第73話 ベアトリクス、覚醒

「……静かなる生命たちよ、我なんじらに、約束の大地を与えん!」


 黄金のように色濃い豪奢な金髪が、あふれる魔力でなびく。陶器人形と称される清冽で冷たい美貌が、ますます凄みを増している。翡翠の瞳に強い光を宿したベアトが、俺にはさっぱり理解できない長い呪文を低く唱えた後、一転鋭い調子で叫んだ。


 見渡す限りの範囲で、何も起こらなかった。少なくとも最初は、そう見えたのだ。


 だけどベアトの魔法は、静かで優しいけど、じわじわ着実に効いてくる魔法なのだ。彼女の身体を薄い緑のオーラが包んでいるのを確認し、俺は作戦の成功を確信する。


「何だあれは? 城壁の色が変わってきたような気がするな?」

「そう言えば城壁のてっぺんに、なにか生えて来たような気がしないか?」

「ホントだよ、ヒースが壁の上でどんどん増えてるぞ」


 そうさ。ベアトの魔法が、敵城の城壁や尖塔、櫓のあちこちに所構わず、最初は苔、次いで雑草を生い茂らせ始めたんだ。王国の射手が城にバラ撒いた粒のようなものは、さまざまな植物の種や胞子なのさ。そこに水魔法部隊が潤いを与え、ベアトが魔力で成長を促す……これが俺の提案した攻略法なんだ。

 

 そしていよいよ、下草の中から、樹木の苗が顔を出す。それは信じられない速度でにょきにょきと、その丈を空に伸ばし、枝を横に広げていく。城壁のてっぺんにも中腹にもお構いなくへばりつき、見る間に成長していくそれは、新手の魔物かと思わせるくらい不気味なものだった。


 当然のことながら、上に横にと育ちまくる樹木は、その拠って立つ大地に根を張ってゆくものであり……木々は漆喰の隙間がわずかでもあればそこに根っ子の先を突っ込み、奥へ奥へと浸透していく。際限なく成長していく木の根は徐々に煉瓦同士の隙間を広げ、しまいには煉瓦そのものを邪魔者として排除しようとする。


「うわっ、あれを見ろ!」


 兵士が城の隅を指差すとほぼ同時に、始めはガラガラ、しまいにはドカンというような轟音が響いた。場外を常時厳しく見張り、敵来たらば飛び道具を放つことで城を守護してきた堅固な煉瓦造りの尖塔が、どてっ腹に根を張った樹木に食い破られ、中間あたりからポキリと折れて、城内に崩落したのだ。一緒に落ちていく塔の中の兵は哀れだが、他国に侵略して暴虐を尽くした奴らなのだ、その程度の覚悟はできているはずだ……たぶんだけど。


「すげえ、あんなでかい塔を、木がぶっ壊しちまった!」

「塔だけじゃないわ、あっちを見て!」


 女魔法使いが指し示す先では、暗赤色の城壁最上部ですくすくと育った樹が赤く大きな実をつけ……いや問題はそこではない、ついにその根がしっかりと堅く組み上げられていたはずの壁を崩し、支えを失った煉瓦がバラバラと落下してきているのだ。城壁の上から余裕たっぷりに俺たちを見下ろし、時折り矢など放ってきていた敵兵が、足場を失って右往左往している。


「よし、あと一歩だベアト、魔力はまだ大丈夫か?」


「問題ない。草木を育むだけならば力はそれほど必要ない」


 答えるベアトの表情に苦しさのようなものが一切感じられず、平らかであることを確認して、俺も安心する。まあ書物で学んだところによると、植物が生存と繁殖のため時間を掛けて成長していくのを早めるだけなら、魔力消費はわずかであるらしい。たっぷり魔力を食うのは、以前野盗との戦いで彼女が見せてくれたように、ありえない方向に枝を伸ばすとか、本来植物が望まないであろうことをする行為なのだそうだ。植物にも意思みたいなものがあるのか……この世界の植物は、やっぱりなんだか魔物っぽいよな。


 そして目の前では次々と赤い煉瓦の壁が崩れ、樹木に飲み込まれていく。慌てて飛び出してくる敵は王国弓兵の格好の標的となり、何を為すこともできず次々と斃れるのだ。二時間もすると城内には二階より高い建物はなくなり……いやもはや、どこからが城内であったかすらわからない、不思議な密林に変わっていた。


「こんなことが、木属性魔法で出来るなんて……」

「いいえ、あんな素晴らしい戦果を挙げられたのは、ベアトリクス殿下のSクラス魔力あればこそよ!」

「そうよ! ベアトリクス殿下、万歳!」

「ベアトリクス様ぁ!」


 兵士たちから、ベアトを賞賛する声が次々と上がる。その戦果に対する驚きは、むしろ魔法使い部隊の方に大きいようだ。彼女たちにとって木属性は、民を豊かにするものではあっても、戦の先陣に立って民を守る力ではなかったのだから。


「私にも、こんなことが……」


「ほら、みんながベアトを讃えているじゃないか。応えてあげないと」


「う、うん」


 なんだか自分の世界に入っていたらしいベアトが俺の声で我に返り、指揮櫓に登って全軍にぶんぶんと元気よく手を振る。その姿はいつもの陶器人形ではなく、桜色に頬を染めた、紛れもなく十六歳の少女らしいものだった。


「ヒルダ、お前の息子がまた妙な知恵をつけたようだの。つくづく暴れん坊じゃの」


「面目ないことです……」


 いや俺、何も悪いことしてないと思うけどな?




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