第54話 戦の予感
いつまでも続くかと思っていたのんびり平和な生活は、北方からの使者によって唐突に断ち切られた。
「ベアトに、求婚だって?」
「そう」
陶器人形にも例えられる白皙の美貌が今はさらに冷たさを増して、まるで氷の彫刻みたいだ。
「もちろん先方は、ベアトが俺と婚約してるのを、知ってるわけだよね?」
「当然、そうだな。そしてそれを知ってなお求婚の使者を送って来るということは……実質の宣戦布告と見るべきであろう。ベルゼンブリュックも、舐め切られたものだ」
俺の疑問に答えたのは、女王陛下だ。ベアトと同じく抜けるように白い頬に、怒りが紅を差している。そう、ベアトにしれっと使者を送ってきた恥知らずの男は……もはや宿敵とも言えるリュブリアーナ帝国の皇子であった。
あろうことか使者の申し出は、ベアトを皇子妃として迎えたいというもの。女子の方が魔法の恩恵で圧倒的に高い能力をもつこの世界では、基本的に上流階級の跡取りは娘であり、すなわち結婚は「婿取り」が常識だ。特に国同士の婚姻ともなれば、優秀な魔法使いを自国に留め置く目的から、まず「嫁入り」は行われないはず。それを承知でしゃあしゃあと嫁によこせと要求する帝国の行為は、降伏の印に人質を出せと言っているようなものなのだ。
王女には相思相愛の婚約者がいる故この縁談は断ると女王が宣言すれば、使者は笑顔で「婚約など破棄してしまえば良いこと、帝国皇子より良き配偶者がおりましょうか」などとうそぶき、ベアトは自分の後継者ゆえ他国にやるわけには行かぬと言えば「では皇子がこちらに婿入りしましょうか、さすればベアトリクス殿下即位の暁に、両国は統一されますな」などと信じられない言葉を返してくる。すっかり頭に血が上った陛下は謁見を中断したが、使者は大きな顔で城の迎賓館に居座っているのだという。
まあ、外交なんか素人の俺がみても、こりゃ喧嘩を売っているんだろうってことはわかる。話を断ればそれを理由に攻め込んでくるし、もし受けたりしたら本当にその皇子が王配となってベルゼンブリュックを乗っ取るつもりなのだろう。
「たった今戦争したら、勝てると踏んでいるのですかね?」
「おそらくね。もともと陸軍の力は、帝国の方が一枚も二枚も上。二十数年前の帝国の侵攻を跳ね返せたのは、ひとえにヒルダが火炎魔法で無双してくれたおかげなのよ。あれがなかったら完敗だったはず」
女王陛下が、やけに弱気だ。確かに魔法抜きの王国正規軍は弱いと思うけど、魔法使いの数は王国の方が上、そして「英雄」母さんも健在なのになあ。俺の言いたいことがわかったらしく、陛下が肩をすくめる。
「まあ、私が弱音を吐けるのは、家族の前だけだからね。ルッツ君ももう、うちの子だと思ってるから」
「そう言ってもらえて嬉しいですが……陛下は本音で言うと、帝国の方が有利だと思っているってことですか?」
「そうね。おそらく敵は、陸軍の優位を活かした戦いをしてくる。そして彼らは、ヒルダの魔法を防ぐ方法を、何らか考えついたに違いないわ」
母さんの魔法を防ぐなんて、そう簡単にできるのかなあ。俺は一回だけ見せてもらったけど、雪原が一瞬で火の海になり、積もっていた雪がみんな溶けてしまったことにはさすがに驚いた。あんな魔王みたいな超絶魔法を躱す方法なんて、まったく思いつかない。
「まあ、そこを考えていても仕方ないわね。いずれにしろ結論は決まっているわ。あんな脅迫のような求婚で、ベアトを獣たちに渡すわけにはいかない。断固として戦うわ……ベアト、ルッツ君、覚悟してね?」
「もちろん戦う」
「ベアトだけは守ります。肉壁としてですけど」
俺の言葉にこわばっていた頬を緩め、女王陛下は明るく笑った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
結局、女王陛下は翌々日、使者を帝国に向けて追い返した。
何故翌日ではなかったのかと言うと、高位貴族の間にこんな声があったからだ。
「ベアトリクス殿下が帝国に赴かれれば、戦は回避できるということでは?」
「王国国民の平和な生活を守るためだ、殿下には耐えて頂くしかないだろう」
「ベアトリクス殿下が帝国へ行かれても、王国にはクラーラ殿下がおいでになる」
ようは、自分たちは戦いたくない。王女一人くらいなら呉れてやれ、ということなのだ。そしてもともとクラーラ殿下を支持していた貴族たちにとっては、この帝国の挑発行為が、一気に自分たちの勢力を逆転するチャンスに見えたようだった。
しかし、エリザーベト陛下がそんなたわごとをお聞き入れになるはずはない。
「そなたらは戦いを避けんがため、このように屈辱的な要求をのみ、我が娘に愛する婚約者を捨て、半ば人質として帝国に囚われて来いと申しているのだな」
「そのような不敬は申しませぬが、国家の利益は王族一人の利益と引き換えに出来るような軽いものではありませんぞ、ここは耐えて臥薪嘗胆の……」
「黙れ」
「は?」
「黙れと言っているのだ。そなたたちはいつからそのような腰抜けになったのか? 卿らの先代は、帝国の理不尽な侵攻をその身をもって止めた。その働きが嘉されたゆえ卿らは今その地位におるのだぞ、わかっているのか! 王国貴族としての誇りなき者に用はない、とっとと帝国へなりと、去るが良い!」
もはや、反論する者はなかった。いつもは温厚な女王陛下の決然とした態度に、貴族たちは無言で、膝を屈して応えた。
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