第105話 名付けって大切

 とてとてと愛らしい足取りで歩いてくるのは、俺の愛娘カオリ。


 親バカと言われるかもしれないけど、公平に評価してもカオリはかなり可愛い。カラスの濡れ羽色とでも言うべきか、なんとも言えぬ艶を持った柔らかな黒髪と、黒く深い瞳は、アヤカさんとそっくり同じ。俺の銀髪碧眼イケメンルックスはまったく受け継がれていない感じだけど……きゅっと細く引き締まって可愛い鼻筋あたりだけは、俺に似てるような気もする。


「とーさま、おあいしとうございました」


 そして驚いたことに、舌っ足らずの発音だけど赤ちゃん語ではなくしっかりした言葉遣いが、その小さな唇から紡がれる。


「父さんも会いたかったぞ。大きくなったなカオリ」


「はい、かーさまのいうことをよくきいて、おおきくなりました」


 おいおい、まだ一歳ちょっとのはずなのに、やけに成長が早くないか。普通このくらいの子じゃあ、支えなしでまっすぐ歩くのは難しいし、発語だってせいぜい「ま~ま」とか「ばぶ~」程度じゃないかと思うんだが。それともこの世界では、赤ちゃんの発達がみんなこのくらい早いのかな?


「いえ、この子は、普通よりも明らかに成長が早いです。特に、頭脳面で。字もある程度なら認識しているようで……」


 俺の視線から言いたいことを汲み取ったらしいアヤカさんが、静かに教えてくれる。


「闇一族の特別なスパルタ教育……とかじゃないよね?」


「いいえ、私たちは三歳まで、子供に修行の無理は強いません。カオリの成長力が、とても高いのです」


 じゃあ三歳過ぎたら容赦なく苛烈な忍者養成講座が始まるんだな……と突っ込むところじゃないよな。どうも素の能力でカオリは優秀らしい、親としては喜ぶべきところなのだろうが、さっき見た魅了のことなんかを考えると、思わず不安になってしまう。


「これってやっぱり……俺の種のせいなのか?」


「はい、おそらくは。ヘルミーネさんやダニエラさんにも確認しましたが、カオリほどではなくとも皆、知能や身体の発達が早いとのことでした」


 はあ~。俺の「神の種」は、ここでもチート発揮するのか。悪いことではないような気もするけれど、元世界の競走馬育成ゲームで種馬の「早熟」パラメータが高いってことは、競争寿命が短いってことであまり良い評価じゃなかったんだよな。俺の子供たちも早く衰えたりしないよな、と少し心配になる。ま、それが明らかになるころには、俺はもう種馬活動なんかする齢じゃないだろうし、気にするだけムダか。


「そっか、カオリは賢いな。母様の言うことをよく聞いて、いい子になるんだぞ」


「はい。とーさまがよろこんでくれるような、いいこになります」


 うはっ、これは強烈だ、可愛すぎるじゃないか。思わずその小さな身体を抱き上げてしまう。


「とーさまのだっこは、たかいです」


「そうだな、いつでもだっこしてあげるよ」


 俺は元世界じゃ平均的身長だったけど、こっちに来てからの一年ちょっとで伸びるわ伸びるわ。正確に測れていないけど、おそらく百八十センチちょい手前くらいじゃないかな。しかも成長期はまだ終わってない感じがする。西洋人的遺伝子、おそるべしだ。


 抱っこしたままくるりと一回転すると、少し怖いのかカオリが俺の首筋のあたりに顔を埋める。一歳児には手荒過ぎたかと反省してカオリの様子を見れば、母親そっくりの大きな黒目をくりくりさせながら、その桜色の唇が動く。


「とーさま、すごくいいにおい」


 そう言って笑う我が子の姿が、愛しくて仕方ない。乱暴にならないように注意しながらも、ぎゅうっとこの小さな生命の塊を抱き締める。ああ、ものすごく幸せだ……そう思った時、一瞬不安に駆られる。


「あれ、もしかして俺『魅了』されてる? カオリも使ってるのか?」


「……はあぁ、何にも知らないんだから。ルッツのそれは『親バカ』って言うのよ!」


 グレーテルの突っ込みに、一同から笑いが弾けた。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 目の前に置かれたのは、厚手の和紙。元世界では、奉書紙って言ってたっけ。そしてその隣には硯と毛筆がある。アヤカさんたちの文化って、どこまで日本風なんだろう。


「俺に、なにをしろと?」


「あの赤子にはまだ、名を付けておりません。ぜひ、ルッツ様に命名をお願いいたしたく」


 うわっ、またそれか。カオリの命名は好評だったけど、もともと俺、あまりそういうセンスがなかったんだよなあ。元世界で息子が生まれたときも、嫁が考えた名前にうなずいただけだったし。


 そうしている間にも、みんなが俺に期待でキラキラ光る瞳を向けてくる。いつも優しいアヤカさんまで、静かな圧を掛けてくる。これって、下手な名前つけたら一生冷たい視線を受けること確定だろ、きついなあ。


 突き刺さる視線に耐えつつ、ゆっくりと硯で墨をする。そうか、元世界では習字は墨汁でちゃちゃっとやっちゃったけど、こういう困った時に時間稼ぎをするために、硯ってのがあるのかもしれないなあ。


 そんなしょうもないことが頭に浮かぶくらいには、俺にも余裕が出てきたみたいだ。呼吸を整えてアヤカさんと赤ちゃんの顔を思い浮かべていると、なんとなくそれっぽい名前が浮かんできた。ゆっくりと墨に毛筆を浸し、なぜか横書きにセットされた奉書紙に、あまりうまくない字を書いていく。


「穂乃香」と。


「ね……ルッツ、これ、異世界の文字なの?」


「うん、俺がいた日本で使われていた漢字という文字だよ。こっちの世界の人には読めないだろうけど……」


 怪訝そうに文字をのぞき込むグレーテルに、俺が説明していたその時。アヤカさんがガタっと立ち上がり、奉書を手に取った。おしとやかなアヤカさんが音を立てるなんて珍しいけど……


「……読めます」


「えっ?」


「この文字、読めます。もはや一族でも読めるものが少なくなった、いにしえの文字ですが……ホノカ、でよいのですよね」


 俺がうなずくと、アヤカさんの目から大粒の、透明な雫が頬をつたって流れ落ちた。

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