第82話 終戦

 結果的に、これが最後の直接対決となった。戦死者と捕虜を合わせ五万を優に超える人的被害を出した帝国が、あわてて講和の使者を送ってきたからだ。


 本来なら、ここで徹底的に敵を叩いてしまった方が、将来のためになるはずだ。帝国の上層部に信義など期待しても無駄……国力が回復すれば、またぞろ豊かな土地を求め、ベルゼンブリュックにその毒手を伸ばしてくるに決まっているのだから。


 だが、こっちの陣営も連戦連勝しているとはいえ、それほど長く戦を続けられるわけじゃない。何年も掛けて侵攻準備をしていた帝国と違って、王国側は不意打ちを食らってやむを得ず応戦しただけで……長期戦をするための補給や、人的支援体制がまったく整っていないのだ。王国が誇る美しき魔法使いたちが奮戦すれば局地戦では勝ち続けられようが、帝都に向かう長い道のりで、間違いなく兵士が飢えてしまう。慈悲の人である女王陛下が現地調達……ようは略奪など許すはずもないから、このまま戦争継続していたら一回も負けないうちに詰んでしまう未来図が確定だ。


 そんなわけで、適当なとこで切り上げたいのは俺たちも同じだ。大義のない欲まみれの戦を仕掛けて王国の国土を踏みにじり、民を害したことに対する補償は、たっぷりしてもらうこととしてな。


 そういう交渉の前面に立つ役目は、本来なら女王陛下であるべきなのだが……陛下はご自分の味方だけではなく敵に対しても非情になれない、慈悲深いといえば格好いいが、ようは甘いお方だ。普段はその性格が国民を引き付けているのだが、こんな場面ではそこに帝国側が付け込んで来るだろう。


 だけど陛下は賢いお方だ、ご自分のことをよくわかっておられた。


「私は捕虜を連れて一足先にベルゼンブリュックに戻る。交渉の全権はベアトリクスに委ねるゆえ、皆よく補佐するように」


 そうさ、ベアトは外交交渉には最適任だ。レアスキル「精霊の目」は、相手の害意や嘘を、決して見逃さないし、陶器人形のように抑揚の乏しいその美貌から、感情の揺らぎを読み取ることは著しく困難だ。唯一の欠点といえばその若さゆえに相手に侮られることくらいだが……そんな上っ面でマウントを取ってくる相手は、後で泣きを見ることになるはず。


 まあそんなわけで……帝国側からは軍務大臣だの国務大臣だの色々いかめしい肩書きのオバちゃんが出てきて、条約のあちこちに分かりにくい但し書きを付け加えて自分たちの利益を守ろうと汗をかいていたが、ベアトは一つとして、それに引っかからなかった。


「その条項にこだわるならば、私たちは帝都に向けて再度前進するまでです。いかがなさいますか?」


 まったく揺らぎを見せない陶器人形の口からそんな台詞を吐き出されれば、交渉にかけては百戦錬磨であろう帝国側の代表も、震え上がろうというものだろう。


 例によってベアトは、「ルッツ、どうしたい?」の一言で交渉作戦を俺に丸投げしてきた。おいおいと思わないでもないが今回はそんなに難しくない、そもそも俺たちは戦で連戦連勝しているし、帝国が国是として領土拡大が第一義としていることはすでに有名な事実、それを利用してやればいいのさ。


「こたびの戦、我が国には何ら非のないもの。賠償として国境に接する三つの州を割譲していただく程度のことは、当然でしょうね」


 初っ端にベアトの冷たい唇からそんな言葉が抑揚を抑えたアルトで吐き出されれば、帝国の交渉役も、冷汗を背中に流さざるを得ない。王国代表が子供ばかりだってことを侮って最初は鼻息を荒くしていた奴らも、気がつけばこっちのペースに乗せられている。やつらの焦り具合をベアトの「精霊の目」で見極めつつ……しっかり頃合いを見て領土要求を「しぶしぶ」取り下げる代わりに経済的な条件を突きつければ、敵はそれに飛びつくしかないってわけさ。


 そんなわけで結ばれた終戦協定は、実に有利なものになった。


 ひとつ、帝国の捕虜約二万を、王国の奴隷とすることを認めること。奴らは貴族の女たちだけは返せと執拗に粘ったけど、返すわけがないだろ。軍に属する貴族女性はみな強力な魔法使い……帝国に戻したら、またろくでもないことを仕掛けてくるに決まっているからなあ。


 ふたつ、今後ベルゼンブリュックがリエージュ公国に対して如何なる処分をしようと、帝国はそれに異存を唱えないこと。あんな火事場泥棒共には、たっぷりお灸を据えてやらないといかんからな。公国は帝国の同盟国……というより半属国みたいなもんだけど、今度ばかりは見捨てざるを得なかったってわけだ。


 みっつ、第二皇女を王国に留学させること。まあ当然これは、実質的な人質だ。継承権第二位のお姫様を預かっておけば、しばらく愚かな真似は控えるだろう。あくまで、しばらくの話ではあるのだが。


 最後によっつめは、賠償金だ。帝国にカネの余裕を与えたら、それを軍備に注ぐことは間違いない。しばらくは貧乏でいてもらわないといけないのだ。毎年五億金貨を向こう十年払わせることで、決着がつく。帝国の国家予算は年に三十億金貨くらいだっていうから、むちゃくちゃ重いはずだ。当然先方はゴネまくったけれど……


「これを呑んで下されば、領土の要求は取り下げて差し上げてもよろしいのですが」


「そ、それは……」


「もちろん、交渉を継続しても構いませんわ。ベルゼンブリュックとしては、領土拡大のほうが望ましいですから」


「い、いえ! 是非賠償金でお願いしたい!」


 チョロいぜ、俺が描いたシナリオどおりだ。こめかみに汗を流す帝国の大臣を横目に見て、俺は胸の中でつぶやいた。

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