第83話 戦災復興

 かくしてこの大義なき戦は、ようやく終わった。早いとこ王都に帰って、のんびりしたいぞ。


 だがその前に、なすべきことがある。敵軍に踏み荒らされた北部領地の復興支援と慰撫を、女王陛下にまたしても丸投げされているからな。とりあえず軍需物資を放出して目先の救荒は行っているけれど、本来豊かな実りをもたらすであろう農地は、もう踏み荒らされてぐちゃぐちゃだ。今年の収穫は望めない……蓄えも乏しく、このままではこの冬が越せないだろう。


「ルッツ、どうすればいい」


 俺の隣に立つ陶器人形が、ぶっきらぼうにつぶやく。どうやら母親の丸投げ癖が、このお姫様にも遺伝してきてしまったらしい。だが、ここはきちんと考えないといけないよな。


「幸いなことに俺たちは強力な魔法使いをほとんど配下においている。もう戦も終わったことだし、魔力が切れるまで使い倒させてもらおう」


「うん、ルッツの思う通りにして」


「だけど、一番疲れるのは、ベアトだぞ?」


「民のために働いて倒れるなら本望」


 こういう言葉がナチュラルに出てくるところが、我が婚約者ながらカッコいいんだよな。ノブレス・オブリージュを地で行ってるっていうか……現代日本人にはない感覚だ。


「よし、それなら……」


◇◇◇◇◇◇◇◇


「土魔法使いは、前へ!」


 リーゼ姉さんの命令一下、百人を超える土属性持ちの女性たちが、一列に並ぶ。


「耕せ!」


 目の前には、帝国軍に荒らされた麦畑。中途半端に育った麦が、踏み潰されてただの麦藁になってしまっている。畑に鋤き戻して肥やしにでもするしかないが、それをやるだけでも普通なら一週間はかかる……あくまで、普通なら。


 だが、ベルゼンブリュックが誇る女性たちの土魔法は、凄まじかった。あっという間に表土が宙に浮き、空中でくるっとひっくり返って、次の瞬間にはストンと落下する。こんな作業を一時間ほども繰り返せば、見渡す限りの麦畑は、種まきを待つばかりの状態になる。


「よし、一斉に種をまけ!」


 同じく横一列に並んで待機していた住民と一般兵が協力し、一斉に種まきを始める。広大な畑だが、万を超える兵が加わっているのだ、作業はごく短時間で終わる。


「水魔法使いは、雨を!」


 号令に合わせ、畑の上「だけ」に、しとしとと柔らかい雨が降る。本来水魔法使いが得意とする「雨乞い」魔法だ。土はしっとりと濡れ、種籾にも潤いがもたらされる。


「さあベアト、君の出番だよ。ベアトが操る魔法の優しさを、みんなに見せてやるんだ」


「うん、頑張る」


 傍らに立つ陶器人形が、大きくひとつ息を吸いこむ。そして、かろうじて聞こえる程度の低い声で、俺には理解できない長い長い言葉をその桜色の唇から紡ぎ出していく。聞けば、古代の魔法言語なんだそうだが……まあ母さんの厨二的なアレよりは、恥ずかしくない分だけいいんじゃないかな。


 おっと、問題はそこじゃない。ベアトの身体が薄緑のもやのようなものに包まれたかと思うと、それはゆっくりと広がって……種をまいたばかりの麦畑を覆い始めた。そして息を呑みながら見守っていた民たちから、声が上がる。


「見ろ! 種が芽吹いた!」

「どんどん、緑が広がってる……」

「あれが、王女殿下の魔法なの? 凄いわ!」

「麦が収穫できるのか? まさに……奇蹟だ!」


 そう、俺達の近くから徐々に麦が芽を出し、茎がしっかりと育って、やがて幼穂をつけていく。戦ですべてを奪われ、この冬の暮らしすら想像できなかった彼らにとって、目の前で展開するベアトの魔法は、まさに明日への希望そのものなのだ。すでにベアトの姿に向かってひざまずいて祈りを捧げ始める者も多い。


 ベアトは、ちょっと見には変わらない表情で精神集中を続けている。だけど気づいてしまった、彼女の秀麗な眉が一瞬、ぴくりとわずか震えるのを。よく注意してみれば、白皙の頰はますます白く……というより、もはや青白くなってきている。


 考えれば、無理のないことだ。見渡す限りの麦畑は、何しろ広大だ。植物の成長を促すだけなら魔力消費は比較的少ないとベアトは言っていたけど、対象が多すぎるのだ。魔力Sクラスを誇る彼女といえども、魔力不足に陥りかけているのだろう。


 こんな時に、力になってあげられないのは、なかなか辛い。この世界での俺は単なる役立たずの種馬でしかない、見守る以外にできることはないってのは、もちろんわかっているんだ。だけど、目の前で民のため身を削っている少女の姿を見て何もできないってのは、切なすぎるじゃないか。


 やがて、ベアトの呼吸が少しずつだけど、乱れ始める。ものすごい速度で広がって、手元では既に穂をつけ始めていた麦も、心なしか勢いを失ったように見える。そして大きな目がわずかに細められた瞬間、なぜか俺にはわかってしまった。無理を続けてきた彼女の魔力が、今まさに尽きかけようとしていることを。


 そして不意に、ベアトの身体が、わずか後ろに傾ぐ。


「ベアトっ!」


 俺は思わず駆け寄り、その背中を支えた。


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