第32話 もう二人目?
「ふふっ、いくら私でも、男欲しさに王家を転覆させようとか思わないよ。民を苦しめないことが、私たち高位貴族に与えられた使命だからね……でも、お相手がベアトお姉様じゃなかったら、ちょっとは考えたかも」
ほら見ろ、やっぱりおっかないことを言うじゃないか。次にはどんな爆弾発言が出てくるのかと身構える俺の前で、グレーテルは白い騎士服の袖でぐいっと涙をぬぐった。ハンカチくらい使えよと思わんでもないが、彼女のこういう仕草に思わず目を奪われてしまうのも、また事実なんだよな。
そして彼女は、自らの薄い胸に左手をのせて、なにやら深呼吸などしている。間違いなく、これからまた決定的な何かを、口に出そうとしているのだろう。思わず緊張に背筋を伸ばす俺だが、いつになってもその攻撃は来ない。彼女はスーハーとダース◯イダーみたいに怪しげな息を吐きつつ、その視線をあっちこっちに向けて、肝心の俺を見もしない。
「グレーテル?」
さすがに不審に思った俺が一声かけると、彼女はびくっと身体を震わせ、恐れのような感情を浮かべた目でこっちを見た。こういうときにどんな対応をするのが正解かなんてわからないから、目をそらさずに、ただ笑顔だけを向けてみる。グレーテルの揺れる瞳が次第に落ち着いて……その視線が定まってくる。
五分くらいの時間が流れただろうか。ようやく意を決したらしい彼女が、その紅い唇を動かした。
「ル、ルッツっ!」
「うん」
「お願いがあるの。ベアトリクス様とともに貴方に寄り添う女性が、三名だけ許されていると聞いたわ。その一枠を私、次期ハノーファー侯マルグレーテに与えて欲しい」
予想外の言葉に、俺は呼吸を忘れた。これって、逆プロポーズ的な、アレか? いやこの世界での力関係だったら、これが普通の姿なのか。
「私はルッツに寄り添う伴侶の一人として、貴方を必ず守ると誓う。疲れた心を優しく癒したり、見えない悪意を排除するようなことは苦手だと思うけど、誰よりも優れた剣となり盾となって、役に立ってみせるわ。もちろん魔法も剣技も、他の誰にも負けないように一層磨き、鍛えるつもり。だからお願い、私をルッツのつ、つっ……妻の一人にして下さいっ!」
言葉を紡ぐ間はずっと青い顔でこめかみに汗を浮かべていた彼女が、一気にしゃべり終えた途端、今度は茹でダコのように真紅に染まる。なんだか信号機みたい……とかいう不謹慎な感想が頭に浮かんだけど、今は真剣に応えるべき時だ。
どうしよう……とか、迷う余地はないか。グレーテルは苛烈で粗暴だけど、俺を一途に想ってくれている。想いの半分以上は俺が乗っ取ってしまった昨年までのルッツ君の人格に向けられたものなんだろうけれど、今はもう俺とルッツ君は一体、どこからどこまでが本当の俺かなんてわからなくなってしまっている。そして俺はたぶん、この不器用な愛情表現しかできない元気娘に、なぜだかかなり惹かれてる。答えは、決まってるよな。
「こんな俺で良かったら、喜んで。一生、守って欲しい」
なんだか元世界の感覚とは男女逆の言い回しになっちゃうけど、実力差を考えたら仕方がない。「英雄の再来」様に、謹んで守っていただくとしよう。
「ルッツっ、嬉しいよ! 大好きっ!」
グレーテルが感極まった声を上げ、俺をがしっと抱き締める。ひたすらに俺を求める可愛い幼馴染の姿に至福を感じて……いられたのはほんの短い時間だった。喜びに手加減を忘れた彼女の抱擁はまるでプロレスラーのベアハッグみたいに俺の肺を締め上げて……情けないことに、俺はまた気を失ってしまった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
翌日、俺と母さん、グレーテルとその母親たる現ハノーファー侯爵の四人で、王宮にあがった。目的はもちろん、グレーテルを側室?として認めてもらうためだ。
「はぁ……ベアトの婚約者として公表するより先に、もう側室が欲しいとはの。ヒルダ、お前の息子は、なかなかの大物だね」
「はっ、大変申し訳なく。我が息子に強引にでも婚姻を迫るよう、マルグレーテ嬢に勧めたのはこの私です、お咎めあるならぜひ私に」
パンツスタイルの騎士服で膝を折ったまま、深々と頭を垂れるのは母さんだ。陛下は若干呆れているようだけど、その声に怒りのトーンはない。
「まあ『英雄の再来』との婚姻ならば、反対する理由もない。もともとベアトとグレーテルは親友であるしな……ルッツ君を共有する仲ともなれば、王室のために粉骨砕身してくれると期待して良いのだろう?」
「はいっ! 不肖マルグレーテ、陛下と殿下、そしてルッツに対し仇なす者を、全力を挙げて排除いたす所存」
決然と、グレーテルが宣言する。ストロベリーブロンドをお下げに編み、母さんと揃いの騎士服でびしっとキメた姿は、ほれぼれするくらい凛々しい。
「ですが、ベアトリクス様には、たいへん申し訳なき仕儀にて……」
「そうだの。本件については、ベアトの意見を聞かねばなるまい。のうベアト、ハノーファー家の申し出、どう思うか?」
人形のように美しい少女が、桜色の唇をゆっくりと開いた。
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