第68話 母さん、無双

 上機嫌なグレーテルを先頭に、俺たちは更に森の中を進んだ。哨戒の兵を倒してしまったからには、もはや時間の余裕があまりない。彼らが定時で戻らねば、基地の連中は異常に気付いて警戒レベルを引き上げてしまうであろうから。


 そんなわけでやや急ぎつつ七〜八キロほど歩いた先に、目当てのものを見つけた。木立の隙間から見えるものは、麦畑を潰して建設された、木の防壁が二重にぐるりと囲う巨大な拠点だ。その中にはおびただしい数の兵隊がいて……すでに立派な兵営や糧秣庫が建造され、輜重車も次々と帝国側から到着している


「凄い規模。こんな前線基地を我が国の領土に造られてしまったとは不覚」


「中には二万五千の兵が、出陣を待っています。そして、五万の兵を半年養えるだけの兵糧も運び込まれました」


 ひっそりと合流してきた闇一族の男が、ひざまずいてベアトに報告する。彼はここ十年くらい、族長の命を受けて帝国の民として潜り込み、情報を探っていたのだ。この戦にあえて志願し、敵拠点の情報を集めるだけ集めて、逐電してきたというわけだ。こういう働きをしてくれる人は貴重だよな……十分な報奨をあげるようにアヤカさんへお願いしよう。


「リュブリアーナ帝国は本気で腰を据え、王国を蹂躙するつもりなのだな」


「はい、一時の略奪を狙うものではなく、領土を拡大する陣立てです」


 そうだろうな。前線に出て女王陛下やリーゼ姉さんと対峙している軍がおよそ二万、そしてその後方をバックアップするこの基地に二万五千……帝国はその軍事力の過半をこの戦線に振り向けているのだ。後詰めの兵が前線に出てきたら「人間の盾」のせいで魔法攻撃が使えないベルゼンブリュック軍は、またずるずると押し込まれるだろう。さっさとこいつらを片付けないと。


「ベアト、基地の兵が出陣する前に、叩こう」


「ルッツの言う通りだ。ヒルデガルド卿、いよいよ出番だ、頼む」


「はっ!」


 母さんが、いよいよ出番かとばかりにやたらと張り切って、呪文の詠唱を始める。火属性にふさわしい鮮やかな赤毛が風に揺れ、はしばみ色の瞳に光が満ちる。まあ、ここ二週間ほど、帝国の「人間の盾」戦術にヤラれて、魔法を撃ちたくても撃てない状況に追い込まれていたのだ。直情的な母さんが溜めたうっぷんは、かなりのものだったのだろう。


「我こそは火の精霊より祝福を受けし使徒なり……原始の炎よ、我が呼び掛けに応えよ……罪深き我が敵をその腕に抱き締め、食いつくすべし……」


 なんだか厨二病っぽい台詞の羅列に少し引いてしまう俺だが、母さんの魔法流儀はいつもこうなのだ。何やらカッコイイ……と本人だけは思っている言葉を延々と紡ぎ出しながら、自らの集中を高めていくのだ。ベアトやリーゼ姉さんも詠唱はするけれど、こんな長ったらしく恥ずかしい呪文を必要とするのは、母さんくらいであるらしい。


 だが、俺から見たらえらく恥ずかしい台詞を、母さんは照れることなく真面目に吐き切った。


「……神意の炎よ、あ奴らを灰燼に帰せっ!」


 そう叫んで母さんが右の掌を帝国の基地に向けた瞬間、見渡す平原一杯が紅く染まった。何を燃料として燃えているのかなんてわからない。だけど、確かに大地が燃えているんだ……地面から炎が噴き上がり、そこにあるものすべてを焼き尽くそうとしているのだ。


 そしてもちろん、大規模とはいえにわか造りの敵基地も、猛火に包まれていた。そりゃあ、壁も建物も、全部木造だからな。そして二万数千を数えるという兵士たちは、ある者は焼け崩れる木材の下敷きとなり、ある者は煙に巻かれ……そして多くの者は、理不尽な炎に直接その身を焼かれ、骨も残らずまさに灰燼となっていく。


 何も聞かされないまま帝国上層部に追い立てられて戦場に来たであろう下級の兵士は哀れに思わなくもないが、集団として彼らのやっていることは侵略であり殺戮であり略奪だ。ここでやらなきゃ王国の民が殺され奪われ、虐げられる……そう考えて、もやもやする思いを押し込めるしかないだろう。


「私は初めて見たが『英雄』の魔法は、さても恐ろしいものだ。帝国側が非道な手段を使ってでも撃たせたくない理由が、よく分かる」


「そうだね、母さんの魔法は凄い。だけど俺は、ベアトの優しい魔法が好きだな」


 そう、母さんの魔法は唯一無二。こんな規模で敵を壊滅させられる魔法使いなんて、恐らく大陸でも彼女だけなのだろう。だけどこう言っちゃなんだが、母さんの魔法は使い道も唯一無二、こういう開けた土地にいる相手を、敵も味方もお構いなく、まとめて焼き払う……それだけなんだ。民衆は母さんの派手な武勇に熱狂するのだろうけど、俺は……野の草木や畑の作物を静かに育てるベアトの魔法を、とても素敵なものに感じるんだ。


「……ルッツはずるい。こんな時に欲しい言葉をくれたら、もっと好きになってしまう」


 平原を焦がす炎が映っているのか、それとも照れているのか、ベアトの白皙の頰が紅に染まっている。なんか俺、柄にもなく青春しているなあ。実のところ中味は六十歳、過ぎちゃってるんだけどな。


「ベアトお姉様といい、サヤといい……戦の真っ最中なのに女性を口説くなんて、ルッツはどうしようもない男よね。緊張感がないんだから」


 はっと気づけば、そこには呆れ顔の幼馴染の姿が。


「ご、ごめん」


「いいのよ、最近はこれがルッツなんだって、諦められるようになってきたわ」


 大げさに肩を落としてため息をつくグレーテル。う〜ん、俺ってそんなに、悪い男なの?

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