一緒に式を挙げる。だけど同じ側室でも、アヤカさんは「裏」の女性。おおっぴらに華燭の典を……とはいかないわけなのだ。式を見守るだけの立場って、もやもやしないのかなあ。
「そんなことはありません。王女様を差し置いて、実質的に『妻』の務めをさせて頂いているのです、不満のあろうはずがないではありませんか」
ま、それもそうか。アヤカさんとの間には、もうカオリとホノカという、愛の結晶がいる。何よりも強いきずなが、すでにあるんだものな。だが元世界の女性なら一生に一度くらいは、花嫁衣装に包まれた自分の姿を夢見るものだったが……こっちの世界では違うのかな。そういや令和日本では、式なんか挙げない地味婚も流行っていたし、そんなとこは時代や環境で変わるものなのかな。
「ダメよアヤカ! こういうのはケジメなんだから。遠慮してちゃだめ、バーデンに帰ってからでいいから、きちんと式をやろ?」
意外なことに、アヤカさんの結婚式にこだわったのは、グレーテルだった。
「私は貴族だから、ベアトお姉様と共に、公式な場でルッツの隣に立つことができる。それはアヤカの立場では確かに無理だけど……私たち三人は同じ、ルッツの妻なの。非公式でも何でも、みんなに祝福されてルッツの手を取る権利があるはずよ! 大丈夫、必ずアヤカにも、式を挙げさせてあげるから! ねっ!」
「は、はい……」
なぜかグイグイ迫るグレーテルに引きつつも、少しだけ頬を染めるアヤカさんは、五つも年上とは思えないほど、可愛らしかった。
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