第61話 水の女神様
俺たちはゆっくりと公国軍を追跡し、ついに国境を越えた。
平原での大勝利以来これといった抵抗もなくここまで来たが、さすがに足を止めざるを得ない状況だ。目の前に、後退した公国軍が立て籠もっている、堅固な城があるのだから。
二百年前に建造されたというこの城については、俺も事前に書物で調べていた。安山岩を精密に切り出して組み上げたその城壁は高さ十五メートル、厚さも一メートル半を誇り、ハシゴや櫓では攻略不能。さらにその高さを利用した弓の撃ち下ろしや投石で、過去の王国は甚大な被害を出した。そして城が主を変えたことは一度もなく、この城が有る故に国力に劣る公国でも、ここ二世紀というもの国境を維持できてきたのだと。
そんなカチカチの城など放っておいて、さっさと公都に向かって進軍……という考えも無いわけではないのだが、まだ城には七〜八千の兵力が詰まっている。こいつらが背後に回ると極めてヤバいわけで、結局のところここを攻略するしか道がないわけだ。
「で、ルッツよ。ここを攻めよといったのだから、策があるのだろう?」
もうベアトは軍議など開くつもりもなく、いきなりズバリと俺に丸投げしてくる。まあ、この城なら何とかなりそうなんだけど。
「まあね。この城の売りは堅固な城壁、逆に言うとそこしか強みがないわけさ。だから、そこを崩してやれば、奴らの心はぽっきり折れるだろうね。城壁さえなければこっちは魔法使い部隊が健在だし、一揉みにできるんじゃないかな?」
「ねえルッツ。こんな凄い石積みの城壁、どうやって攻略するのよ? 信じてないわけじゃないけど……」
「グレーテルの心配はもっともだと思うよ。だけどこっちには大陸最高の水魔法使いがいるんだ、なんとかなるさ。ねえ、リーゼ姉さん?」
「もちろんよ。ルッツがやれって言ったら、私はできる、いえ、やってみせるわ」
姉さんの表情が、完全に教祖様のお告げを聞いた信者のそれになっていることに、深くため息をつく俺だった。まあ、ヤル気になってくれてるのは、嬉しいんだけどさ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
目の前で、高い高い石積みが音を立てて崩れていく。
ついでに、城壁の上から悪態をつき、無駄に矢など射掛けてきていた公国兵が、無様に落下してくる。堅固を誇ったはずの防壁が、四十メートルくらいの幅で、まるごと崩れるのを目の当たりにした敵は、多分ポカンと口を開けて呆けているだろう。
一方、ベルゼンブリュックの兵は、みな拳を突き上げて歓呼の声を上げている。
「すげえぞ! あんなでっかい城壁を、あっさり崩しちまった!」
「あんな精密で強力な魔法が使えるなんて……」
「さすがは『英雄の愛娘』だってことかしら?」
そう、今回はもう、手の内を隠しておくことはない。一般兵にも見えるように、リーゼ姉さんの超絶水魔法を、たっぷりと披露したのだ。
城壁がいかに堅固といえど、それは上からの重量で押され続けているからだ。押され続けても底部が潰れないのは、それが綺麗な直方体にカットされた、硬い火山岩だから。
じゃあ、底部の石に斜めに切れ目を入れてやればどうなるか? 重力はあたかもベクトル分解のように、横に向かっても働くようになって……底部の石は城壁の外にはじき出される。そうなれば上に十数メートル積み上がった石を支えるものがなくなるのだ。城壁は自身の重さで、勝手に崩れていくわけさ。
だけど石は固く、大きい。これに斜めの切れ目を入れるとか、石鋸なんかじゃあ、絶対に無理だ。ある程度切れ目を入れることができても、鋸歯が石の重さで動かなくなるだろうからなあ。
そこに姉さんのウォーターカッターを使ったらいいんじゃないか、というのが俺の安直な発想で……姉さんが工兵隊に入ったのも、建物や壁を水流で破壊する技を磨くためだったのだ。普通のウォーターカッターは、せいぜい板状のものしか切れないと思っていたけれど、姉さんはやや偏執的とも言える情熱をもって日々厳しい訓練をし、時間さえかければ岩塊をも両断することができるようになった。魔力上限は生まれつき決まっていると言われているけれど、魔力制御は鍛えれば伸びていく……そして姉さんは、もともと制御の才能が抜群なんだ。日を追うごとに彼女の操る水流は細く、かつ速くなってゆき……それは、切断力がより上がるということなのだ。
そんなわけで今回は、兵たちを前にして石切りショーをお見せしたってわけさ。ふわりと波打つライトブルーの髪を風になぶらせながら、部下の水魔法使いがせっせと生み出した水球をふよふよと城壁の前まで進めては、それを細く絞って次々と要となる石にぶつけていく姉さんの仕事は、一見地味だった。
だけど結果は見ての通り。すでに水魔法使いたちはみなリーゼ姉さんを拝まんばかりに崇拝しているけれど、今度はその神々しいまでの奇蹟を、惜しげもなく全軍に見せつけたのだ。
「凄いわ! あんな分厚い石を、まるでチーズでも切るように……」
「あれだけのことを成し遂げても、水面のように平らかな様子……憧れるわ」
「こんな奇蹟を起こせる魔法使いを『英雄の娘』って呼ぶのは失礼じゃないか?」
「そうよね! これからアンネリーゼ卿を『水の女神』とお呼びするのはどうかな?」
「おおっ、それはピッタリだ!」
「水の女神様!」「女神様!」
何だかみんな盛り上がっているなあ。姉さんが賞賛されているのは嬉しいけど……まだ戦は続いてるってこと、わかってるよね兵隊さんたち?
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