第62話 戦勝

 まあ結果的に言えば、城壁が崩れた時点で、戦の帰趨は決まっていた。


 「水の女神」の奇蹟を目の当たりにして士気最高潮のベルゼンブリュック軍が城内に躍り込むと、そこにはペタンと地面にへたり込む公国軍の兵士たちがいた。あり得べからざるものを見た彼らは既に戦意を失い、その多くは王国兵と一合も剣を合わせずして、捕虜となった。


 さすがに高位の指揮官たちは尖塔にこもって抵抗したけれど、無駄な抵抗ってもんだ。緒戦で一人も失われず健在の王国魔法使い部隊が、火球や岩石で容赦なく集中砲火を浴びせれば、白旗を掲げるしかなかったってわけさ。


「もうちょっと粘ると思ったんだけど、意外とあっさりしてるんだな」


「魔法使いがいない軍など、こんなもの。あの城壁がなければ、戦う前に降伏していたはず。唯一彼らの心を支えていたそれが破壊されたのだから、当然」


 ベアトのつぶやきに、なるほどとうなずく俺だ。もともと魔法使いに関しては質量ともにベルゼンブリュックの方が優れていた。そこに持ってきて緒戦で姉さんが現出した、氷槍による範囲殲滅魔法を食らって、鋼の鎧などまとっていない公国の魔法使いはほぼ壊滅している。


 姉さんや母さんの殲滅系魔法は別格としても、実際に魔法使いたちの容赦無い攻撃シーンを見てしまうと、いくら訓練された兵士でも、敵し得ないことは俺にもわかる。


「リーゼの功績は巨大。これで水魔法を馬鹿にする者はいなくなるはず」


「そうだね」


「リーゼは努力を続けていたのに謗られてきた。ずっと口惜しく思っていたけど、やっと報いることができる」


 ベアトはリーゼ姉さんと親交があったから、そのへんずっと気にしてくれたみたいだ。終戦処理の指揮を取っている姉さんの姿に向けるベアトの目は、珍しく感情豊かに細められている。


「親友として、そして新たな英雄として、リーゼが誇らしい。だけどそれ以上に私は、ルッツのことを、我が配偶者として誇らしく思う」


「い、いや俺は今回、戦ってすらいないから……」


「水魔法を氷魔法に進化させるなんていう発想をした者は、王国にかつていなかった。そしてあの、ウォーターカッターであったか? あんな水魔法の使い方をリーゼに指南したのも、ルッツの功績だ。術者はリーゼであろうが、術式を開発したのは、ルッツだ。後世の者から、偉大な魔法学者として讃えられるだろう」


 陶器人形に例えられる白皙の頬が今は桜色に染まり、翡翠色の瞳がキラキラと輝いて俺を見上げる。それは明らかに好意と敬意に溢れていて……うん、まあ俺は元世界の知識をちょっとリーゼ姉さんに教えただけなんだけど、俺が異世界人だなんて知らないベアトには、凄いヤツに見えちゃってるのかもしれない。う~ん、そろそろ周りの女性からの過大な評価が重くなってきたぞ……元世界のことを、ぶっちゃける時が近づいてきたのかも知れないな。


 そんなことを考えていたとき、尖塔に進出していた兵士たちから、驚きと喜びの声が上がった。どうやら大物を捕らえたらしい、ベアトは緩みかけた頬をきゅっと引き締め、指揮官の方に歩み寄っていった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 降兵の中にリエージュの第一公女がいたことで、公国との西部戦線は、一気に終息へ向かった。


 なんで公国の後継ぎがこんなところに、と思ったのは俺だけではないのだが……帝国に主力を振り向けたベルゼンブリュックの留守を襲うという絶対有利な条件に驕り、楽勝気分で出てきたところをリーゼ姉さんに叩きつぶされ、慌てて国境の堅城に逃げ込んでいたというところが真相のようだ。ずいぶん頭の緩い公女様だなと言う感じだが、母親の大公も出陣を許したのだから、国全体が負ける可能性なんか考えてなかったのだろうな。


 公女がこちらの手中にあることを告げる使者を送れば、その日のうちに停戦を要請する使者が来て、バタバタと停戦協定が結ばれた。俺たちは公女を始めとする八千の捕虜を伴って本国に戻り、転進して帝国に対峙する。公国は俺たちが帝国と決着をつけるまでの間、手を出さないというごく大雑把な合意だ。今回の侵攻に対する賠償金や領土割譲などの条件はその後話し合われるわけだが、後継者を含む数千の人質を取っているのだ、交渉上手の王国外交官の手にかかれば、公国の存在を揺るがすほどの補償がもらえるのだろう。


「本来は、私がその交渉を決着させたかったが」


「早く北方に向かわないといけないんだ、仕方ないだろうな」


「こういう分野くらいしか、私は役に立たぬのにな」


 ベアトの声に少し寂しそうなトーンが重なる。そうだ、ベアトは自分がSクラスの魔力を持ちながらも戦で活躍できないことを、結構気にしているのだ。俺からしてみれば農林業の生産性を倍増させる彼女の木属性魔法は素晴らしいものだと思うが、貴族たちの評価は、ついつい派手な戦働きのほうに偏ってしまうのだ。


 外交であれば、彼女の陶器人形を思わせるポーカーフェイスは有効であろうが、今回その機会は与えられない。そうなるとどうしても西部戦線では「水の女神」リーゼ姉さんと「英雄の再来」グレーテルの輝きばかりが評価されることになり……第一王女派が裏でぐだぐだとベアトを誹謗する声を、止めることが難しくなる。


「大丈夫だ。リーゼ姉さんやグレーテルは確かにすごいけど、活躍できたのはベアトが二人を信じて、任せてくれたからだ。俺の仕事も褒めてくれたけど、その俺を含めて配下の人材に自由な手腕を振るわせるベアトの器量は、わかる人には必ず伝わる」


「うん……ありがと」


 少しだけ頬を染めて、ベアトがうなずく。屈託が晴れたかどうかはわからないけど、ちょっとでも元気になってくれればいいんだけどな。


 だけど、彼女の卓越した木属性魔法を戦に活かす方法、本当にないのかな……北部戦線に戻る旅の間、俺はずっと考え続けていた。



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