第113話 クラーラの悩み

 その夜は、冒険者宿の離れで密会だ。あれこれ致す前に、オイルランプ一つの控えめな灯りの中で、お茶をゆっくり飲みながらのリラックスタイムを楽しむ。


「それで……いつまでこちらに滞在できるのでしょうか?」


 俺の問いに、栗色の髪をふわんと揺らして、クラーラ殿下が可愛らしく首を傾げる。この王女様、俺より一回りも年上なのに、仕草とかいろいろ、何かと幼く見えることが多い。時々腹黒になるベアトと違って純真そのもの感が漂う、本当に箱入り娘って表現がぴったりくるお姫様なんだよなあ。


「私は今、病気で引きこもっていることになっています。寝室には替え玉を置いているのでしばらくはしのげる、だからルッツ様の『神の種』が付いて、安定期に入るまでゆっくりバーデンに居て良い、そうベアトが申していますわ」


 地味な茶色だけどくりくり可愛らしい瞳で俺を真っ直ぐ見つめながら言葉を返すクラーラ殿下は、まるで十代の少女みたいにあどけなく見える。


「これまでお忙しかったのでしょう、ご褒美休暇のようなものですね」


「ふふっ、ベアトも同じようなことを言ってくれました」


 ベアトが成人したから、公務に余裕ができたということなのだろう。今までは女王陛下とクラーラ殿下であれこれ回していたのだろうからな。あんな無表情でも内面は優しいベアトのことだ、姉に長期休暇と子供をプレゼントしたい気持ちになったのだろう。


 本当に嬉しそうな笑みを浮かべる彼女を見ていると、妹でも眺めているような錯覚に襲われる。何だかこのお姫様、庇護欲をそそるっていうか、放っておけないキャラなんだよなあ。


「それで、あの、大したことのないものなのですけど……もしよろしければ使って頂けないかと……」


 やけに遠慮した態度で彼女が差し出したのは、一枚のハンカチ。異性の名を手ずから刺繍したハンカチは、この世界での定番プレゼントだ。但し女性の力が強いこの世界、刺繍品を差し出すのはむしろ男の側からがほとんどだったりするのだが……この王女はインドア派のようで、みずから刺繍などもたしなむようだ。


「ありがとう、よく見せて下さいね……」


 そう言いつつはらりと開いたハンカチを見て、俺は思わず息を飲んだ。


 当たり前のように俺の名前が刺されている。普通ならイニシャルでごまかすところだが、王女の刺繍はなんとフルネーム。そしてシュトゥットガルト家の家紋……ライラックをかたどったそれが、隅っこに加えられている。これだけ一杯刺繍を施せば普通なら実用上邪魔になるものだが、ものすごく精細に刺されたその文様はコンパクトで、普段使いしても全く問題なさそうだ。


 だがそのハンカチは、とても普段使いできる気楽な品質ではなかったのだ。


 薄暗い寝室の中で広げたハンカチには、俺の名前とシュトゥットガルト家の家紋が、エメラルド色の光を放ちながら浮かび上がっていて……まるで夜光塗料で文様を描いたようだ。


「クラウディア、これは……」


「はい。私が魔力を込めて刺せば、このようなものができます」


 思わずクラーラ殿下の偽名を呼べば、俺の驚いたような反応が嬉しかったのか少し頬を染めつつも、間髪いれず返事がある。


「私の魔法は金属性。モノを作ったり成分を分離分析したり、薬を調製したり……用途が多い属性ですけど、私自身は保有魔力が少なすぎて……喜んでいただけるのはこんなものしか」


「これは素晴らしい、いつまでも眺めていたいような出来栄えですよ」


 もちろん即座に俺はこの奇抜な手芸を褒めるが、彼女の顔色はさえない。


「初見の方には喜んでいただけるのですが、それだけです。私は民に尽くさねばならない王族なのに、こんな何の役にも立たない見世物みたいなことしかできない……」


 ああ。やっぱりクラーラ王女は、自分の魔力が高くないことを気にしていたのだ。彼女のもつ金属性はベアトの木属性と同じく戦争向きではないが、全属性の中で一番汎用性があって、生活のありとあらゆるところで役立つと言われる。しかしクラーラの魔力はCクラスどまり、出来ることは小物作り程度に限られてしまう。光る文字の刺繍なんて素敵だとは思うが、それが王族の務めに役立つとは思えないよな。


 そんなクラーラに対し、俺が手を差し伸べよというのが、ベアトの手紙に書かれた、もう一つの指示だったのだ。自分の魔法を誇りに思えず、何に対しても引っ込み思案のこの姉に、自信を与えろと。


『ルッツには魔法使いの女を導き、その力で大きな仕事をさせてやる、知恵と才能がある。どうか我が姉に、魔法で人を幸せにする喜びを教えてあげて欲しい。私にそれを、与えてくれたように』


 おいおい、簡単に言うなよなあ。たまたまリーゼ姉さんとベアトの場合は俺のアドバイスがハマったけれど、誰にでもうまく助言できるわけじゃないんだぜ。


「そんな風におっしゃってはいけませんよ。こんな精密な品が作れるのですから、クラウディアの魔法制御力はとても高いはずです。貴女でなければできないことが、必ずあります」


 とにかくフォローを入れる俺だけど、王女は寂しそうな表情で目を伏せる。


「ええ、私も王族として特別な修行を子供のころから続けてきたのです。魔法制御力には自信がありますが……それを民のために活かすには高い魔力が必要。魔力ばかりは生まれつきのものですから……」


 頼りなげな彼女の様子に思わずぐっときて、抱き寄せてしまう俺。上目遣いで見上げる茶色の瞳が濡れているのを見たら、もう我慢できなくて……文字通りのお姫様抱っこでベッドまで運ぶと、震える唇にそのまま熱く口づけた。



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