第108話 ベアトの便り
今日は、王都からの馬車定期便が来る日だ。
この世界には電話なんてものはない。高位風魔法使いのなかには遠隔地同士で意思を通わせることができる者もいると言うが、少なくともバーデン領にはそんな便利な奴はいない。結局のところ、週に一回訪れる馬車が積んでくる手紙が、通信手段になるのだ。
「マルグレーテ様には実家よりお便りがありますね。そしてこちらはルッツ様宛てです、ベアトリクス殿下とアンネリーゼ様からでございます」
俺たち付きの執事が、てきぱきと手紙を分けてくれる。初老の男性だけど、俺たちの生活に踏み込み過ぎず、だけどやって欲しいことを一歩先読みして準備してくれる、そんないい塩梅の頼れる人なんだ。さすがにグレーテルのゲロ始末は頼めなかったけど。
ほぼ毎週、リーゼ姉さんとベアトからは手紙が届く。
愛人宣言したリーゼ姉さんの手紙には、軍で忙しく働く毎日の中で姉さんが心動かされた王都のあれこれが、几帳面な文体で記されている。そして便箋の最後には、もはや隠す必要が無くなった俺への思慕が、これでもかというくらい熱くストレートに書き連ねられていて……俺の頬も少し熱くなるのを感じる。そして今週の手紙には、とても大事な段落が添えられていた。
『母さんに、ルッツへの想いを話しました。とても驚いていたけれど……明るく許してくれました。殿下と結婚した後までは待たねばならないと思いますが、愛し合える日を楽しみにしています』
そっか、もう打ち明けちゃったんだ……姉弟同士の恋愛なのに、さくっと許しちゃうところが母さんの大らかさなんだよな。こだわらないって言うかなんて言うか……だけど姉さんのパートナーが俺だけってなったら、フロイデンシュタット家としては後継ぎが作れなくて困るよな。さすがに俺と姉さんで子供を本気で作ったら、超インブリードになっちゃうもん。まあ、適切なタイミングで、種馬さんを見繕うしかないんだろうな。
ちょうどお茶を飲みに来たグレーテルに、姉さんの手紙を渡す。一瞬ぴくりと眉を上げたけれど、結局ため息とともに返してきた。まあ、許してくれたってことで、いいのかな?
「ベアト様のお便りのほうは、もう読んだの?」
「いやこれから。ベアトの手紙は政治的内容が多いから、時間かけてしっかり読みこまないとね」
そうなのだ。ベアトのそれはその週決定した主な重要政治案件、王室と高位貴族で交わされる政争や暗闘、そして外交といった実務的なトピックスを簡潔に書いた、まるでビジネスマンの報告書みたいな手紙なのだ。まあベアトにとってこの手紙は、愛する男に送るものではなく、治世のパートナーとなる王配に宛てたつもりなのだろうな。
まあ、最後の一行あたりに「少しの時間でもいいから逢いたい。共に手を取って働いているグレーテルがうらやましい」なんて、ぶっきらぼうだけど想いがじわっと伝わる文が付け加えてあったりして、これはこれで味わい深く、思わず二度三度読み返してしまう手紙なんだ。
だが、今週のベアトの手紙には、いつもと違う指示が記されていた。
『近々、種付けをお願いしたい。お相手は数日のうちにそちらに着く』
ああ、ついに来たか……
◇◇◇◇◇◇◇◇
「仕方ないわね。高位貴族を味方につけるためには、これぞといった家にルッツの『神の種』を与える必要があるわ」
「しかし、手紙にはお相手の名前さえも書いてないんだぜ?」
ベアトは、身内に対してはいつも言葉足らずだ。今回もそれなのかと思わないでもないが、いくら何でも誰だかわからないけどそっちに行った女を黙って抱いてくれ、というのは随分乱暴な話だ。
「王女殿下は、理由もなく無茶なことをなさるお方ではありません。きっとお相手の素性を明かせない事情があるのでは?」
怪訝な顔をしつつも、ベアトを弁護するアヤカさん。闇一族の人たちは、とにかく王室大好きだからなあ。確かに、少なくともベアトは、何をするにも俺の気持ちを可能な限り尊重してくれていたはず。今回のことに関しては、何か特別な理由がありそうだ。
「闇魔法の一種に、開封せずに手紙を盗み見ることのできるものがあります。お相手の名前を絶対に知られてはいけないので、書くことができなかったのでは?」
「名前を知られてはいけない人って言われても……全然わかんないわよ!」
グレーテルがガシガシとストロベリーブロンドをかきむしる。一応嫁入り前のレディなんだから、髪は大事にして欲しい。
「第一王女派の貴族、またはその息女あたりが来るんじゃないか?」
俺は、ふと思い付きを口に出した。
「何でそう思うの、ルッツ?」
「次期王位争いは、陛下がベアトを直接王太女に指名したことで一応決着したことになってるけど、第一王女を支持する勢力はまだ諦めていないらしい。高位貴族はまだ過半がクラーラ殿下を推しているって聞いてる」
「うん、うちの母さんもそう言ってたわ」
「だから『神の種』だって評判になった俺の種をエサに使って、こっち側に寝返られせようとしているんじゃないのかな?」
「なるほど……あり得るわね。まあいずれにしても私たちからできることはないわ、お相手が来るのを待つだけね」
ごもっとも。グレーテルの言葉に、俺は深いため息をついた。
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