第103話 ぼたん鍋

「ようやく身二つになり、産後のあれこれが落ち着きましたので」


 グレーテルと俺に牡丹鍋もどきを取り分けてくれながら、アヤカさんがふわりと微笑む。少しだけ頬のあたりが痩せた気がするけど、相変わらず魅力的だ。グレーテルの光にあふれた「動」の美しさとは違って、しとやかな「静」の美しさなのだけれど……優しく包んで癒してくれる、そんな女性だからな。


「じゃあアヤカは、しばらくバーデン領にいるつもりなの?」


「ええ。むしろこれから、闇の一族はこちらを本拠地にするつもりです」


 アヤカさんが言うには、一族の者を闇の工作員として第一線に出すまでには、子供のころから長い長い修業があるのだとか。そういうものをやるには、王都周辺だと何かと目立ってしまう。どこか田舎の小さな領地をもらって一族の村を作り、そこで次代の戦力を育成したいと思っていたところに、俺がバーデン領を拝領するって話が出て、これは渡りに舟ってことになったらしい。


 なんか、ワクワクするな。まさに「忍者の隠れ里」ってわけじゃないか。俺の領地から若き忍び衆が巣立って行くなんて、厨二マインドがぐぐっとくすぐられる。


「だけど、王都にいないと、王室が命令を出すのに不便ね?」


「もちろん王都には支部を置きます。ですがそこは完成された大人だけの集団。足手まといになる子供や老人がいませんので、かえって動きやすくなるでしょうね。族長のカナコはそちらに残り、私はバーデンで新しき里の建設と、手の者を育成することに力を注ぐ所存です」


 なるほど、よく考えられている。守るべき者を王都のあたりに多く抱えていれば、動きが鈍るからな。だが、老人や子供がバーデンに来たということは……


「あ、アヤカさん。じゃあ、俺の子供たちは……あちちっ」


 少し泡を食いすぎて、熱々のネギで口の中をやけどしてしまう。


「はい、一緒に連れてまいりました。お食事とお風呂のあと、会ってあげてください」


 またアヤカさんがふわりと微笑む。今頃気付いたか遅えよ、と内心では思っているとしても、そういうネガティヴな感情を決して顔に出さないのが彼女なのだ。だが楽しみだな。カオリとその妹に、ようやく会えるんだ。


 俺の子はすでに十人を超えている。「洗礼」で作った七人のほかに、アヤカさんスザンナさん、そして闇一族の女性に種付けして出来た子たちも、最近産まれたらしい。


 だけど、堂々と「俺の子」って言っていいのは、アヤカさんとの間に儲けた二人の娘だけなんだ。あとの子は表向き、それぞれの配偶者の子、あるいは婚外子ってことになっているからなあ。おおっぴらに愛でることができる我が娘が近くに来てくれたことは、とっても嬉しい。元世界での子供は男だけだったから……娘を飾り立てるなんて楽しみ、やってみたかったんだよなあ。


「ルッツは……子供好きなんだね」


「うん」


「……私も、早くルッツに子供をプレゼントしたいな」


 グレーテルが珍しく優しい微笑みを俺に向けてくれるけど、少し寂し気に見えるのは気のせいじゃないよな。俺に真っ直ぐ向けた大きな目のふちには、透明な雫がたまり始めている。


「……マルグレーテ様、鍋はお口に合いますでしょうか。西国の方々、とくにご身分の貴いお方たちは、ミソの匂いが苦手とおっしゃる方が多くて」


「あっ、そ……そうね。特有と言えば特有だけど、この匂いでオーク肉の癖が上手くとれて、私は好きかな。発酵しているせいかしら、味も複雑でいいと思う」


 さすがアヤカさんは大人だ、しめっぽくなりかけた雰囲気を察してさっと話題を料理のほうに変える。次期王女と次期侯爵を差し置いて、自分だけが子供を二人も儲けたことに関し、かなりの申し訳なさを覚えているらしく、二人に対する気の使い方は相当なものだ。ベアトやグレーテルもその気遣いを理解してくれているから、今のところ三人の婚約者の仲は、いたく良好だ。この先グレーテルやベアトと結婚して、子供ができにくかったりしたらその関係が変わってしまうのだろうか……ま、今はそれを心配するときじゃあないか。


「グレーテルが気に入ってくれて良かった。これ、日本では牡丹鍋と呼んでいたなあ」


「ボタンって何?」


 怪訝な顔で聞くグレーテル、そりゃわかんないよな。


「日本では花の王と言われていた、大きくて華やかな赤っぽい花だね。鍋に乗っけた肉が花びらに見えるからだとか何とか、そんな理由の名づけだったかな。たぶんベルゼンブリュックにはない花だと思うけど……アヤカさん、アキツシマにはあった?」


「恐らくそれは、私たちがフウキソウと呼んでいたものかと」


 やっぱりあるんだ。そういや牡丹の別名に富貴草ってのがあった気がする。闇一族の故郷って、どこまで日本に似てるんだよ。


「そっか……私もルッツと、そういう深いところで、つながっていればよかったなあ」


 そんなグレーテルのつぶやきに、少し胸が痛くなる。本来なら幼馴染の俺達には、誰にも負けない絆があるはずなんだけど……それが失われたことはやっぱり彼女にとってショックだったのだろう。割り切ったようなことを口にしてはいたけれど……


「ふふっ、大丈夫だよルッツ、アヤカ。ちょっとだけ寂しくなっただけ、私は今とっても幸せだよ!」


 そう言って向けてくれた笑顔は、まぶしかった。うん、君を信じることにするよ、俺の可愛いグレーテル。

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