第92話 そんなの欲しくないよ!

「ルートヴィヒ卿、いやルッツよ」


 これまで御錠を読み上げていた侍従に代わって、陛下が直接語りかけてくる。


「はい陛下」


「卿にはウォルフスブルグ伯の家名を与えていたが、まだ領地も俸給も授けておらなんだな」


「ええ、でもそれは両方とも、俺には不要なものですから」


「ふむ、卿は欲がないの。だが功ある臣に褒賞を与えぬとあっては、王室としては信を問われる」


 う、これはよくない流れだ。領地なんかもらっても経営に労力を割かれるだけで、面倒くさいだけ。どうにか一時金とかで、勘弁してくれないかな。


 だが、民に対しても敵に対してもお人好しすぎる陛下なのに、俺にはまったく優しくなかった。


「ベルゼンブリュック国王エリザーベトはここに宣言する。ここなるルートヴィヒ卿にバーデン州全域を領地として与える。これに伴いウォルフスブルグ伯の家名を廃するとともに、シュトゥットガルト侯爵家の名跡を継がせるものとする」


 えっ、それは。俺が一番避けたかったのは領地をもらうこと、それを思いっきり強行突破されたのはまあ仕方ないかも知れないんだけど、問題は「バーデン州」と言う領地だ。


 バーデン州は、ベルゼンブリュック南部の果て。一番広大な領地であり、現在は王室直轄領だ。気候も比較的温暖で、耕地を拓けば豊かな実りが期待できる土地だ……あくまで「拓けば」だけど。


 そうなのだ。俺が三万近くの戦争奴隷を使ってごり押しで開拓を進めようと提案していた土地こそが、そのバーデン州なのだ。じゃあ、たった今そこはどういう状況かと言えば、魔物がうようよいて、入り込んだら簡単には出られないという「魔の森」が領地一杯に広がっているというわけさ。


「あの……陛下」


「なんじゃの?」


「それは……『魔の森』を開拓する事業を、俺にやれと言うことですか?」


「それ以外の意味に聞こえたかの?」


 お、終わった。この戦では不本意ながらいろいろ頑張ったし……しばらくは王都でのんべんだらりと過ごせるはずだったのに。俺の平和な未来図、返してくれよ。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 論功行賞が終わって、意気消沈したまま帰ろうとした俺だけど、ベアトから使いが来て引き止められた。素直についていくと、そこは晩餐のテーブルで……既に女王陛下とベアトは席についていて、なぜか母さんとリーゼ姉さん、そしてグレーテルもいる。 


「付き合ってもらって済まないわね、ちょっと説明が必要かと思って」


 陛下は軽く「ちょっと」とか言ってるけど、ちょっとじゃないだろと百万遍言いたい。そして、さすがに今回の処遇には、文句が言いたいぞ。


「結局のところ、母様が高位貴族どもを黙らせられなかったから」


「例の、婿は公侯爵以上じゃないと……ってやつか?」


「そう。伯爵家令息というだけでなくルッツ自身に伯爵称号を授けたことで、なんとかしのごうとしたけど、連中は頑固。母様は母様で奴らを説得する材料を探せなくて、当事者の私に対応を丸投げしてきた」


 何だかばつ悪げな陛下に代わって、ベアトがいつもの調子でぶっきらぼうに説明を始めると、リーゼ姉さんがポンと手を打った。


「ああ、それで新たな爵位を賜ったというわけね。相手が侯爵なら問題ないだろうって」


「そう、リーゼは賢い。ルッツを侯爵にしてしまえば、貴族どもの主張は根拠を失う。だがそこにはひとつ問題がある。後継が断絶し『空き』になっている侯爵家がシュトゥットガルト家だけであり、その爵位を襲うということは、『魔の森』が大半を占めるバーデンの領主になるということと同義」


 おいおい。もしかして、俺にバーデンをくれるってのは、単なる爵位のおまけってわけなの? 俺の知恵ならあのどうしようもない領地を何とかできると思ってくれたわけじゃ、ないわけね。何だか傷つくなあ。


「違う」


 ベアトが強い調子で否定する。俺はまだ口に出していないはずなんだが……ああ、「精霊の目」で、ネガティヴな思考は筒抜けになってしまうのだった。


「この処置を決めたのは私。ルッツの妙な知識を信頼してるからこそ、バーデン領を任せることにした。ルッツならできる、そう思ったことは本当、それは信じて」


 真剣な光を帯びた翡翠の瞳が、嘘をついているとは思えない。


「だったら、言ってくれれば……」


「爵位を上げるなんて言ったら、ものすごく嫌がるはず。だから今日まで黙っていた、ごめん」


 はあ。そんなふうに素直に謝られたら、許すしかないじゃないか。だけど、あんな魔物しかいない国の開発なんか、面倒だなあ。


「ルッツが考えていることはわかるが……領主にならなくても結局、バーデンで開拓をやる羽目になることは変わらないけど?」


「何でだよ……」


「あそこは王室直轄領、王族の誰かが治めないといけない。これから三万の捕虜を使って『魔の森』を切り拓かねばならないが、彼らの主人は私ということになってる。つまりこのままだと、バーデンの領主は私ということになるだろう」


 ああ、ようやくベアトの言わんとすることを理解できた。


「領主になることを拒んでも『領主の婿様』として、結局領地経営をやらされる未来図は変わらないってことか……」


「そう、どっちみち逃げ場はない。なら堂々と領主として手腕を振るう方が良いと思わないか、ルッツ?」


 はあ、この婚約者はデレると可愛いんだが……陶器人形モードの時はなかなかの腹黒だ。やり込められて結局言いなりになってしまう俺に、母さんやグレーテルが残念なものを見る目を向けた。俺のせいじゃないと思うんだけどなあ。

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