第63話 こっちは苦戦中

 公国捕虜のあれこれ始末を超特急で整えて、俺たちは帝国との戦場に戻ってきた。


 意外なことに北部戦線は、俺たちが離脱した時点に比べると大きく……十数キロくらい押し込まれてしまっていたのだ。女王陛下と「英雄」である母さんがいれば、魔法使いの質に劣り歩兵や騎兵頼みの帝国軍を止めることは容易いと思われていたのだが、日々じわじわと支配地域を広げられ、既に大きな村が十ケ所くらい敵の手に落ちている。


 このままあと十キロほど後退すれば、そこには北部交易の要衝であり、グレーテルの産まれた地でもあるハノーファー侯爵領の領都がある。ようは、かなりヤバい状況に陥っているのだ。


「どうしてこんなことに。フロイデンシュタット伯……英雄ヒルデガルド様の炎魔法があれば」


「ヒルダはまだ、一発すら魔法を撃たせてもらえない状況なのだよ、ベアト」


 ベアトの疑問に、眉間に深くシワを刻みつつ答える女王陛下は、普段明るいこの方に似つかわしくもなく苦悩されているようだった。だが、あの母さんが魔法を使えないってのは、どういうことなんだろう。


「あれを見てみよ」


 俺のいぶかしげな表情に気づいたのか、陛下が敵の最前線を指さす。帝国は平原を横一列になって、じわりじわりと進んでくる。こんな芸のない陣形であれば、母さんが一撃で焼き払えるはずなのだが……


 ベアトが不意に、ひゅっと息を飲む。そして俺も帝国軍の先頭を見て、思わず眉をひそめた。そこには、老若男女取り混ぜた王国の庶民たちが数百人、荒縄で数珠繫ぎにされて、帝国兵に小突かれつつよろよろとこっちに向かって歩かされている光景があった。


 なるほど、これじゃあ母さんの得意とする炎の殲滅魔法は、撃てないだろう。もちろん母さんは陛下がやれと命ずれば民を巻き込んででも敵を焼き払うであろうが、女王陛下は甘いと言いたくなるくらい国民思いの御方だ。数百の民を盾にされたら、攻撃命令など出せるはずがない……なるほど、母さんの魔法に対抗する帝国軍の秘策というのは、これだったのだ。


 魔法を封じてしまえば、兵隊同士の力比べは帝国側が圧倒的に優位。ここ二週間ほど、ベルゼンブリュック側は陛下の土魔法で土塔をあちこちに立て、帝国軍の前進を遅らせる以外の抵抗が出来なかったのだ。


「許せない。民は護るべきもので、盾にするものではない」


「私も同じ思いだ、ベアト。だがあれほど多くの民を巻き添えにするわけにはいかぬ。不甲斐ないことに私とヒルダでは、この事態を打開出来なかった……接近戦に強い『英雄の再来』グレーテル、そして今や最強の魔法使いとなった『水の女神』リーゼの力を貸して欲しい」


「喜んでっ!」「御意に!」


 俺にとって大切な二人が、その決意をきゅっと眉に込めて、陛下の願いに是と答える。命令じゃなくお願いってところが陛下らしいけど……そういう陛下だから二人は心から慕い、彼女のために生命をかけようとしているのだろう。


 ひざまずく二人の姿を見て頼もしげに口角を上げるベアトだけど、やっぱり少しだけ寂しそうな表情を、その白皙の頬に刷く。まあ、無理もないか……戦いに向かぬ属性持ちとはいえ、この危急の時に敬愛する母が自分ではなく他人の少女を頼っているということは、十六歳の心に傷を残さないはずはないだろう。


「そして、ルッツ。いや、ウォルフスブルグ伯ルートヴィヒよ。そなたは優秀な種馬であることのみが注目されておるが、どうやら魔法使いの女を導き、その力を最大限に振るわせるという稀有な才能を有していると、軍監より聞いている。未成年で従軍義務もないそなたに頼るのは実に心苦しいが、我が幕僚として知恵を貸してくれぬか」


 そうか、俺まで評価して、頼ってくれるのか。どこまでも優しい陛下に、ちょっと感動する。こんな国難の時なんだ、命令してくれればさくっと従うのに……あくまで陛下は、俺たちの人格を尊重してくれるんだな。国の指導者としては厳しさが足りない気がするけど、本当に立派な方だ。まあここまで望まれたら、昭和男子として応えないわけには、いかんだろう。


「俺に、出来ることでしたら」


 俺の返答に、陛下の表情がぱあっと輝いた。母さんとベアトの顔に微妙な色が滲んだのが、気になるけれど。


「ありがとうルッツ! じゃあ早速なんだけどね、人質に当てないように、帝国の奴らを焼き払いたいの、貴方なら、いい方法知ってるんじゃないの?」


「へっ?」


 おい、いきなりそこを、未成年の俺に丸投げするのか? 主力軍が何週間もかけて解決できてない問題を、俺に考えろと? 子供が誕生日のプレゼントを開ける時みたいなわくわくした目で俺を見つめる女王陛下は、何だかちょっとアレな思考をお持ちらしい。


「やっぱり、エリザって……」

「母さんはもともとこういう人。ルッツに教えておかなかった私の不覚」


 母さんとベアトが憐れむように俺を見ている。ああ、さっきの感動を、返してほしいよ。



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