第95話 最初は穏便に

 俺は、自分がここにいる経緯を、包み隠さず話した。下手な嘘を付けばベアトに見抜かれてしまうのだから、フェイクを入れるわけにもいかず、全部正直に。


 おそらくこの世界とはなんのつながりもない日本という島国で、六十過ぎまで前世を送ってきて、妻も子もいたこと。その国には魔法なんか存在しないけど、進んだ科学の力で高い水準の暮らしをしてきたこと。そして、定年退職のお祝い会でついつい飲みすぎて屋外で寝込んでしまった後、目覚めたらなぜかルッツ君の身体に乗り移ってしまっていたこと。そんな突拍子もない話を信じてもらえるはずはないと、今までジーク兄さん以外の人には、真実を告げてこなかったこと。


「ジーク兄さんの協力をもらって記憶喪失というカバーで何とかごまかし、ようやくこの世界の暮らしにも慣れてきた。だけど、これから生涯を共にする女性を騙し続けるわけにはいかない。みんな……ごめん、俺は本当のルッツ君ではないんだ」


 しばらく、言葉はない。やがてその沈黙を破ったのは、グレーテルだった。


「つまり、私が小さい頃から一緒に遊んだルッツは、もうこの世にいないということでいいの?」


「そのへんは俺にもわからないけど、少なくともこの世界にはいないんだと思う。もしかして、元世界の俺に乗り移っているのかもしれないけど……」


 幼馴染大好きグレーテルがまた怒りの鉄拳をブチかまして来るのかと肩を縮める俺だが、グレーの瞳には怒りはなく、ただ哀しみの色だけがある。視線を天井に向けて、深いため息をつくと、あとは貝のように口をつぐんで、ひたすら何か考えに沈んでいる。


「そうすると、ルッツがここのところ披露してきた妙な知識は、日本の『科学』というものなのか?」


「おおよそそうなるね。向こうの世界では、平民でもなんでも子供はみんな、学校に通って科学を学ぶんだ」


「そんな豊かな世界があるとは信じられぬ……と言いたいところだが、ルッツが嘘をつくわけがないからな」


 今までこんな大事なことを隠していた俺なのに、なぜかベアトは信じてくれる。その健気さというか寛容さというか……ともかくグッと来てしまう。思わずその細い身体を引き寄せたくなるけど、今そんなことやったらグレーテルあたりが暴走しかねない、ここは我慢しないと。


「ふむ。いずれにしろ私は、リーゼやグレーテルと違って、今のルッツしか知らない。そして、母様が決めた婚約者とはいえルッツを好ましく思って、これからもずっと共に生きたいと願っている。隠し事をされていたのはちと不満だが、これに懲りてもうするまい?」


「ごめん、もうしない」


 あっさりと俺との関係を続けると宣言したベアトに、やや驚いてしまう。まあベアトは理性的な少女だ、俺の持つ「神の種」と「魔力モバイルバッテリー」能力の価値を、きちんと評価してくれているのだろうな。そんなことを思い浮かべたら、ベアトがはっきりと首を横に振った。


「そんな理由じゃない。ずっと不思議だった、ルッツと一緒にいると、なぜか包まれるように心が安らぐ……私は父を知らないが、父親といるとこんな感じなのかと思うことがあった。やっとわかった、ルッツの精神が、私よりもずっと大人だったのだな。私はこの安らぎを手放すつもりはないぞ」


 ベアトの言葉に、一番下座で控えていたアヤカさんが、深くうなずいた。ベアトが目配せして促すと、一瞬ためらってから、決然と口を開く。


「私も、ルッツ様がずっと年上の方に思えてなりませんでした。そして、時折お見せになるいろいろな嗜好が、私たちアキツシマの民と似ているのも、不思議に思っておりました。お話をうかがう限り、アキツシマとニホンは、同じような文化を持っているのですね、ようやく納得できました」


「うん、俺も闇一族の人たちの習慣がとても日本人に似ていて、驚いたんだ」


 そうか、アヤカさん一族が後にしてきた国は、アキツシマというのか。そういや何かの古典で、日本のことを秋津島だか秋津洲とかって言ってたよな。もう高校の頃に習った話だから記憶も曖昧だが……あれは古事記だったか。そんなとこまで似てるとは、びっくりだ。


「私も、落馬された後のルッツ様しか存じません。そして私に、我が一族の宝となるべき子と、女子としての幸せを二つながら与えてくださったのは、ここに居られるルッツ様です。出来ることならば……これからもおそばに添うて参ることをお許し頂きたく」


 そう口にしながら、深々と頭を下げる姿は、まさに十九世紀の大和撫子。そして彼女の膨らんだお腹には、もうすぐ産まれるだろう俺の子がいる。そんなアヤカさんが、俺とずっと寄り添いたいと言ってくれてる。嬉しくて、たまらないじゃないか。


「さあ、私とアヤカは心を定めたぞ。お前たちは、どうなのだ?」


 そう言いながらベアトが視線を向けた先には、考えに沈むグレーテルと……無言で俺に熱い視線を送ってくる、リーゼ姉さんがいた。

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