第74話 敵兵の処置

 ベアトはもう木々に魔力を注いでいないけど、すでに熱帯雨林でもあるかのように鬱蒼と茂った森はもはや帝国兵をがっしりと捕らえていて、そこを抜けて逃げ出してくる兵もまばらだ。


 今まで黙って戦況を見守っていた母さんが、意を決したように口を開く。


「陛下、如何いたしましょう。ここで私に火炎魔法を使えと御下命あれば、帝国軍を一兵たりとも逃しはしませんが」


 そうだ、二万を数える帝国軍はたった今、崩れた煉瓦と生い茂る樹木の檻に閉じ込められて動くこともままならぬ。そこに母さんの無慈悲な焼き尽くし系火炎魔法を浴びせれば、一人残らずこんがりと焼き上がることだろう。前線でぶちかました三万の損害も合わせれば、帝国軍の再建には、十年以上かかるだろう。


「うむ、ここまであからさまに敵対され一方的に攻め込まれ、果ては我らの民を盾に取られたのだ。さすがにここは徹底的にやらねばと思うのだが……」


 女王陛下が、言葉を濁す。愛する民を害された怒りは何よりも大きいが、抵抗力を失った敵を虐殺することには、ためらってしまうのが陛下の性格なのだ。こんな大国を率いる君主としては甘いと思うのだが、その優しさが王国の民を安んじてきたことも、また事実なのだ。まあこれを決めるのは偉い人たちの責任だ、俺の出る幕はない。


 しばらく沈思黙考していた陛下が、ふと顔を上げた。


「うむ。今回の城攻め、殊勲を上げたのはベアトだ。奴らの処遇は、ベアトが決めれば良い。なあ、お前は奴らを、どうしたい?」


「私が……決めるの?」


「そうだ。母はこの通り、個人的感情に振り回されて大局を観た決断ができぬ、弱き女王だ。だがお前は違う、冷徹に事実を見極め、流されぬ思考ができる娘だ。次期女王として、国の行く末を考えて判断するのだ、ベアトリクス。お前の判断に、私は異を唱えぬ」


 ベアトの白皙の頰から血が引いて、今や青く見えた。それはそうだろう、ベアトのちっちゃな舌に、万を超す生命が乗っているのだから。


 重すぎる決断に、白く細い指が震える。俺が思わずその右手をとって両手でぎゅっと握り込むと、ベアトが何かを訴えるように、揺れる翡翠の視線を向けてくる。目をそらさないようにじっと見つめ返していると……なぜだか徐々に、その揺れが収まってくる。まあ少しは落ち着いてきたんだろう、これでいつも通り冷静な判断をしてくれれば、とか思ってしまった俺は甘かったらしい。もともと大きな目を一段と見開き、きゅっと口角など上げたベアトは、とっても無責任な言葉を吐き出したのだから。


「うん、帝国兵をどうするかは、ルッツが決めて」


「はあっ?」


 いや、それはないだろ。女王陛下はベアトに、次期女王として決めろって仰ったんだぜ。俺が決めちゃったら台無しだろ。俺の訴えを聞くだけ聞いたベアトは陶器人形モードを崩し、とってもいい笑顔になって、言葉を続けた。


「そうだね。決断は私がしないと。だから、ルッツがこうしろって言ってくれたら、私はその通りに決める、それならいいはず」


「いや、良くないだろ、だって……」


「ルッツ、王配の務めは何?」


 やや慌てて反論する俺に、ベアトがかぶせてくる。もちろんそんなことは知ってるさ。


「女王を補佐し、助言すること、だけど……」


「なら助言して。それを私が丸呑みしたとしたら、それは私の判断ということ」


「う……」


「言ったはず。ルッツの意志は、私の意志」


 これがデレだとしても、言ってることはめちゃくちゃだろ。いくら俺がベアトの種馬候補だとしても、まだ結婚もしてないし、王配うんぬんはまだ「候補」にしか過ぎないんだぜ。こんな大勢の生命がかかった決断を、たかが伯爵家の四男ごときに丸投げするって、ないだろ。


「なあベアト……」


「お願い、私を、助けて」


 さっきまでふざけた色を浮かべていたベアトの目が、真剣なものに戻る。翡翠の瞳が、頼りなく揺れているのに気付いて、俺はうろたえてしまう。


 そうだ。俺はいつもベアトの多少何があろうと陶器人形のように変わらない表情を見てきたから、さすがは国を率いる王族、多少のことなら動じないんだなってなんとなく思ってきたけれど、彼女だってまだ十六歳の少女なんだ。俺みたいに変に老成して「戦争仕掛けたんだから負けた時の覚悟はできてるだろ、やっちまえ」的に醒めた思考をするわけもなく……二万もの人間を虐殺することに重い罪悪感を感じ、逡巡するのは仕方のないことだ。


 もちろん、公国との戦いではベアトの命令で、一万を超す兵をリーゼ姉さんの氷槍で葬っている。だがあの時は敵を倒さなければ、自分たちが蹂躙され、虐殺されていた。やるかやられるかの瀬戸際だったのだ、迷う余裕などなかった。


 ひるがえって今は、すでに敵は組織的戦闘能力を無くし、植物の檻に囚われている。無抵抗の敵兵を殺すことが必要だと認めつつ、ベアトは迷っているのだろう。そしてベアトは、あの優しすぎる女王陛下の娘なのだ。


 仕方ない、ここは中味六十代の俺が、悪者になるとするか。


「わかった、ベアト。俺の意見を聞いてくれ」



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