第96話 求婚させられました

「小さいころから一緒に遊んできたルッツが大好きだったわ。弱虫で優柔不断で頼りないけど優しくて、何より私を大事にしてくれてたから。そして私は、彼をお婿さんにするんだという望みを、幼い胸の中でずっと暖めてきたの。そのルッツは……どこか遠い所へ行ってしまったみたいね」


 今日のグレーテルは、少しウェーブしたストロベリーブロンドの髪を下ろして、薄く化粧を施している。いつも元気いっぱいの姿を見ている俺には、ちょっと新鮮だ。グレーの視線はテーブルに落とされていて、俺の方に向けられてはいない。まあ、この流れじゃあそうなっちゃうだろうな、見方によってはその優しい幼馴染をこの世から葬ったのは、俺ってことになっちゃうだろうから。


「マルグレーテ様、それはルッツ様のせいでは……」


「うん、わかってるわアヤカ。今ここにいるルッツは巻き込まれただけ、悪いことなんてしていないわ。それはわかってる、わかってるのよ」


 俺に向ける恨みのようなニュアンスを感じ取ったアヤカさんがかばってくれるけど、グレーテルはまだその瞳を俺たちに向けてはくれない。怒ってはいないみたいだけど、きっと複雑な思いがあるのだろう。


「今のルッツを恨むつもりなんて、全然ないわ。それどころか私は、今のルッツに雄としての魅力を感じて、強く惹かれているの。ただ守ってあげたかっただけだった以前のルッツと違って、私のことを支えてくれて、受け止めてくれて、包んでくれる……そして何か不思議な力までくれる。何より、私を好きだって言ってくれる……こんな男性のすべてが欲しい、生涯を共にしたいって思うのは、自然よね」


 俺は、思わず息をのんでしまっていた。かつて俺をグズだののろまだのと罵っていたグレーテルの口から紡ぎ出された、俺に対する無条件の賞賛。


「でも……いえ、だからこそ引っかかってしまうの。私が以前のルッツに抱いていた想いは、偽物だったのかな、捨てなきゃいけないのかなって……」


「そんなことはないよ、グレーテル。その想いは純粋で、綺麗なものだ。落馬する前のルッツ君への想いを粗末にしちゃいけない。そして今の俺は日本で暮らしていた頃の俺じゃなくて……以前のルッツ君が築いてくれた暖かい人間関係の中で、変わってきているんだ。ようは何て言うか……もう彼と俺は一体で、分けようがないんだよ」


 思わず言い募ってしまう俺だけど、これは正直な気持ちだ。もちろん俺は自我を保っているし、その根底にあるのは元世界で六十年積み重ねた人生経験だけど……こっちの世界に来てからというもの、俺の人格や行動パターンは明らかに変わっている。それは異文化に触れた影響もあるのだろうし、ルッツ君の若い身体でいろんな経験をしたこともあるだろうし、ルッツ君に注がれるみんなの気持ちが俺に向けられたことだって、強く影響しているんだ。


 だけどここまで言っても、彼女はグレーの瞳を俺に向けてくれない。どんな言葉なら、グレーテルの胸に響くんだろう……半ば焦ったような心理状態のまま、俺はひたすら語りかけた。


「今の俺を欲しいって言ってくれるのはとても嬉しいけど、無理に彼を忘れる必要はなくて……」


 う~ん、自分でも、何言ってるかわけわかんなくなってきた。グレーテルの肩が少しぴくっと動いたけれど、まだその視線は伏せられたまま。くそっ、もうこうなったらヤケだ。


「グレーテル。多分俺が身体を乗っ取らなかったら、彼は君に安らぎと幸せを与えてくれたんだろうね。だけど俺は誓う。彼が与えてくれたはずの分まで俺が幸せをあげたい……だから、俺と生涯、一緒にいて欲しいんだ!」


 最後は叫ぶように言葉を絞り出してから、我に返る。ベアトやアヤカさん、そしてリーゼ姉さんまで、驚きの表情を、俺に向けているんだ。しまった、これはやらかしてしまったか。これはまぎれもなく、この世界では逆プロポーズ。彼女たちから見れば非常識極まりないし……ましてや、誇り高い戦士であらんとするグレーテルに対しては「ケンカ売ってる」に近い。


 背中に冷や汗を流している俺など目に入らないのか、グレーテルは完全に目を伏せて、そのまま動かない。これってやっぱり、怒りの波〇砲を発射する前のエネルギー充填百二十パーセント状態なのか?


 ふと、ぽたりというかすかな音とともに、濃色のテーブルクロスに小さな染みが一つできて……それは二つ、三つと増えていく。染みの数が二十個ばかりになるころ、彼女が深く息を吐いたかと思うと、がばりと顔を上げ、グレーの瞳を俺に真っすぐ向けた。決闘でもするような表情にビビる俺だけど、勇気を必死で振り絞って視線を合わせていると……不意にその目が優しい幼馴染のものに変わり、口角がきゅっと上がる。


「喜んで! このマルグレーテ、ルートヴィヒ卿のお申し出、喜んでお受けしますわ!」


 その両目から透明なしずくを幾つもあふれ出させたまま、幸せそうな笑顔で俺を見つめてくれるグレーテル。俺のプロポーズをそんなに喜んでくれるなんて、どんだけ可愛いんだ。絶対この娘を、一生離さないぞ。


「なるほど、これを言わせるために、わざわざ話をこじらせたのだな。こんなあからさまな手管にあっさり引っかかるルッツは、先行き心配だ」

「こんなところも含めて、ルッツ様ですから」


 気が付けばベアトとアヤカさんが、俺にジト目を向けながらささやき合っている。


「ふふっ、やっぱりバレましたか。でもこういうのは、言わせた方が勝ちなのですよ、お姉様!」


 悪い笑顔で、勝利宣言をぶちかますグレーテル。え、これって罠だったの?




◆◆◆ 申し訳ありませんが諸事情あり、三月一日(第三部)以降、隔日更新にペース落とさせて頂きます。毎日お読み頂いていた皆様には、大変申し訳ありません ◆◆◆

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