第118話 これって正〇丸?

 クラーラの魔法は完全に無詠唱だ……金属性魔法の使い手は、無詠唱の人が多いらしいが。それにしても、何かに集中している女性の顔ってのは、魅力的だよな。


 そんなしょうもないことをぼんやり考えているうちに、なんと傍らに置いたガラスの瓶には、淡黄色の液が、少しずつたまり始めた。それは見る間に量を増して、結局ワイン瓶二本くらいが取れた。あんな濁った木酢液から集めたとは思えぬ、レモン色した澄明な薬液……これは凄いな。


「ふぅ……これで、いいですか?」


「ええ、クラウディア、素晴らしいです。これが俺の欲しかった、木クレオソートです」


「くれお……?」


 そう、これが欲しかったんだよ。瓶の口に鼻を近づければ、ぷうんと薬臭い……いやはっきり言おう、これは昭和最強の腹痛薬、〇露丸の匂いだ。


「薬師を呼んでください」


 やがて訪れた専門の薬師に、俺は頼んだ。


「腹痛に普段使っている薬草の粉とこれを混ぜて、丸薬を作って下さい。悪いものを食ったり水当たりしてお腹を壊した時に、よく効くはずです」


 薬師は怪訝な顔をしていたがそこはさすがプロフェッショナル、動じずにすぐ数種類の薬草を混ぜて木クレオソート入りの丸薬を作りあげた。


「これが、腹痛に効くのですか?」


「効くはずです。まずは俺が試して……」


「「「ダメですっ!」」」


 異口同音に止められたので、仕方なく俺は丸薬を鑑定お姉さんに渡す。お姉さんは短く呪文を詠唱して、すぐに目を大きく見開いた。


「これは、下痢に効く薬ですね。もちろん副作用もないようです。ポーションや治癒魔法みたいに一気に治す力はありませんが、確実に症状を和らげる力があります」


「これだったら安くたくさん作れるだろう? 庶民は下痢くらいで高価なポーションを使うことなんかできないから、手ごろなお値段の薬が欲しかったんだよね」


 俺の言葉に、クラーラがはっとした表情になる。


「私の力が、大勢の民に、役立つのですね?」


「ええ、そうです。貴女の力が、多くの名もない民の暮らしを救うのですよ」


「なんて素敵なこと……」


「喜ぶのは早いです。これは今のところ、クラウディアにしかできないことなのですから。有るだけの木酢液で、全部これ、やってもらいますからね?」


「ええ、喜んで! 十樽でも二十樽でも、いえ百樽でもやって見せますわ!」


 そんなにヤル気を出されても、肝心の原料液は、それほどたくさんないんだけどさ……


 それからクラーラは、十樽くらいの木酢液にたっぷり魔力を注ぎ込み、薬師が目を回すほど大量の木クレオソートを作った。ひと目見ただけでその混じり物のない高品質がわかる、素晴らしい抽出精度だ。これでバーデン領はしばらく、腹痛薬にだけは困らないだろうな。


 そして有り余ると思っていた「なんちゃって〇露丸」だけど、ちょうどシュトゥットガルトの街で腐った水を飲んでお腹を壊す奴がいっぱい出たらしい。さっそく三百錠ばかりを供出する羽目になって……半日も経つと多くの者が回復したそうだ、さすがは腹痛薬の王様だなあ。住民たちがいたく感謝して、クラーラに何度も頭を下げると……彼女もなんだか涙目だ。自分の魔法がみんなに喜ばれる経験を、したくてもできなかったのだろうな。


 そして彼らは、お礼だと言ってワインをしこたま置いていった。もちろん住民の心づくしは、ありがたく頂かねばならないよな。夕食を少し肉多めにして、庭に出したテーブルで、バーデン首脳部の宴会としゃれこむ。


「ふうん、クラー……じゃない、クラウディア様はもう、そんな凄いことができるんだ」


 ストロベリーブロンドを自然に流した幼馴染がオーク肉の串焼きにかぶりつきながら、クラーラの実験に感心している。俺たちに言わせたら身体強化に雷撃に、そして治癒魔法まで自在に使いこなすグレーテルの方が凄いと思うけれど、彼女は素直に、自分にはできない精密な魔法の使い方ができるこの王女を尊敬し、賞賛しているのだ。この辺が、全員魔法オタクとしか思えないベルゼンブリュック貴族のメンタリティなのだろうなあ。


「でもそれは、自分だけの力ではありませんから」


 クラーラはそう言って意味ありげに俺の方に視線を向ける。その目尻は柔らかく緩んでいて……その茶色の瞳は純真そのものの光をたたえている。十近く年上なのに、何だかこの頼られてる感、たまんないよなあ。昭和男子としては、こういうのが嬉しいんだよ、こういうのが。


 こうしてまったりしている間にも、彼女は手元のワインから、アルコールだけ抜き出す練習を続けている。魔力のハンデを負いつつも、クラーラはこれまでひたすらこんな努力をして、魔力制御だけは常人にはとても無理というレベルまで鍛えてきたのだろうな。こういうひたむきな女性は嫌いじゃない、いや正直に言おう、かなり好きだ。


 そんなことを思っていた俺は、間違いなく鼻の下を伸ばしていたのだろう。気が付くと殺人光線のようなグレーテルの視線が俺に突き刺さって……思わず背筋を緊張させて、冷汗を流してしまう。


「はぁ……もう、あきらめるしかないのよね……」


 視線を緩めて深いため息をつくグレーテル……なあ、俺ってそんなに悪い男なのか?



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