第56話 火事場泥棒は許せん!

「結構本格的。きっと何年も前から準備してたはず」


 ベアトのつぶやきに、俺たちもうなずく。目の前の平原には、リエージュ公国の兵が溢れかえっていた。その練度はにわか徴兵された農民兵のものではなく、しっかり正規軍の動きができている。おまけに補給も十分で、士気も高そうだ。


「およそ一万五千というところか。魔法抜きなら絶対に勝ち目がない」


 ストレート過ぎる言いようだが、みんな納得する。こっちの兵たちは寄せ集め、数も六千程度……まともな戦いを挑まれたら、まあ確実に負けるだろう。


「残念ながら私の魔法は、こんな開けた野原ではまったく役に立ちません。アンネリーゼ卿とマルグレーテ卿、頼りにしていますよ」


 よそ行き言葉に変えたベアトの言葉に眉をひそめたのは、三十代後半かと見える、吊り目の女性だ。本来なら彼女が魔法部隊の指揮を取るべき地位にいるのだが、女王陛下の勅令でその役目をリーゼ姉さんにかっさらわれたのだ。明らかにその目は、怨恨に歪んでいる。


「恐れながら殿下、『英雄の再来』と称されるハノーファー侯爵令嬢はともかく、アンネリーゼ卿は水魔法の使い手。防御や破壊工作を得意とされていることは存じておりますが、直接戦闘には、失礼ながら不向きと思慮いたします。どうでしょう、アンネリーゼ卿には一旦後方に引いていただいて……」


「そなたは、私と女王陛下の人選が、誤っていると言いたいのですか?」


「と、とんでもない! ですが、魔法の適性は如何ともし難いものでして……」


「黙りなさい。これ以上御託を並べるなら、卿を今すぐ王都に送り返します」


 陶器人形のように無機的なベアトの美貌がさらに白さを増し、翡翠の視線が不平将校をまっすぐ射抜く。彼女は何やらもごもご口の中でつぶやきながら、しぶしぶといった風情で自分の部隊に戻っていった。ゴネつつもここで引き下がったのは、彼女にとって幸運だった……だって俺の隣ではストロベリーブロンドの幼馴染が、光のオーラを拳にまとわせ、今にも飛び出さんとしていたのだから。


「ベアトリクス殿下、ご面倒をお掛けして、申し訳ございません」


「いいのだ、リーゼよ。この戦が終われば、国民はこぞって、水魔法のすばらしさを口々に叫ぶであろうよ。『あの』魔法を使うに、ここは格好の戦場ではないか」


 いつもに似合わず、今日のベアトは饒舌だ。初めての戦場に興奮しているのか、それとも……軽く触れれば、その白い手は細かく震えていた。


 そうだよな、次期女王と言ったって、ベアトはまだ十六歳の女の子なんだ。こんな大勢の人間同士で殺し合うシーンに、平静でいられるわけもない。俺がいつものように両手で包み込むと、手の震えは徐々に収まって……やがて薄い唇の端が、わずかに上がる。


「大丈夫。ルッツが隣に立ってくれている限り、私は強くいられる」


 もういい加減慣れたはずなのに、ベアトがかましてくる不意討ちのデレには、毎回胸を撃ち抜かれてしまう。アホみたいに口をあく俺の姿に、リーゼ姉さんはお手上げのポーズをとり、グレーテルは殺人光線みたいな視線をたっぷり突き刺してきたあげくに、小さくため息をついて笑顔を向けてきた。これは、許してもらえたってことで、いいんだよな?


「戦が終わったら、私にもご褒美をくれるよね?」


 言い置いて、グレーテルは前線に出ていった。普通なら「勝ったらご褒美」なんだろうけど、彼女にとって勝利は既定事項なのだ。一体何を要求されるのか……背筋につうっと、冷たい汗を感じる俺だった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 戦はまず、遠距離からの魔法の打ち合いから始まる。攻撃方は主に火の魔法をぶつけ、守備方は土魔法を中心としてそれを跳ね返す。魔法使いの力に大きな差がない場合は多少の被害を出しながらも双方が魔力切れになり、以降は兵隊同士の近接戦闘になだれ込むのが常道なのだ。


 だが今回はこっちに、魔力Sクラスのリーゼ姉さんがいる。なかなか攻撃技になりにくい水魔法と言うところが泣き所と言えるのだが、今回は俺のアイデアで新魔法を用意している。


「攻撃魔法は撃つな! 敵の魔法から兵を守ることに専念せよ!」


 姉さんの命令が魔法部隊に飛ぶ。魔法使いたちはさんざん馬鹿にしてきた水魔法使いの小娘から下りてくる指示に不愉快そうな表情をするが、戦場で勝手な行動をしては、死ぬ運命が待っていることもよくわかっている。渋々ながら従って、土魔法使いは防壁を造り、火魔法使いは敵の撃ち出す火球に自らの火球をぶつけて相殺する。


 本来火魔法に対する防衛ならば水魔法使いがバリアを張った方が効率が良いのだが、姉さんの指示で水魔法使いは全員待機し、魔力を温存しているのだ。


 公国がひたすら攻撃し、王国がひたすら受ける。そんな奇妙な魔法戦は、予想通り公国側の魔力切れで幕を下ろした。魔法使いの能力だけであれば、王国は大陸随一なのだ……それゆえ軍隊の育成を怠り、こういう時には苦労するわけなのだが。


 そして、魔法を撃ち終わった公国軍が、ゆっくりと前進する。公国側とて魔法戦で勝とうなどと思っていない。できるだけ王国の魔法使いを消耗させた上で、絶対優位である通常戦力をぶつけるつもりであったのだ。今のところその企ては、成功しているように思われた。


 だがリエージュ公国の指揮官たちは知らなかった。この戦場にリーゼ姉さんとグレーテルと言う、卓越した魔力持ちがいることを。



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