第57話 リーゼ姉さん、覚醒
「水魔法使いは全員、魔力切れ寸前まで目一杯水球を!」
姉さんの一見不思議な指示に、魔法使いたちが一斉に短い呪文を唱えて応えると、彼女たちの周囲に大小様々の水球が、ふよふよと漂い始める。水属性の魔法使いたちは火属性の者たちと違って、素直に姉さんに従っている……役立たず属性と蔑まれている水魔法の価値を変える何かを、この若き指揮官がやってくれるかも知れないということに、淡い期待を寄せているのだ。
やがて、魔法使いたちがほぼ魔力を使い切った時には、俺たちの頭上にはものすごく大量の……恐らく五十メートルプール三杯分くらいの水が、ひとかたまりになって浮いていた。
「みんな、よくやってくれました。後は私に任せて!」
その水は、ゆっくりと上空へ昇っていく。そして、敵の上空はるか高いところで広く薄く展開した。
その奇妙な様子は、敵からも見えていたはずだが……しばらく不思議なものを見るようにそれを眺めていた公国兵も、指揮官の叱咤でまたゆっくり前進を始める。おそらくは「またベルゼンブリュックの得意な、雨乞い儀式じゃないか?」くらいにしか考えていないのだろう。水属性魔法使いを侮ることに関しては、彼らも王国貴族たちと同様なのだ。
公国軍がさらに近づき、彼我の距離が二百メートルほどまで縮まる。両軍が弓に矢をつがえ始めたその時、一部の兵が頭上の異常に気付いた。
「おいっ! 何だかあの空、キラキラ光ってないか?」
「むっ、確かに。あれは……何だ?」
そう、はるか上空で、太陽の光が乱反射し、まるでシャンデリアが天井一面に配置されているかのように、きらめきを放っているのだ。その光はこの世のものとも思えぬくらい幻想的で美しい眺めであった。
それは、この世の者をあの世に送り込む悲劇の光であったのだが……公国軍がそれに気づくのは、あまりに遅すぎた。
「見ろ! 光が、落ちてくる!」
光が落ちて来るのではなく、実際には光を反射する「何か」が落ちて来ているのだが、兵士たちにそんなことが理解できるはずもない。彼らが認識できるのは、陽光を複雑に反射しきらめいていたそれが、ものすごい速度で地上に……自分たちに向かって迫ってくることだけなのだ。
そして数秒後に、平原は苦痛の声と、流血に満ちた。公国兵の上に落ちた「光」は兵を刺し貫き、身体の自由を奪い、多くは大量の出血とともに生命すら失わせた。身体を鋼板で覆った重装歩兵はまだ動けるものの、一万を超える軽装の歩兵と貴重な魔法使いたちは、一瞬で戦闘能力を失った。
「あ、あれは……」
先ほど不平を鳴らしたかつての魔法部隊指揮官が、目の前に展開する惨劇に頬を痙攣させながら、驚きの声を上げる。ベアトがわずかに口角を上げ、誇らしげに告げる。
「見ましたか、あれこそが『英雄の愛娘』が持つ真の実力、そしてこれまで評価されていなかった、水魔法使いたちの……本当の価値なのです。彼女らは膨大な水を生み出し、それを敵の上空で神の槍に変じさせ、大義なき侵略の誘惑にかられた愚か者どもに、天罰を加えしめました。このようなことが……卿にはできますか?」
「い、いえ。小官が……間違っておりました。このように偉大な力を目の当たりにしてしまっては……アンネリーゼ卿、申し訳ありませんでした。小官これより、貴女様に絶対の忠誠を誓わせて頂きます。貴女が偉業をなし遂げるために必要な補佐を、全力で務めます」
あれほどリーゼ姉さんの下で働くのを嫌がっていたはずの指揮官が、いまやその瞳をらんらんと輝かせ、己の生命すら捧げんと言わんばかりに畏まっている。まあ、この世界の魔法使いという連中は、ベアトやグレーテルに聞けば、おしなべてこういうものであるらしい。相手の人格などはさておき、強き魔法を体現した者を素直に尊敬し崇拝し、機会さえあらば師事し謦咳に触れんと願う、良くも悪くも魔法オタクたちなのだ。
「アントニア卿の言葉、嬉しく受け取ります。土魔法の達人であり経験豊かな貴女の助力なくば、魔法使い部隊の統率はおぼつきません、頼りにしていますよ。まずは魔力の残っている者を、マルグレーテ卿の援護につけて下さい」
「はっ、承知いたしました!」
激励の言葉に頬を少女のように紅潮させた指揮官が部隊再編のため退出するが、その足取りは弾んでいる。いやはや、最初は嫌なヤツと思ったけど、この人も単なる魔法バカだったのか……この世界、まだわからないところが多い。
そして眼前の公国軍は、まだ大混乱している。重装兵が無事とは言うものの、重傷の味方を救うかどうかで迷い、上層部の指示が混乱しているのだ。まあ、救うと言っても……数千の兵が一気に負傷し、ほぼ同数が死んでいるのだ。戦場から下げることすら困難であろう。
「さあグレーテル、お前の出番。あのいまいましい重装歩兵を蹴散らし、公国軍を我が国から追い払え!」
「はいっ、ベアトお姉様!」
瞳の奥に、激情の炎が燃えている。武器棚の前で少し逡巡した後、一つ気合を入れて大剣を背負った彼女は、意気揚々と敵に向かって駆け出した。
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