第70話 ベアトの出番

「うん、頑張る。初めてルッツが、頼ってくれたから」


 頑張る理由が微妙に違うだろうという気がするが、ベアトがやる気を出してくれているなら文句はない。


「みんな、できるだけ森の奥に急いで撤退! 闇一族は先導してくれ、悪いがグレーテルはしんがりを頼む!」


「ええ、任されたわっ!」


 やたら張り切った声でグレーテルが気合を入れると、彼女の身体と手にした中剣に、プラチナ色のオーラが輝く。今日はストロベリーブロンドをきっちり結い上げているところを見れば、彼女も肉弾戦を覚悟していたのだろう。間違っても敵に掴まれないように……って言ってたもんな。


「グレーテルの出番はまだ後。出番が来ないようにするのが、私の仕事」


 そう言いつつベアトが低い声で何やら不思議な呪文を唱えたかと思ったら、周囲の景色が変わった。森の、敵に面した側にある木々がなぜかみんなその枝を横に向かってにょきにょきと伸ばし、互いに絡ませ始める。瞬く間にそれは分厚い木の格子となり、人の出入りを柔らかく、しかし敢然と阻む壁となってゆく。


「これで少しは時間が稼げる。だけど母様の土壁と違って、木は斧で断ち切れるし、火にも弱い」


 やや自嘲気味にベアトが吐く言葉は間違いじゃないが、人の脚より太い枝が二重三重に絡み合った木の防壁は、それほど簡単にぶち破れるものではない。ベアトはそれを幅百メートルくらいこさえると一旦下がって、五十メートルくらい後ろに、また壁をつくる。そうやってちょっと移動しては壁をつくり、また森の奥に向かって移動する。


 これが俺の提案した、ベアトの木属性魔法を活かす戦い方だ。


 ベアトの母上……女王陛下の繰り出す土壁は確かに強力な防壁だ。しかしそれを見た敵はそれを破壊することなど考えず、さっさとそれを迂回していくだろう。結局のところその防壁を延々と左右に伸ばすことが必要になるわけで、術者の負担は大きい。


 だが、目の前の壁が、ちょっと頑張れば壊せるように見えたらどうだろう。戦う人間の心理として、それを破って前に進みたくなるものじゃないだろうか。


 そんなことを考えて、一見簡単に突破出来そうだけど実は面倒くさいベアトの枝防壁を、何段も重ねて仕掛けることを俺は提案したってわけだ。そして最近やたらデレてくれる術者のベアトは、その案を迷わず丸呑みして……すでに追手との間に、五段の壁を構築している。


「殿下の魔法は凄いわね、これで逃げ切れそう!」


「それはわからないよ、敵がやけくそになったら……」


 俺と母さんがそこまで言葉をかわした時、グレーテルの慌てた叫び声が聞こえた。


「うわっ! あいつらバカなの? 火魔法を撃つなんて!」


 そう、森の中で火炎魔法を撃つなんて、通常はあり得ない。下手をすればその火は森の木々に燃え移り、大規模な山火事を引き起こしてしまうのだから。そうなってしまったら敵も味方も、まとめて焼死の危険にさらされるからだ。


 だが、目の前で母さんの超絶魔法が数千の味方を壊滅させたシーンを見てしまった帝国兵は、ある意味追い込まれた心理にあったようだ。あの魔法が次は、自分たちの上に浴びせられるのではないか……国に帰るためには、あれほど危険な魔法使いを生かしておくわけにはいかない、必ず抹殺せねばと。


 おそらくそんなパニック的な心理状態で放たれたのであろう帝国の火魔法は、ベアトが構築した樹木のバリアを燃やし、じわじわ削り取ってくる。そしてかなり引き離したはずの敵兵が、着実に近づいてくるのが感じられる。


「こうなったら……もう一発でかいのを撃つ?」


「ダメだよ母さん、母さんの魔法なんか撃ったら、俺たちも焼け死んじゃうよ」


 何かと思考が短絡的な母さんを慌ててなだめる俺。母さんの魔法は強力だけど見境ないやつだから、森全体を焼き尽くしてしまいかねないよなあ。


「ルッツ様、僭越ながらここは、我々にお任せ頂けませんか」


 こんな事態なのに落ち着いた声に振り向けば、そこには闇一族のミフユさんが、真剣な表情で俺を見つめていた。


「自分の身を犠牲にして逃げる時間を……とかいうのは、ダメですよ」


「いえ、これは皆で生き残るための提案です。この状況は、私たち闇一族にとっては、利用すべきところがありますから」


 確かな自信をもって言い切るミフユさんは、アヤカさんみたいに誰もが振り向く美人ではないし、サヤさんみたいに色気を振りまいてはいないけれど……その時の俺にはすっごく魅力的に、輝いて見えた。


 こういう経験、元世界でもあったよなあ。全く意識してなかった髪ボサボサの眼鏡女が、期末の修羅場で徹夜して職場のミスを修正して見せた時の表情に、思わずドキドキしたっけ。あの眼鏡女は、今頃また髪を振り乱して残業しているのだろうか。


 おおっと、そんなしょうもない追憶に浸っている場合じゃなかった。俺はミフユさんのやろうとしていることを手短に聞いたあと、二十秒だけ考えて結論をだした。


「お願いします、ミフユさん」

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