第93話 ジーク兄さんの指摘
結局のところ、俺はバーデンの領主を断りきれなかった。
ベアトの言う通り、侯爵だの領主だのという地位を辞退したとて、どのみち丸投げが大好きな王室に手伝わされるのは確実なのだ。ならば割り切って働くしかない……そうあきらめられるのは、元世界の企業戦士、いや社畜経験があるからだろう。自分がトップになってやるなら元世界のドリンクCMみたいに「二十◯時間働けマスカ」なんてひどいことにはならないと思うし。
そして、真面目な理由もある。帝国から得た二万の戦争奴隷のことだ。捕虜を奴隷にしてバーデンの開発で働いてもらうというのは、俺の発案だし、交渉にも立ち会ったからな。彼らがちゃんとした扱いを受けられるかどうかという点には、俺にもある程度責任があるだろう。領主の立場だったら、作業とか住環境とか飯とかに気を配ってやれるんじゃないかと思ったってわけさ。
なので、厄介事が片付いたとばかりにニマニマしている女王陛下からは、いろいろとむしり取ってやることにした。奴隷の食い扶持を一年間国が支給すること、そして向こう三年間は税を取らないこと、軍や魔法省に属する魔法使いを可能な限り大勢派遣してもらうこと。結構欲張ってみたが、陛下はあっさり首肯した……よく考えてみりゃ、ほとんど魔物しかいないバーデン領からは、これまでも税収なんか上がっていなかったわけだから、当然のことか。
そんなわけで、珍しく働いたんだからあとはのんびり出来ると思っていた俺のプランは、完全に崩れ去った。翌日から、各省の担当者と実務打ち合わせをびっしり詰め込まれ、一日中喧々諤々のやり取りに追われる。何だか元世界の会社勤め時代に戻ったかのようだなあ。
くたくたになって伯爵家に戻ると、今日は種付け業務もなく暇であるらしいジーク兄さんが、ワインの瓶とともに迎えてくれた。あれはたしか、母さん秘蔵のアイスヴァインだった気もするけど、まあいいか。
「お疲れのようだね、侯爵閣下」
「からかうのはやめてくれよ、ジーク兄さん。俺がそんなのを望んでないことは、よく知ってるだろうに」
「うん、よく知ってる。だけど、これだけやらかしちゃったらもう、後戻りはできないね。諦めて王国男子のトップとして、我々を導いてくれるしかないよね」
いたずらっぽく笑う兄さんに、酸っぱい顔で応えるしかない俺だ。だけどちょうど良かった、俺もジーク兄さんに相談したいことがあったのだ。
「正体をバラす? まあ、いつかそんな日が来るのはわかっていたけど」
「うん、もう隠しきれないと思って」
グレーテルとのやり取りを話すと、兄さんはため息をついた。
「う〜ん。一番鈍いグレーテルだけは大丈夫だと思ったけど、身体接触で気付かれるとは盲点だったね。僕が注意してあげられればよかったけど、ルッツに魔力譲渡の才能があるなんて、想像つかなかったからなあ」
「ねえ『だけ』って言うけど、あとの二人は?」
「ベアトリクス殿下は口に出さなくても、もう察しておられるんじゃないかな。アヤカさんはどうだかわからないけど、闇一族がルッツの身辺を調べ上げているはずで……落馬以来おかしくなったことは、バレてると思ったほうがいいよ」
「やっぱりか……」
「だけど、このお二人は、元のルッツと深い付き合いがあったわけじゃない。彼女たちが好きなのは今のルッツだからね、素直に白状してゴメンといえば、許してくれそうだよね」
うん、俺もそう思ってた。ベアトの態度には、なにか父親にわがままを言いつつ甘える娘のようなニュアンスがあるし、アヤカさんはずっと俺を年上の夫のように立ててくれている。多分二人は、本能的に俺の内面がはるか年上だってことを感じて、どうもそういうところを気に入ってくれているらしい。大事なことを隠していたことは責められるかもしれないけど、受け入れてはもらえそうだな。
「問題はグレーテルだね。彼女は『幼馴染のルッツ』が大好きだったから」
うっ、そうだ。もちろん彼女は「今のルッツも好き」って言ってくれてる。だが不本意とはいえ、俺がかつてのルッツ君を追い出してこの身体を乗っ取ってしまったことを告げたら、複雑な……いや、かなりの衝撃を受けるだろう。その時、グレーテルが俺を見る目も、変わってしまうだろうなあ。
深いため息をついた俺だけど、兄さんの次の言葉には意表を突かれた。
「ねえルッツ。君は婚約者の三人ばかり気にしているようだけど、本当に理解を得ないといけない相手は、もう一人いるよ?」
「えっ? それって……母さんかい?」
「まあ、母さんもそれを知ったら悲しむだろうね。だけど僕が思うに、一生黙っていたほうがいい。母さんはああいう大ざっぱで単純な性格だから多分気づかないと思うし……なにかおかしいと感じても、黙っていてくれる人だよ」
おいおい、自分の母親に、えらい言いようだな。まあ確かに、せっかく俺をルッツ君として無条件に愛してくれている母さんを、無理矢理悲しませる必要はないわな。じゃあ、ジーク兄さんが「理解を得ないといけない相手」って言う人は、誰なんだ?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます