第119話 前向きになった王女
「そっか……ルッツの言ってた、カビから作る万能薬っていうのは無理だったわけね。すごい薬みたいだから残念だけど、クラウディア様にできないのだから、他の魔法使いだって絶対無理よね」
「まああれは、俺としてもダメモトで試しただけだし」
グレーテルの感想は賞賛のニュアンスで発しているのだが、「できない」ことに申し訳無さそうな顔をするのが、クラーラの奥ゆかしいというか、自分に厳しい性格なんだ。慌てて俺もフォローを入れる。
「ねえクラウディア。あれだけ精度の良い成分抽出ができるのは、すごいことですよ。誇りに思ってもらわないと」
そうだ、本格的な蒸留器や分液設備でも造んないとできないレベルの成分分離を、あれほど綺麗にできるってのは、実に驚くべきことなんだ。試しにクレオソートの実験を他のAクラス金属性の人にやらせてみたら、取れる量が半分くらいしかなくて、しかも液は茶色く濁っていた。ショックを受けたその人は今、意地になって木酢液と向き合ってくれているのだけれど……それは取りも直さず、クラーラの魔法制御力がずば抜けているっていうことなんだよな。
「そうですよ! あんなにいろんなものがポンポン取り出せる魔法使いなんて、私も見たことありませんもの!」
グレーテルが王女を褒める言葉に、俺も深くうなずく。そうだ、まったくできないものもあるけど、分離できる物質に関しては完璧な仕事をするのが、この王女なのだ。できるものとできないものの違いが何なのか最初はわからなかったけれど、このところ色々実験したおかげで、ようやく理解できてきた気がするんだ。
それは、物質の存在が彼女自身に感じ取れるかどうかってこと。花の甘い香りや木酢液の芳香のように五感で感じ取れるものはあっさり抽出できるけれど、アオカビの中にうずもれているペニシリンみたいに味も匂いもしないものには、魔法をかけたくてもかけられないってことみたいなのだ。実に、もっともなことだなあ。
試しに塩水から塩の結晶を取り出したり、テンサイから白砂糖をつくるなんて実験をやらせてみたら実に簡単そうに、しかも完璧にやってのけた。そして最後には青銅の置物から成分の錫だけを抜き出すような荒業まで、あっさり成功させたのだ。どうやって合金化している錫の存在を感じ取ったのかと聞いたら「舐めたら錫の味がしましたから」だとか……本当に、プロの錬金術師みたいになってきたよな。
そんな凄い魔法を操っていながら、本人はあくまで謙虚なスタンスを崩さない。
今まで生きてきた二十数年間、王族でありながら下級貴族並みに低い保有魔力をずっと引け目としてきたメンタルが、彼女の芯まで染み込んでしまっているのだろう。この臆病な心を癒やしてあげるには……やっぱり俺の種を付けて、魔力を上げてやらないといけないんだろうな。
俺とグレーテルの励ましに、クラーラも薄く微笑んで応える。
「大丈夫です、もう私は自分の魔力の低さを嘆くことはいたしません。たゆまず鍛えてきた魔法制御の力が無駄ではなかったことを、この数日でルッツ様が教えてくれましたもの。そして……私自身の魔力についても未来への希望を下さいました。願いがかなうかどうかはわかりませんが、そこに向けて頑張りたいと……」
「頑張るって……夜のあれこれに、ですわよね?」
グレーテルがいわでもがなの突っ込みを入れると、初心な王女の頬が見る間に紅く染まる。可愛いけどおっかない幼馴染は、大きくため息をついて……呆れているみたいだけど怒ってはいないみたいだと洞察できるくらいには、この娘のことがわかってきた俺だ。
「仕方ないわね。私は結婚式を早く挙げるために全力で頑張るしかないか……ご懐妊されるまでは、ルッツをクラウディア様にお譲りするわ」
「よろしいのですか? マルグレーテ様はルッツ様の正式な婚約者ですのに……ルッツ様との逢瀬を、私に許して下さるのですか?」
クラーラの態度は、あくまで恭謙そのもの……臣下の令嬢に向けるそれではない。グレーテルが彼女に怒りを向けることができないのは、この慎ましやかさに感じるところがあるからだろう。
「仕方ありませんわ、ベアトお姉様がそうしたいとおっしゃっているのですもの」
素直になれないグレーテルはそんな風にしか言えないが、彼女の優しい内面はクラーラにきちんと伝わったようだ。にっこりと笑って、なぜかその後真顔に戻って……しばらく考える仕草をする。
「あの……ルッツ様から魔力をお借りして、もうひとつだけ私が試したい魔法があるのです。成功すれば、バーデン領のために恩返しができると思うのです、お付き合いいただけますか?」
「領のためになる魔法?」
「はい、そのためには、領内を広く歩く必要があります。明日は開拓作業も休みだとお聞きしましたから……私と『魔の森』を一緒に散歩していただけませんこと?」
散歩ねえ……一体この王女は、何をしようとしているのだろう?
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