第76話 オバちゃんはお花畑
「罪なき者を奴隷に落とす権利など、私たちにはない!」
「彼らは我が国に故なく攻め込み、略奪や破壊、誘拐から殺害に至るまで、暴虐の限りを尽くしたはずですが、それは罪ではないのでしょうかね?」
幾人かが、深くうなずく。いくらなんでも奴らを「罪なき者」ってのは、無理がありすぎるだろう。まあ、情緒的にすぎる最初の発言で、このオバちゃんの知性の程は知れた。いわゆる「お花畑」ってやつさ。元世界ではそれほどディベートに強くなかった俺だけど、この程度のおつむをお持ちの相手なら、なんとかなりそうだ。
「そ、それは……上官から命ぜられれば従わざるを得ないのが軍人であろう。強制された行為は、その者の罪ではないっ!」
「なるほど。我が国への侵攻自体は、確かに命ぜられたものであり、彼ら一人一人に罪を問うことは、確かに酷でしょうね。ですが……彼らの上官は、民から少ない蓄えやわずかの財物を奪ったり、少年や娘に乱暴したりすることを、命じたのでしょうかね?」
「くっ」
この程度の反論で、言葉を失って顔色を赤黒くしているこのオバちゃんは、かなり考えの底が浅い。陛下は賢く思慮深いお方だけど、何でこんなのをおそばに置かれているのだろうな。
「たとえ彼らに罪あるにせよ、すべての人間には自由意思による行動が認められるべきだ。それを否定する権利は、貴様ごときにあるはずがないっ!」
「なるほど、彼らを自由に振る舞わせるべきだと。ですが貴女は、彼らが好き勝手に行動した結果、ベルゼンブリュックの民が虐げられたことを、お忘れになられたのですか? もう二度とあんなことをさせるわけには行きませんが……捕らえて奴隷にすることがダメなのであれば、第二の選択肢をとるしかありませんね」
「第二の選択肢だと?」
「ええ、それはもちろん、彼らを皆殺しにすることになります。我が母の火炎魔法を以ってすれば、身動きの取れない彼らを、まとめて火葬することができますね」
「まさに暴虐の徒! 殺すか奴隷にするかの邪悪な手段しか思いつかぬとは」
暴虐と来たか。まあ、実際に戦ってない奴からしたら、俺たちは暴力大好き人間に見えるのかもなあ。おっと、このオバちゃんをやっつけるという本来の目的を、忘れちゃいかん。
「それではナターリエ卿なら、敵をどうなさるのですか?」
「武器を放棄させて、それぞれの郷里へ返せば良い」
「なるほど、きっと一月もしないうちにその故郷に帝国から召集令状が届き、彼らは軍に戻るでしょうけどね。十分に訓練され、実戦も経験した即戦力の軍隊が出来るというわけです、帝国にとって大変結構なご提案と言えますね」
「戦場には戻らないと約束させれば……」
「約束を守る信義が帝国にあれば、ですが」
確かに元世界の歴史でも、戦線に復帰しないと約束した上で郷里に帰すという牧歌的な降伏条件が、南北戦争かどっかであった気がする。だけどそんなのが成立するのは、似通った価値観と高い倫理観を共有する間柄の争いで成り立つもので……この世界じゃ、無理だろうな。
「円滑で互恵的な関係は、相手を信じることから醸成されるのだ」
「帝国や公国を信じたあげくの結果がこの戦争です。陛下は二十数年前の戦勝に驕らず、壊滅的な損害を被った帝国に、慈愛の心をもって接しました。それは立派なことだったと思いますが、そこに感じて我々に対する態度を改めようとする良識が、帝国にはなかったということです」
「貴様は、陛下の御心を、貶めようと言うのか!」
ほら来た。いるんだよな、偉い人の名前を出して相手を黙らせようとする奴が。こいつもそういう類だったか。
「とんでもない。吠える犬に対しても一旦手を差し伸べることは、王者にふさわしい寛大な振る舞いでしょう。ですがこの犬は差し出した手を噛んだのです、犬にふさわしいしつけをしてやるべきでしょうね」
「この、男のくせにペラペラと……」
すでに相手は、茹でダコのように頭から湯気を立ち昇らせている。俺が口にした「犬」はもちろん帝国のことだが、そこに込めたイヤミに、当然気づいたのだろう。オバちゃん、なんの権限もない犬のくせに吠えまくっているのは、あんただぜってな。
「そこまで」
冷え冷えとしたアルトが指揮所に響く。陶器人形にも例えられる感情に乏しい顔が、俺とオバちゃんに向けられている。
「ルートヴィヒ卿。万を数える奴隷を得たとして、卿は彼らをどう処遇するのですか。外国に売り払うつもりですか」
「売り払うのも今回の戦費を取り返せる良い手段です」
「なっ…」
また反応してきたオバちゃんを、ベアトが冷たい視線で黙らせる。それにしたってこのオバちゃん、王族の会話に口挟むとか、どんだけ自分を偉いと思ってるのかな。まあ今はそんなことどうでもいい、ベアトが俺の提案を通すべく、サポートしてくれているのだから。
「ですが今回は売りません。彼らはベルゼンブリュック国内で働いてもらいましょう。南部の開拓に人手が不足していると聞いていますからね」
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