第69話 もう一発、いっとく?

「さて、これほどの炎と煙が上がったのだ。前線でも、気付かぬはずはない」


 ベアトの言うとおりだ。これだけ派手にやらかしたのだから、帝国も前線基地が失陥したであろうことは悟るだろう。まさか灰すら残さないほど綺麗に焼き尽くされているとまでは、思いもしないであろうが。


 補給から、傷付いた兵の治療や補充まで、何から何までバックアップしてくれていた拠点が破壊されたショックは大きいだろう。だがもっと彼らの不安をかき立てるのは、母国に還る道が、失われることだ。これまで勝ち続けて来た彼らだって知っている……王国の魔法使いたちが本気を出せば、攻守逆転する可能性は大きいこと。そしてたった今は素直に従っているように見える民たちも、帝国軍が一旦敗れれば姿勢を一変させて、撤退を妨害し補給を拒み、果ては敗残者狩りで兵士たちの装備や、生命まで剥ぎ取ろうとすることを。


 その万一の際にも彼らの安全を担保してくれていたのが、あの強大な前線拠点であったのだ。それが失われたことが、帝国兵たちにとって「我が家に帰れない」と同義に感じられたのは、無理のないことだろう。


「おそらくはおっとり刀で引き返して来るな。二万の兵に追われたらいくらグレーテルでも無理だ、一旦森に引き返そう」


「うん、そうする。ルッツの意志は、私の意志」


 なんだかだんだん、ベアトの発言にヤンデレ臭がしてきたのは気のせいだろうか。俺たちって陛下の政略にもとづく婚約者だったはずなんだけど……やっぱり最近、やたらと好かれているように思えるのは、うぬぼれじやないよな。まあ俺にとってもそれはとても心地よいもので……こんな美少女に真剣な視線を向けられて、嬉しくない男なんていないだろうし。まあ、背中に突き刺さる幼馴染の殺人光線がやや気になるわけなのだが……後でケーキでもおごって、許してもらおう。


 そんなわけで俺たちは、森に隠れた。とはいえもはや帝国軍が森を索敵する意味などないわけで……簡単な魔道具でお湯を沸かし、べアトが自ら淹れる紅茶の風味を楽しみつつ、前線の敵が戻って来るのを待つだけの時間だ。


「やっぱり殿下のお茶は美味しいですわね」

「なぜでしょうね、同じ茶葉でもベアトお姉様が淹れると香りが違うというか……」

「あたしは緑茶の方が好きだったはずなんだけと……こんな美味いのを頂いちまったら、紅茶派になっちゃいそうだね」


「邪魔だったけど、ポットを持ってきて良かった」


 女性陣が次々と繰り出す賛辞に少し頬を染めつつ、ベアトの瞳はカップから立ち上る湯気にあごをくすぐらせている俺に、まっすぐ向けられている。静かな圧を感じつつ、一口含む。


「美味い。こんな野山でベアトのお茶が味わえるなんて、贅沢だな」


 陶器人形にも例えられる冷たい美貌が崩れ、不器用な笑顔がこぼれる。その瞬間だけは、ベアトが普通の十六歳に見えた。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「来たわ、先鋒に五千、その後に一万というところね」


 何でも闇の一族で一番目がいいというサヤさんが、前線から退いて来る帝国軍を樹上から観察している。さあっと眺めただけでおよその兵力がわかってしまう能力は凄いと思うのだが、彼女に言わせると闇一族の者ならこのくらいは基礎の基礎なのだとか。厳しいもんだよなあ。


「よしっ『人間の盾』はいないみたいね」


「まあ、急いで戻って来たのだろうから、歩みの遅い民は連れてこれないよな」


 そう、これが俺の狙いなのだ。後方基地を攻撃されたことを知った敵は、何を置いてもとにかく早く状況を確認し、小癪な相手を撃滅しようとするだろう。そんな時に、老人から子供まで一緒くたに縄で繋いだ「人間の盾」なんて持ってくるわけがないからな。


「うん、じゃあ早速いくわよ!」


「ちょ、ちょっと待って母さん……もっと引き付けて、できるだけ多く倒してくれよ」


 母さんの魔法は、ばんばん連発できるようなものじゃない。せっかく敵が最大勢力で攻めてきてくれたんだから、できるだけ多くの敵を巻き込んでくれなくては。


「う……わかったわよ。もう魔力は練り上げちゃったんだから、早く指示出してね、まだ?」


 いつも仕事でせかせかしている母さんは、こんな戦いのときもせっかちだ。


「まだだよ、今撃ったら、先陣の連中にしか当たらないじゃないか」


「あんまり待たせると、炎が漏れちゃうわよ!」


「はぁ……じゃあ、あと二十数える間我慢して。二十、十九……」


「長いわよ!」


「十一、十……もう少しだから!」


「もう漏れちゃうっ」


「三、二、一……撃っていいよ!」


「よおしっ! かの正しからざる者たちを紅蓮の炎で焼き尽くし、我が力をここに示さんっ……燃えよっ!」


 なんだかさっき唱えた呪文とは随分違う感じだけど、厨二臭いことはおんなじだよなあ。そして、顕現した魔法も、さっきと全く同じだった。目の前の平原にいきなり炎が噴き出し、そこに立つ敵兵を無慈悲に焼き焦がしてゆく。この一発でできる限り片付けたかったけど……母さんの詠唱準備が早すぎたのと、基地に居た奴らと違って敵が密集していなかったこともあって、さすがに後方の敵は無傷みたいだ。


「サヤさん、どのくらい倒した?」


「およそ半数!」


 そうか、それじゃあ七千くらいは、残ってしまったか。あいつらが俺たちを見つけたら厄介だ……奴らは仲間をしこたま殺された怒りを晴らさんとして、その数を恃んで襲いかかって来るだろう。母さんが撃つような大規模魔法は、一発かましたらしばらくの間、もう撃てない……それは魔法使いでない者たちの中でも常識だ。魔法使いがもう一遍チャージする前に殺すしかないと、みな思い定めているだろう。


「あっちだ!」


 遠くにいて無傷の兵士たちが、俺たちを指差す。そりゃあんなに派手な火炎を放出したら、出所は一発でバレちゃうよな。


「仕方ないな、ベアト……やっと出番だぞ」


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