第58話 幼馴染は戦乙女

 少女のかたちをとった光の塊が、公国軍の中枢たる重装歩兵部隊の分厚い布陣を、易々と切り裂いていく。


「はあっ!」


 短い気合とともに、その体格にそぐわない長い大剣を両手持ちで軽々と振るえば、公国兵がまとう鋼板の鎧が、まるでバターのようにぬるりと両断される。返す刀で自らに向け突きだされた槍の穂先を斬り飛ばし、蛮勇を以て立ち向かって来た男を、頭から尻まで唐竹割りに仕留める。


 いつもは空手、持っても中剣程度の武装しかしないグレーテルが大剣を振り回す気になったのは、今回ばかりは派手な大量殺戮が必要だと判断したからのようだ。横殴りの一振りで四〜五人の敵兵の身体から一斉に血が吹き出すシーンを見てしまうと、まるで彼女が魔神のように思えてくる。だって、どうやっても切っ先が届いていない敵まで、倒れちゃってるんだぜ。人間のなせる業とは、思えないよなあ。


 そして彼女が無茶苦茶な力技で公国軍に開けた穴を、必死で後に続く歩兵の男たちがせっせと広げ、敵の最精鋭とされる重装歩兵部隊を、徐々に分断しようとしていた。素の戦闘能力では到底敵わないはずだが、グレーテルの暴れっぷりに混乱している公国軍は、ずるずると後退していく。


 ちょうど俺たちの軍はグレーテルを頂点とする縦長の二等辺三角形みたいな形をとり、辺に当たる部分では男どもが身体を張り、その内部には魔法使いの女性が陣取り、土魔法や火魔法を撃っては外周で戦う肉壁たちを援護している。


 実のところこの陣立ては、俺が提案したものだ。なぜか軍議の席に呼ばれ、意見を求められたので軽い気持ちで言ってみたのだが、ベアトが即決採用したことには驚いた。


 種付け以外には何の役にも立たない婿の分際で差し出がましく軍議に口を出すとは……なんていう聞こえよがしの陰口を叩く軍人さんも多かったが、ベアトが頑として異論を認めなかったんで、みんな渋々従ってくれたんだ。まあ、この戦法は三角形の頂点に立つ者が無敵に近い強さを発揮する必要があって……グレーテルの戦闘能力がその領域に達しているのを知っているのは、俺とベアト、そしてリーゼ姉さんくらいだったからな。


 昭和日本生まれの俺としては、女の子……それも好きな娘を一番危ない場所に置くなんて案を口にすることに忸怩たる思いがあるのだが、事前におっかなびっくり相談したグレーテルの反応は、まったく違うものだった。


「その戦法最高ね! ルッツが私の力を信じてくれてるのが嬉しいっ! 大好きよ!」


 そう叫ぶなりがっつりハグされて、呼吸困難になったっけ。このあたりがこの世界特有の考え方というのか……魔法の恩恵で女性の方が圧倒的に高い能力を持っているここでは、俺の提案が「愛する女を危地に放り込む鬼畜の行為」ではなく「パートナーの能力を最高のものと信頼し心の底からリスペクトする、愛ゆえの行為」という解釈になるようなのだ。


 結果として、俺がグレーテルに「先鋒として敵陣を切り拓いてくれ」とお願いしたことは、彼女の士気をめちゃくちゃ上げることになってしまったらしい。すでに数百の敵兵を一人で倒しているというのに疲れたそぶりも見せず、たった今も長大な剣を振り回してひたすら前進する彼女を、止めることのできる敵はいない。全身に光のオーラをまとい、ストロベリーブロンドをざっくり大きな一本のお下げに編んだその姿はもはや神々しいといえるレベルで……飛び散る汗すら輝きを放っているようだ。


 そんな姿に見とれる俺は何をしているかと言うと、石がたっぷり詰まった籠を背負って、ひたすらグレーテルに遅れないようついていくだけが役目だ。こんな本格的な戦闘じゃ、軍人としての訓練を受けていない俺では、肉壁にすらなれない。だけど彼女に一番危険なポジションを振った張本人の俺が、後方でのうのうと観戦と言うわけにか行かないだろうし……そんなわけで、Aクラス土魔法使いの男爵様が彼女を守るために撃ちまくる石礫を運ぶだけという、まあ体力と根性さえあれば誰でもできる仕事に志願したってわけなのさ。


「坊や、遅れてるよ!」


「はいっ、すみません!」


 籠一杯の石はくそ重たくて、この世界に来てから意識して身体を鍛えてきた俺も、さすがに息が切れてきた。男爵のおばちゃんがグレーテルの死角を襲おうとする敵に向けてひっきりなしに魔法で石を飛ばし、籠の石を四割くらい減らしてくれてなかったら、そろそろ落伍してしまっていたかもしれない。


「しかしアンタ、見直したよ」


「えっ?」


「高位貴族のおぼっちゃまなんてのは、ベッドの上だけで活躍するもんかと思ってたからね。王配の地位が約束されているっていうのに、幼馴染を守るために前線に出てくるなんて、泣かせるじゃないか。たとえ、石運びしかできなくてもね」


 そう言いながらおばちゃんは、グレーテルの真横から槍を突きこもうとしていた二人の敵兵を、同時に石撃ちで昏倒させて、にやりと笑った。


「役に立たないことは、自覚してます」


「いや、馬鹿にしてるわけじゃないのさ。アンタがすぐ後ろにいるって意識することで、あの戦闘狂いお嬢様の力は、二倍にも三倍にもなるってもんだよ。アンタはちゃんと、戦に貢献してる、胸を張りなよ」


 そうかなあ。凛々しく強いグレーテルの姿を見ていると、何もできない俺じゃ釣り合わないんじゃないかという思いで、もやもやしてしまうけど……この粗野で優しいおばちゃんの言葉で、少し元気になった気がする。うん、もうちょっと頑張ろう、あの活き活きと輝く、幼馴染のために。

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