第37話 主役登場
「な、なんと? 今、なんとおっしゃられたのか?」
ナルシー氏が赤くなったり青くなったりして混乱している。まあその気分もわからなくはない。王女と婚約した男が、他に婚姻相手を作るとか、普通ありえないよな。
「大事なことなので二回言いますわ。私はここにいる、ルートヴィヒ・フォン・フロイデンシュタットと、婚約を交わしておりますの。ですから愛するこの人に売られた喧嘩を買う、権利があるのですわっ!」
グレーテルに似合わぬお嬢様言葉は、もちろんナルシー氏を挑発しているのだ。久しぶりに遠慮なくいたぶれる獲物を前にして、彼女の目がらんらんと光っている。
ナルシー氏は哀れにもガタガタと歯を鳴らしていたけど、突然何かを思いついたらしく、目を剥いて俺を攻撃してきた。
「な、なんたるふしだらな暴挙! 王女殿下と婚姻の約束を交わしながら、他の女とも婚約を結ぶなど、王室を軽んじることはなはだしいっ! まさに不敬の極みである、王国貴族として不適格と言わざるを得ぬ、断罪されることを覚悟せよ!」
一方的にがなり立てるナルシー氏に、グレーテルすらポカンと口を開けている。ちょっと考えればなんか事情があるだろうってことぐらい、推察できると思うんだがなあ。だけど、こいつの声はやたらと大きい。徐々に、徐々にだけど周囲の貴族たちが、俺たちに非難の目を向けてくるんだよなあ。まあ、もともとこいつらは、なんかチャンスがあったら俺を落とそうとしている連中だからな。
「まったく、グレゴリウス卿のおっしゃられる通りですな。王女殿下をバカにした所業と言わざるを得ぬ」
「伯爵家の四男ごときで、妻を複数持とうとするなど、身の程を知らぬことよ」
「すでに他の女と通じているならば、王女殿下との婚姻は当然辞退すべきでは?」
「むしろ不敬罪で、厳しく処断するところではないか!」
あ〜もう、うるさいな。ベアトの評判を下げまいと大人の態度を守ってきたつもりだが、ここまで誤解に基づいた誹謗を浴びせまくられたんだから、そろそろ反撃してもいいよな。隣に立つグレーテルも、拳に光の魔力をまとわせて、制裁の準備は万端だし。そこまで考えて、我慢していた毒舌を吐きだそうと大きく息を吸った時、ひときわ大きなコールが、俺を思いとどまらせた。
「ベルゼンブリュックをあまねく照らす太陽エリザーベト女王陛下、そして王国の輝く明星、ベアトリクス王女殿下の御入来です!」
◇◇◇◇◇◇◇◇
まさか主役の前で、揉めるわけにもいかないな。俺もグレーテルも、かしこまって深く礼を取った。だが、俺のまわりにいる不平貴族どもは、まだざわついている……女王陛下がそれに気づくのに、さほどの時間はかからなかった。
聡明な陛下は、概ねどんなことが起こったのか、素早く把握されたらしい。というより、こういう状況になるのを、狙っていたんじゃないだろうか。ニヤッと短い笑みを俺に向けると、不平貴族どもに向かってゆっくりと話しかける。
「ふむ? そなたら、如何したのか? 今宵は我が娘ベアトリクスの、十六歳を祝うめでたき日ぞ。そのように剣呑な様子では、楽しめなかろうよ」
顔を見合わせていた奴らの中から、やっぱりというべきかナルシー氏がその顔を紅潮させて、わめき始める。
「敬愛する女王陛下! 我々の前で、許されざる不敬の行為が行われておりますっ!」
「ほう、不敬とな?」
「そうです! この卑しき男が、国民すべてが仰ぎ見る一等星であられるベアトリクス王女殿下と婚約しておきながら、ここなる令嬢とも情を通じているというのですぞ! まさに王家を侮った不敬の……いやもはや、大逆と言うべき行為でしょう!」
「ほう、大逆とな。それは聞き捨てならぬことだ」
「落ち着いている場合ではございませんぞ、このような愚か極まる所業を許しては……」
「そうか、愚かであるか……そうかも知れんのう。もっとも、その愚かなことを行えと命じたのは、このエリザーベト自身であるがの」
その瞬間、ホールの温度が二、三度下がったように、俺には感じられた。そして陛下の前で得々とこの婚姻の愚かさを説いていたナルシー氏の顔は、まさに凍りついたように硬直していた。
「ふむ、私は、愚か極まりない命を出した、愚かな女王であるのう」
「ひっ……わ、私はそのような不敬の言辞を弄したわけでは……」
「ううむ、卿の口から『 愚か極まる』とかいう言葉が、確かに聞こえたのだがのう……」
陛下は薄く微笑み続けているけど、俺の目にその姿は、生贄のカエルを殺す前にさんざんいたぶるヘビみたいに見えた。
「いえ、あれは言葉の綾にて! そんなつもりは毛頭!」
「まだ戯言を申すか。『言葉の綾』だと? 卿が私を愚かだと言った言葉は消せぬよ。卿の母は、来ておらぬのか……宰相!」
「はっ!」
「シュテンダール伯爵に、農務省次官への昇進は取り消すと伝えよ。仕事に打ち込むのも良いが、息子の教育にもっと時間を使えとな」
「そ、そんな……陛下ぁ!」
ドレスの裾にすがらんばかりに陛下に哀願するナルシー氏だけど、もう遅いよなあ。てか、普通の専制国家だったら首が飛ぶぜ、昇進見送りくらいで済むことを、有難く思えよな。
「陛下、ご慈悲を~!」
「連れていけ」
かくしてナルシー氏は、警護の近衛たちに引きずられていった。まあ、強く生きろ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます